写真:宮坂 大智
地図を見る東昌営区は、今から実に340年以上前の1680年から1990年代まで軍事施設として、澎湖、いや台湾を守護してきた歴史ある施設です。現在は観光客向けに開放されていますが、うっそうとしたガジュマルに覆われた様子は往年の姿を今日に伝えています。
東昌営区があるのは、澎湖の中心地から橋を3つ渡った先にある「西嶼(シーユー)」という島の南端です。澎湖はアルファベットの「C」を反転したような形に島が連なっており、内側には穏やかな湾が横たわっています。その湾の入り口に東昌営区を建設することで、敵艦が湾内に侵入できないようにしていたのです。
ガジュマルでできた天然のトンネルのような坂道を上がっていくと分厚いコンクリートの壁が現れ、いよいよ東昌営区の内部へと入ります。まさに秘密基地といった雰囲気で気分が盛り上がること間違いなしです。
写真:宮坂 大智
地図を見る東昌営区に一歩入って最初に目に付くのは瓦葺きの日本風の建築物です。現在見ることができる建築物のほとんどは近年修復された物で、完全に当時のものというわけではありませんが、台湾の離島に突如として現れる日本風の家は、ここがかつて日本の統治下であったことを雄弁に物語っています。
写真:宮坂 大智
地図を見る基地は奥へ奥へと細長く続いており、弾薬庫や砲台の跡が次々に目に入ります。第一次世界大戦の頃に増え始めた戦闘機から身を隠すために植えられたガジュマルは、今ではすっかり大木になっており、棄てられた遺跡を飲み込むかのようです。コンクリートでできた廃墟と今も成長し続けるガジュマルを見ていると天空の城ラピュタの世界を思い浮かべることでしょう。
写真:宮坂 大智
地図を見る最奥に到達すると突然明るくなります。台湾の軍隊が兵士の物干し場に改造した空間です。そこだけ陽が差しており、まるで十字架に見える物があって一瞬ギョッとしますが、洗濯紐を通すための柱なので驚かないでください。その近くには海まで下ることができる眺めの良い小道があり、眼下には美しいビーチが広がっています。
反対側にはさらに奥へと続く薄暗い道があり、その先には天井から空まで穴の開いた小さな建物があります。これは日本統治時代に使われていた昇降式の灯台の跡です。味方の船がやってきた時にだけ手動で灯台を昇らせるという仕掛けで、当時の緊張感を今に伝える貴重な物です。
写真:宮坂 大智
地図を見るさて、ここまではガジュマルに覆われた部分を見てきましたが、昇降式の灯台の横にある階段を登ると、遮る物がほとんどない草原に飛び出します。どこまでも続く海、そしてポツンと浮かぶ島々の風景はとても清々しく、かつてここが軍事要塞だったことを忘れてしまうでしょう。
この原っぱ部分には2つの見張り所があり、そのうちの1つは分厚い鉄板製です。今でも中に入れるようになっており、100年近く潮風に当たり続けても朽ちることなく建っている姿には圧倒されることでしょう。
写真:宮坂 大智
地図を見るところで、この遺跡の興味深いところは、《日本統治時代》と《台湾軍が使っていた時代》、この2つの時代が入り混じっているところです。さすがに1680年当初の面影がどこにあるかは分からなくなっていますが、日本時代に作られた石壁と台湾時代に作られた石壁とでは作りがまるで違うのですぐに分かります。
例えば、この写真のように、同じ大きさの石が整然と組まれている下段は日本時代に作られたもので、バラバラの石が組まれている上段は台湾時代に作られたものです。そういった細かな違いを探してみるのも一興です。
今回は、澎湖にある数えきれないほどの軍事遺跡のなかでも特に規模の大きな東昌営区をご紹介しましたが、澎湖にはここ以外にも様々な遺跡が眠っています。澎湖はリゾートのイメージが強い島ですが、日本時代の面影を探している方や、廃墟マニア、軍事マニアにも意外に楽しめる場所が多いのです。
住所:澎湖県西嶼郷内アン村
アクセス:馬公市街から県道203を「西嶼」方面まで進み、「内アン国小」の交差点を左折し進んだ右側にある迷彩柄のゲートを入り坂を下る
開放時間:8:00〜18:00
※「内アン」の「アン」は「土ヘンに安」
2020年5月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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この記事を書いたナビゲーター
宮坂 大智
こんにちは、離島が大好きな宮坂大智です。国内外50ヶ所以上の離島を訪れ、その中でイチバン可能性を感じた台湾の離島「澎湖(ポンフー)」に移住しました。生業は、離島でのボランティアツアーの実施です。たくさ…
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