弥生から古墳時代の集落変遷をたどる!新潟県「斐太遺跡群」

弥生から古墳時代の集落変遷をたどる!新潟県「斐太遺跡群」

更新日:2020/06/09 14:58

木村 岳人のプロフィール写真 木村 岳人 フリーライター
新潟県の南部に位置する頚城(くびき)平野(高田平野)。その西側に広がる扇状地に「吹上(ふきあげ)遺跡」「斐太(ひだ)遺跡」「釜蓋(かまぶた)遺跡」が存在します。

これらの遺跡は比較的狭い範囲にありながら、それぞれ時代や立地、特徴が異なっています。3箇所をたどることで弥生時代中期から古墳時代初頭にかけての集落変遷を追えることから、一括して「斐太遺跡群」と称され、国の史跡に指定されています。

新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、一部都府県に緊急事態宣言が発出され、不要不急の外出の自粛が求められています。加えて自治体独自での緊急事態宣言発出や、往来の自粛要請をしている場合があります。また施設によっては休業していることがあります。Go To トラベルキャンペーンについても全国で一時停止となっています。各種報道機関の発表、施設や各自治体のホームページなどで最新情報をご確認ください。外出の際はしっかりと感染予防対策をして行動しましょう。(LINEトラベルjp)

全国有数の勾玉生産量を誇る「吹上遺跡」

全国有数の勾玉生産量を誇る「吹上遺跡」

写真:木村 岳人

地図を見る

斐太遺跡群のうち最も古いものは弥生時代の中期に始まる「吹上遺跡」です。大規模な玉製品作りが行われていたことが特徴で、特に糸魚川産のヒスイを用いた勾玉の生産量は全国でも有数の規模を誇ります。

全国有数の勾玉生産量を誇る「吹上遺跡」

写真:木村 岳人

地図を見る

発掘された遺構は広場を中心とし、川に沿って玉作りの工房が建ち並んでおり、その周囲からは不要となった石くずを捨てていた穴も発見されています。銅鐸をかたどった土製品や石製品といった珍しい出土品もあり、また長野県や石川県などの影響を受けた土器も見られることから、各地と盛んに交易を行っていたことがうかがえます。

<吹上遺跡の基本情報>
住所:新潟県上越市大字稲荷531
アクセス:JR北陸新幹線・えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン「上越妙高駅」から徒歩約30分

戦乱から家屋を守るため山へと移り住んだ「斐太遺跡」

戦乱から家屋を守るため山へと移り住んだ「斐太遺跡」

写真:木村 岳人

地図を見る

「斐太遺跡」は弥生時代の後期から終末期にかけての集落遺跡で、稲作に適した平野部ではなく扇状地を見下ろす丘の中腹に位置しています。空堀と谷間で家屋を取り囲んだ山城のような環濠集落で、その様子からは平地を捨てて山へと移住せざるを得なかった切実な事情が見て取れます。

戦乱から家屋を守るため山へと移り住んだ「斐太遺跡」

写真:木村 岳人

地図を見る

この地にムラが造営された2世紀後半の日本列島は、『魏志倭人伝』など中国の歴史書に「倭国大乱」と記されており、クニとクニとの闘いが絶えない戦乱の時代でした。その戦火は越国の頚城平野にも及び、このような防御性の高い集落が築かれるようになったのです。

最大の集落「矢代山B地区」には二重の環濠が巡る!

最大の集落「矢代山B地区」には二重の環濠が巡る!

写真:木村 岳人

地図を見る

「斐太遺跡」は主に3つの集落から構成されており、北から「百両山地区」、「上ノ平・矢代山A地区」、「矢代山B地区」と続いています。その面積は10万平方mにも及ぶ広大なもので、これは高地性の環濠集落として東日本最大級の規模を誇ります。中でも「矢代山B地区」は家屋の数が最も多く、竪穴式住居の跡である窪みが高密度で分布しています。

最大の集落「矢代山B地区」には二重の環濠が巡る!

