写真:浦賀 太一郎
地図を見る会津若松城、若松城、黒川城など、幾つかの呼称がありますが、本稿では、地元の方たちに最も親しまれている「鶴ヶ城(つるがじょう)」の名で紹介したいと思います!まずは、鶴ヶ城の激闘の歴史を深掘りして行きましょう。中世南北朝の時代、初めてこの地に城館を築いたのは、200年以上にわたりこの地を治める事になる蘆名(あしな)氏でした。
蘆名氏は、戦国時代の末期に16代当主・盛氏(もりうじ)によって会津地域、中通り地域(現在の福島県の大部分)を統治しますが、急激な版図拡大の反動と、後継ぎ問題によって盛氏の死後、独眼竜・伊達政宗に攻め滅ぼされてしまいます。
写真:浦賀 太一郎
地図を見るその政宗も、天下人となった豊臣秀吉の命令によって会津を召し上げられてしまいます。秀吉は、「100万の軍勢の采配をさせたい武将」と評した蒲生氏郷に、42万石の領地として会津を与えます。
伊達政宗をはじめとした奥州の猛者たちの抑えとして会津に入った氏郷は、黒川と呼ばれていたこの地を「若松」と改め、本格的な近世城郭へと拡張したのです。望楼型の七重(7階もしくは5階地下2階)もの巨大な天守を有していたとされています。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る御家騒動で蒲生氏が転封となると、今度は越後の雄・上杉景勝が120万石の巨禄で入封します。上杉氏は関東の徳川家康を睨み、より広大な神指(こうざし)城を築いていましたが、関ヶ原の戦いで石田三成に加担し敗退、志半ばで廃城となり、家康によって移封となってしまいます。
その後も紆余曲折を経て、江戸初期に3代将軍家光の庶弟・保科正之が23万石で入城し、幕末まで存続します。蒲生氏郷記念公園(墳墓・前段の写真)や、上杉氏の重臣・直江兼続屋敷跡(写真・山鹿素行生誕地と同地)などが市街に遺されています。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る次に、お城の遺構を深掘りしてみましょう!鶴ヶ城と言えば、咲き誇る桜と悠然とそびえる大きな天守閣を思い浮かべますが、城郭そのものも、とても大きなものでした。市民公園として整備されている本丸周辺を見ると、丹念に積まれた石垣や近代的な縄張りに目を奪われますが、実はそれだけではないんです。
本丸を公園の外側から見てみると、お城の南側、幅の広い五軒丁壕では、土塁を掻き上げ、その上に石垣を組み上げている事がわかります。五軒丁壕へは、西出丸駐車場から、天守を正面に見て右手を目指し、内讃岐門跡を抜けると出ることができます。また、国道121号線沿いから入ることもできます。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る五軒丁濠を、本丸の干飯櫓(復元)や月見櫓跡の櫓台を眺めつつ進むと、二の丸に到達します。二の丸は、古城感が満載だったお壕と土塁の城から、一気に近世城郭へと姿を変えます。
20mもの高石垣を横目に廊下橋を渡ると、廊下橋門跡(写真)を経て本丸に至ります。高い石垣に三方を囲まれ、鍵型の構造になっているためとても攻めにくそうです。猛ダッシュで攻め込んでくる敵は、ここで減速を余儀なくされるのです。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る本丸には明治維新の頃まで建っていた層塔型の天守が外観復元されています。5重5階の堂々たる佇まいで、2011(平成23)年には、屋根瓦を黒から、より当時の様子を正確に伝えるために赤瓦に葺き直しました。赤瓦の天守は、日本でここだけなんですよ!
赤瓦は、厳冬の会津でも凍結して割れないようにと、保科正之が苦心の末、改良した瓦なのです。天守から続く南走長屋と、干飯櫓も赤瓦で葺かれていて、史実の研究結果を踏まえ、木造で忠実に復元され、天守閣とともに内部の見学も可能です。
写真:浦賀 太一郎
地図を見るいよいよ天守登閣です!ここでは、五重五階に含まれない、地下の秘密と、天守からの素晴らしい眺めを深掘りしていきます。入口は天守台の中腹にあり、さながら和風ピラミッドの中に吸い込まれるような感覚を覚えます。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る地階は、実は塩蔵になっています。海を持たない会津藩にとって、塩は大変な貴重品で、籠城のために塩を備蓄していた様子が再現されています。戦う兵士たちにとって、塩分が米に負けず劣らず重要だったことがよくわかりますね。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る各階では、常設や企画の展示を見学することができ、会津の歴史や風土を知ることができます。最上階からの眺望は、まさに絶佳の一言!公称23万石、実高は40万石を超えていたという、肥沃な会津盆地を囲むようにそびえる、奥羽山脈や飯豊山地の雄大な景観を存分に楽しむことができます。「盆地」であることが手に取るように分かりますね。
写真:浦賀 太一郎
地図を見るお城のライトアップというと、桜や紅葉の季節というイメージがありますが、鶴ヶ城ではイベント時とは別に、通年でのライトアップも行っています。
写真:浦賀 太一郎
地図を見るもし会津に到着する時間が遅くなって、天守に登れなくなっても諦めずに、このライトアップを眺めに訪れてはいかがでしょうか。有料区域は天守閣のみなので、本丸の天守の真下でライトアップを見上げることができますよ。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る西出丸付近からの眺めも抜群です。日中と違い、静寂の中でお城を満喫することができます。せっかく巡った名城・鶴ヶ城。ライトアップまで、トコトン深掘りしちゃってくださいね!
写真:浦賀 太一郎
地図を見るお城めぐりの究極の深掘り、それは、城下町めぐりではないでしょうか?阿弥陀寺には、御三階(ごさんかい)と呼ばれる、かつて城内に建っていた櫓が現存しています。鶴ヶ城唯一の現存建築物で、藩の重要事項の密議を行っていたと伝えられています。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る鶴ヶ城は、城下町全域を城郭で囲った「総構え」という、近代城郭の完成形といえる縄張りでした。その遺構もしっかり城下で確認することができるのです。甲賀町口郭門跡は、当時16存在した郭内への門のうち、大手の役割を持ち厳重な構えをとっていました。
写真:浦賀 太一郎
地図を見る最後は、日新館跡を紹介します。日新館では、「ならぬことはならぬものです」で知られる什の掟を基礎に、天文台やプールをも備えた、全国有数の藩校でした。この付近から眺める天守は、どこか優しく、ここで学んだであろう若者たちを見つめるように佇んでいます。
明治維新において、戊辰戦争の重大局面となった会津戦争では、多くの若者たちが命を散らしました。そういう時代を越えて、現在私たちが楽しくお城めぐりができる平和が築かれていると思うと、自然と私たちの旅も、深まっていくのではないでしょうか。
住所:福島県会津若松市追手町1ー1
電話番号:0242-27-4005
アクセス:会津若松駅からまちなか周遊バス「ハイカラさん・あかべぇ」鶴ヶ城入口徒歩5分
開城時間:天守閣 8:30〜17:00時(入城締め切り16:30分)、鶴ヶ城天守以外のスポット、城下の遺構は見学自由
2020年7月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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