上杉景虎自刃の地〜新潟県妙高市に残る中世山城「鮫ヶ尾城」

上杉景虎自刃の地〜新潟県妙高市に残る中世山城「鮫ヶ尾城」

更新日:2020/06/09 15:56

木村 岳人のプロフィール写真 木村 岳人 フリーライター
新潟県南部の頚城(くびき)平野(高田平野)を見渡す丘陵の上に、戦国時代に上杉氏が築いた「鮫ヶ尾城(さめがおじょう)」が存在します。

上杉謙信の後継者を巡る「御館(おたて)の乱」において、上杉景勝に追い詰められた上杉景虎が自害した城として知られますが、その山頂から麓までの全域にわたって遺構が良好な状態で残ることから国の史跡に指定されており、また日本城郭協会の続日本100名城にも選ばれています。

新型コロナウイルスの発生と感染拡大に伴う、県境をまたいだ移動の自粛が2020年6月19日より解除されます。また県境をまたぐ観光については「徐々に行い、人との間隔を確保すること」というガイドラインが政府より示されています。各種報道機関の発表、施設や各自治体のホームページなどで最新の情報をご確認ください。(LINEトラベルjp)
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鮫ヶ尾城の登城道は3通り

鮫ヶ尾城の登城道は3通り

写真:木村 岳人

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鮫ヶ尾城が築かれた正確な時期は分かっていませんが、信濃国を巡り対立していた武田信玄との軍事的緊張の高まりにより、約10キロメートル北に位置する上杉氏の本拠地「春日山城」の守りを固めるべく築かれたと考えられています。

鮫ヶ尾城の散策は、東麓にある「斐太歴史の里」を拠点とするのが良いでしょう。総合案内所(冬季12月〜3月は閉鎖)には休憩所やトイレ、続100名城スタンプが設置されており、また見どころを網羅したパンフレットや縄張図を配布していますので、頂いておくと散策がはかどります。

鮫ヶ尾城の登城道は3通り

写真:木村 岳人

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山頂の本丸へと続く道筋は「南登城道」「東登城道」「北登城道」の3通りがあります。そのうちかつての大手道(表通り)にあたるのが「南登城道」。その登城口は「斐太歴史の里」から少し距離があり、九十九折の山道が続くのでやや健脚向けではありますが、道筋に沿って数多くの曲輪(平らに整地された区画)が残っており、また山道を上り切ったところには立派な虎口(城の入口)を構えているなど、まさに大手道というべき貫禄を見せています。

上りは「東登城道」下りは「北登城道」がおすすめ

上りは「東登城道」下りは「北登城道」がおすすめ

写真:木村 岳人

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「東登城道」は山の尾根に沿って行く道で、やや距離がありますが途中には尾根を掘り切って敵の侵入を防ぐ「堀切」が多く見られ、これぞ山城という雰囲気を味わうことができます。城の遺構のみならず、山腹には弥生時代の集落遺跡である「斐太遺跡 矢代山B地区」もあり、考古学ファンにはたまらない道のりです。

上りは「東登城道」下りは「北登城道」がおすすめ

写真:木村 岳人

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「北登城道」は距離が短く道も整備されていて歩きやすいのですが、その分、見どころは少な目です。「斐太歴史の里」からのアクセスや見学時間を考慮すると、上りは「東登城道」、下りは「北登城道」を利用するのが良いでしょう。体力と時間に余裕がある方は「南登城道」にもチャレンジしてみてください。

本丸からは頚城平野を一望できる!

本丸からは頚城平野を一望できる!

写真:木村 岳人

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「斐太歴史の里」から「東登城道」を歩いて登るとおよそ30分で標高185メートルの本丸に到着します。本丸は上段と下段の二段構造となっており、それぞれにベンチが設置されていますので、山道で疲れた足を休めるのに最適です。お弁当を広げて昼食にするのも良いでしょう。

本丸からは頚城平野を一望できる!

写真:木村 岳人

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本丸からの眺めは素晴らしく、頚城平野を一望することができます。水田が広がるその光景は肥沃な土地そのもの。この頚城平野こそ上杉氏の力の源であり、本城の春日山城のみならず鮫ヶ尾城までも築き、防御を固めた理由が分かるというものです。

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本丸の周囲に連なる曲輪と堀切

本丸の周囲に連なる曲輪と堀切

写真:木村 岳人

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鮫ヶ尾城は連郭式と呼ばれる山城で、本丸の南側に二ノ丸と三ノ丸が、北側に米蔵と西ノ丸が一直線に連なっています。各曲輪の間には堀切を設けて防御力を高めているのですが、長いものは100メートルを超えており、尾根のみならず山の中腹まで掘り込んでいるというから驚きです。まさに籠城に適した作りの城だといえるでしょう。

本丸の周囲に連なる曲輪と堀切

写真:木村 岳人

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天正6年(1578年)に上杉謙信が後継者を定めないまま死去すると、その家督を巡り謙信の養子であった景勝と景虎が対立。翌年の天正7年(1579年)、形勢が不利になった景虎は実家である北条氏を頼ろうと考え、関東へと逃れる街道上の鮫ヶ尾城へと逃げ込みました。しかし城主の堀江宗親(ほりえむなちか)は景勝側に付き、鮫ヶ尾城は総攻撃を受けて落城。景虎は三ノ丸の下にある井戸の近くで自刃したと伝わります。

焼け焦げた遺物に景虎の最期を偲ぶ

焼け焦げた遺物に景虎の最期を偲ぶ

写真:木村 岳人

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御館の乱で鮫ヶ尾城は炎上し、建物はすべて灰燼に帰しました。各曲輪から出土した遺物には、いずれも強い熱を浴びた痕跡が認められます。

二ノ丸では幅8.6メートル、奥行き5.1メートルの掘立柱建造物が発見されていますが、その周囲からは投石用の飛礫(つぶて)石と共に、焼け跡が残る陶磁器の破片が見つかっています。また三ノ丸からは全国的にも珍しい炭化したおにぎりが出土しました。

焼け焦げた遺物に景虎の最期を偲ぶ

写真:木村 岳人

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本丸に隣接する米蔵には「焼き米」が散乱しており、現在も丹念に地表を探すと炭化した米粒が確認できます。(史跡の状態変更は禁止されていますので、持ち出すことは厳禁です)

御館の乱で焼け落ちてからは再利用された痕跡がなく、鮫ヶ尾城は謙信時代の山城の姿を忠実に留める城として高く評価されています。春日山城を守るために築かれ、景虎と最期を共にしたその儚い運命を偲びつつ、山城の遺構を堪能しましょう。

鮫ヶ尾城の基本情報

住所:新潟県妙高市大字宮内
電話番号:0255-72-0697(斐太歴史の里総合案内所)
アクセス:えちごトキめき鉄道はねうまライン「北新井駅」から徒歩約35分

2020年6月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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掲載内容は執筆時点のものです。

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