写真:木村 岳人

地図を見る

「斐太遺跡」の集落はいずれも環濠を備えていますが、「矢代山B地区」は2本の環濠を平行に巡らせており、より厳重な作りとなっています。一方で出土品の年代は短い期間に偏っており、軍事的な緊張が極めて高まった時期にのみ使用された、一過性の集落であると考えられています。

<斐太遺跡の基本情報>
住所:新潟県妙高市大字宮内
電話番号:0255-72-0697(斐太歴史の里総合案内所)
アクセス:えちごトキめき鉄道はねうまライン「北新井駅」から徒歩約35分

交易の拠点であった大規模環濠集落「釜蓋遺跡」

交易の拠点であった大規模環濠集落「釜蓋遺跡」

写真:木村 岳人

地図を見る

北陸新幹線「上越妙高駅」の目の前に位置する「釜蓋遺跡」は、弥生時代終末期から古墳時代初頭にかけて築かれた大規模な環濠集落です。長らく続いた「倭国大乱」は卑弥呼が女王に即位したことで収束し、頚城平野でも再び平地に集落を作ることができるようになりました。

「釜蓋遺跡」は川を天然の濠として利用しながら巨大な環濠を巡らす壮大な集落で、頚城地方にあったとされる「奴奈川(ぬなかわ)のクニ」の中心地ではないかと推測されています。環濠の内部からは近江系や山陰系の土器が多数出土しており、また川べりの遺構から舟運による交易の拠点であったのではないかと考えられています。

交易の拠点であった大規模環濠集落「釜蓋遺跡」

写真:木村 岳人

地図を見る

現在は集落を取り囲む環濠の跡が砂利で表現されており、その規模からいかに壮大な集落であったのかが分かります。西側の区画からは二棟の竪穴式建造物が発見されており、そのうち片方は一辺が10mにも及ぶ巨大なもので、まさに地域の中心地にふさわしいたたずまいだったことでしょう。

出土品が並ぶ「釜蓋遺跡ガイダンス館」は必見!

出土品が並ぶ「釜蓋遺跡ガイダンス館」は必見!

写真:木村 岳人

地図を見る

釜蓋遺跡にはガイダンス館が併設されており、釜蓋遺跡や吹上遺跡で発掘された出土品が展示されています。現地の遺跡だけ見ても当時の具体的な様子はなかなかイメージできないものですが、実際に使われていた土器や道具、作っていた玉製品を眺めることで、当時の人々の生活を垣間見ることができます。

出土品が並ぶ「釜蓋遺跡ガイダンス館」は必見!

写真:木村 岳人

地図を見る

中でも圧巻なのが環濠の剥ぎ取り標本です。これは釜蓋遺跡の環濠の断面を特殊な接着剤で剥ぎ取ったもので、実際の濠の大きさを体感することができます。また断面を観察することで幾度となく洪水で埋もれ、その度に掘り直していたことが分かり、水害と戦っていた人々の苦労が偲ばれます。

<釜蓋遺跡の基本情報>
住所:新潟県上越市大和5丁目4-771-1
電話番号:025-520-7166
アクセス:JR北陸新幹線・えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン「上越妙高駅」から徒歩約3分
開館時間:9時〜17時
休館日:火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日〜1月3日)
入館料:無料

戦乱と交易の歴史を物語る斐太遺跡群

このように斐太遺跡群は平地にあった集落が「倭国大乱」によって山の中腹へと移住し、戦乱が収まった後は再び平地に戻り、舟による交易で栄えたという、頚城平野における弥生時代から古墳時代にかけての歴史を物語る遺跡として極めて重要です。

これらの3遺跡に足を運び、戦乱に翻弄されつつもたくましく生きてきた人々に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

2020年6月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。

- PR -

条件を指定して検索

- PR -

この記事に関するお問い合わせ

- PR -