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写真:沢原 馨
地図を見る「橘公園」は宮崎市内を貫いて流れる大淀川の左岸部に設けられた河岸公園。名の由来となった橘橋の袂から下流側へ1kmほど、川に沿って延びています。“公園”と言うより美しいプロムナードという印象です。
写真:沢原 馨
地図を見る公園に沿ってフェニックス(カナリー椰子)の並木が続き、園内随所に「ロンブル」と呼ばれる、色鮮やかなテントが設けられ、美しい景観を見せてくれます。フェニックスは宮崎県の「県の木」のひとつ。橘公園の景観は、まさに“宮崎らしさ”を象徴するものなのです。
写真:沢原 馨
地図を見る「橘公園」は戦後間もなくの頃に整備され、それからほとんどその姿は変わっていません。「橘公園」は“観光名所”として語られることはあまりありませんが、その美しい風景は宮崎観光でぜひ訪ねて欲しいものです。日南海岸とも高千穂とも違う宮崎が、ここにあります。
写真:沢原 馨
地図を見る「橘公園」の北側には道路が沿っています。「橘公園通り」という愛称の通りです。この「橘公園通り」は「日本の道百選」のひとつ。「橘公園通り」から眺めるフェニックス並木は公園内から見る景色とはまた違った表情を見せてくれます。「橘公園通り」からの眺めも楽しんでおきましょう。
写真:沢原 馨
地図を見る「橘公園」の東端部近くに「川端康成文学碑」、通称「たまゆらの碑」が建っています。昭和39年(1964年)11月、川端康成が取材のために宮崎を訪れ、「橘公園通り」沿いに建つ宮崎観光ホテルに滞在、「たまゆら」を執筆しました。「たまゆらの碑」は、その記念碑として昭和62年(1987年)に建立されたものなのです。
「たまゆら」は昭和40年(1965年)から昭和41年(1966年)にかけて放送されたNHK連続テレビ小説、いわゆる“朝ドラ”の「たまゆら」の原作。川端康成にとって初のテレビ書き下ろしでした。昭和40年代、宮崎は新婚旅行先として人気を集め、空前の“新婚旅行ブーム”に沸くのですが、このドラマもそのきっかけのひとつになったと言われています。
余談ですが、当初2泊の予定で訪れた川端康成が、客室バルコニーから見える夕陽の美しさに感動、予定を延ばして約2週間滞在した、というのは、よく知られたエピソードです。
写真:沢原 馨
地図を見る橘公園のところどころに、大淀川の河川敷へ降りる階段が設けられています。水量の多くない通常時は河川敷に降りることができます。ぜひ降りてみましょう。
河川敷とは言っても遊歩道のように美しく整備されています。のんびりと歩いてみましょう。川面近くから見る大淀川と河岸の風景は、また違った表情を見せてくれます。空の広さを実感する風景です。
写真:沢原 馨
地図を見る橘公園の北端で大淀川を跨ぐのが橘橋。橘公園の名の由来となった橋です。現在の橘橋は昭和54年(1979年)に完成した6代目。美しいシルエットを見せる橋ですよ。ちなみに、川端康成が宮崎滞在中に見た橘橋は、先代の5代目橘橋。これもアーチの連なる美しい橋でした。
写真:沢原 馨
地図を見る大淀川とフェニックスの並木、色鮮やかな「ロンブル」、それらが“宮崎らしさ”を漂わせる橘公園、明るい陽光を浴びる公園の風景もいいものですが、朝方や夕方、斜光線に照らされた風景も素敵です。近くのホテルに宿泊した際、チェックインの後、あるいは朝食の前などに散策に訪れるのもお勧めです。宮崎滞在がよりロマンティックで素敵なものになりますよ。
写真:沢原 馨
地図を見るどの季節に訪ねても南国的な景観を楽しめる橘公園ですが、お勧めはやはり夏。強い日差しが降り注ぐ中、ハイビスカスが公園の風景を彩ります。真っ赤な花が宮崎の夏によく似合いますよ。
住所:宮崎県宮崎市橘通東1丁目〜川原町〜松山1丁目
アクセス:
JR日豊本線宮崎駅から約1.3km
宮崎市内中心部(橘通り3丁目交差点周辺)からバス、「橘公園前」バス停または「観光ホテル前」バス停下車
駐車場無し(周辺に民間駐車場有り)
2020年6月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2022/7/1更新)
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