写真:旅人間
地図を見る比叡山延暦寺や日吉大社の門前町として栄えた滋賀県大津市の坂本は、穴太衆積みと呼ばれる美しい積み方をした石垣が多く見られる風情あふれる町。その中でも、ひときわ背の高い石垣と白壁に囲まれているのが滋賀院門跡になります。
江戸時代末まで天台座主となった皇族代々の居所であったため高い格式を誇り、堂々とした外構えが印象的で高貴な風情が今に残っています。
提供元:びわ湖大津観光協会
https://otsu.or.jp/mitsuhide/この滋賀院門跡は、明智光秀と同一人物との説もある天台宗の天海大僧正が、1615年に法勝寺を移転したものといわれ、後水尾天皇から滋賀院の号をうけました。1878年に火災により焼失し、その後は比叡山無動寺谷・法曼院の建物が移され再建されました。
明智光秀といえば、織田信長が比叡山焼き打ちの後に、坂本城主となり、西教寺を菩提寺として復興に尽力しました。天海も比叡山の復興に尽力し、この坂本の地と深く関わっています。天海の墓所も坂本にあります。日光にある明智平の地名説、徳川家光の乳母である春日局の話、このような不思議な共通点は戦国ロマンを感じます。
2021年3月31日まで開催の「びわ湖大津・光秀大博覧会」では、大津市内4つの拠点(滋賀院門跡・禅明坊光秀館・西教寺・大津市歴史博物館)にて、明智光秀の足跡や比叡山坂本の歴史など紹介しています。
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地図を見る滋賀院門跡の見所と言えば、何と言っても小堀遠州作の名勝庭園でしょう。宸殿(しんでん)の西側に作庭された池泉回遊式庭園は、南北に長い廊下のどの場所からも眺められ、細長い池の中央に架けられた豪華な切石の橋が庭を引き締めています。
緑に映える絵葉書のような美しい庭は、風そよぎ、時間の移ろい、光の加減による僅かな変化はあっても静寂そのもの。この心が安らぐ素敵な空間は、時が許されるなら1時間でも2時間でも過ごしたくなります。
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地図を見る館内に数ある展示物の中でも、特に目を惹くのは「天海大僧正着用 金箔押伊予小札縹糸 素懸威二枚胴具足」です。これは江戸時代初期の極めて高尚な鎧で、兜は僧風、材は布と紙のみで作られており、とっても軽く儀式用に使用されていたものになります。
また、鎧櫃(よろいびつ)の裏蓋(うらぶた)には、天海大僧正の直筆で収納してある品名が書かれているのが分かり、その字の美しさには思わず見入ってしまいます。
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地図を見る宸殿の「天台座主接見の間」にある『太陽麒麟』も必見です。これは清国皇太后の還暦の祝賀に天皇陛下より寄贈の目的で造られた原画で、日清戦争の勃発により贈呈されることなく宮中に納められ延暦寺へ下賜された貴重なものです。
この麒麟はNHK大河ドラマ『麒麟がくる』との関係性はありませんが、麒麟は優れた王が世を治めるときに出現するという中国の聖獣です。あくまで想像ですが、ここにはそんなメッセージがあったのかもしれませんね。
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地図を見る比叡山の勅会で利用された「殿上輿」や、天台座主の乗り物「長棒」も展示されており、よく見ると屋根は二重で跳ね上げて開くことが出来、内部には前方に書見台、後方には背あてや肘掛なども見られます。今の時代でいうなら高級車の後部シートといった感じでしょうか。
他にも、狩野派の障壁画がたくさん見られ、延暦寺から西塔の釈迦堂に分灯された「不滅の法灯」も見ることが出来ます。
写真:旅人間
地図を見る滋賀院門跡のすぐ近くに天海大僧正の廟所の慈眼堂があります。石段を少し登った先には、一面に広がる美しい苔と2列に並ぶ石灯篭があり、厳かな雰囲気を肌で感じます。
天海大僧正は、徳川家康・秀忠、家光の三代にわたり将軍の顧問として遇され全山焼土と化した比叡山の復興に尽力しました。1643年に自らが創建した上野の寛永寺で天寿を全うし、生年は定かではありませんが100歳以上の長命であったと言われています。没後は朝廷から「慈眼大師」の称号を賜り、滋賀院境内の慈眼堂に祀られています。
住所:滋賀県大津市坂本4-6-1
電話番号:077-578-0130
開館時間:8:30〜16:30(16:00 受付終了)
※12月は9:00〜16:00(15:30 受付終了)
1月・2月は9:00〜16:30(16:00 受付終了)
料金:大人500円、中学生300円、小学生100円
2020年12月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/3/19更新)
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