龍馬の息づかいが聞こえる長崎・亀山社中&風頭公園ウォーク

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龍馬の息づかいが聞こえる長崎・亀山社中&風頭公園ウォーク

龍馬の息づかいが聞こえる長崎・亀山社中&風頭公園ウォーク

更新日:2014/06/10 16:35

カナマル トモヨシのプロフィール写真 カナマル トモヨシ 航海作家、船旅ジャーナリスト

2014年春、龍馬の直筆の手紙が発見され、大きな話題となりました。
彼がこの世を去ってから間もなく150年。
しかし、いまを生きる人々をワクワクさせる、不思議な魅力の持ち主です。
龍馬を語る上で、決してはずせない土地が長崎です。
ここでの濃密な日々が龍馬に多大な影響を与え、やがて日本の歴史を大きく変えてゆくことになりました。
それでは長崎で龍馬がかっ歩した道をたどってみましょう。

「さあ続け この困難が やがては愉快 パラダイス」。まずは龍馬の道をのんびり歩いてみる

「さあ続け この困難が やがては愉快 パラダイス」。まずは龍馬の道をのんびり歩いてみる

写真:カナマル トモヨシ

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静かなたたずまいの中に、いくつもの寺が軒を並べる寺町通り。
禅林寺と深崇寺という2つのお寺にはさまれ、一本の石段の坂道が始まります。
これが「龍馬通り」です。
幕末、この坂道を龍馬や彼を慕う若者たちが行き来したといわれています。

よしっ、龍馬になった気分で歩いてみるぜよ!
しかし、「龍馬の道」といういかにもキャッチーなネーミングとは裏腹に、非常にキツイ坂道です。
途中で息が切れてしまいそう・・・。
ほんとうに龍馬はこの坂道を毎日登っていたのか?
自分はとても龍馬になれそうもない。
そんな心が折れそうなあなたの視線に、龍馬の同志の写真と彼の経歴を記したパネルが飛び込んできます。
のちに外務大臣となった陸奥陽之介(宗光)や、4年前のNHK大河ドラマ『龍馬伝』で大泉洋さんが熱演した近藤長次郎などが、まるで「がんばれ、もうひといき!」と語りかけてくるよう。
さらに龍馬のイラストともに添えられた俳句が、坂の上の雲を目指す私たちを元気づけてくれます。

ところで、長崎と言えば坂とネコが多い街。
龍馬の道にのあちこちにもかわいいノラネコが出没します。
疲れたときは近寄ってくるノラネコの写真を撮ったり、かわいがったりしながら、ゆっくり坂を上がっていくのがいいでしょう。

坂を上がればそこは、日本最初の商社(カンパニー)!

坂を上がればそこは、日本最初の商社(カンパニー)!

写真:カナマル トモヨシ

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龍馬の道を登ること、かれこれ15分ほど。
目の前に「亀山社中の跡」が現れます。
亀山社中とは1865年、龍馬が薩摩藩(いまの鹿児島県)などの支援を受けて、この地に設立した日本最初の商社(カンパニー)です。
亀山の由来ですが、借りていた民家周辺が江戸時代後期に長崎でよく作られた陶磁器「亀山焼」の窯跡であったことから、この名になったといいます。
主な仕事として、銃器を取引したり、物資の運搬や航海訓練などがあげられます。
銃器の取引先は英国人商人グラバー。
あのグラバー園のオーナーですね。

しかしなんといっても亀山社中の大仕事といえば1866年に倒幕2大勢力である薩摩藩と長州藩(いまの山口県)のあいだに結ばれた薩長同盟の橋渡しをしたことでしょう。
これにより、時代は急激に江戸幕府の崩壊と明治維新へと進んでいくことになります。
そんな歴史的な舞台はいま、「亀山社中記念館」として公開されています。
10畳・8畳・3畳の三つの部屋と、ハシゴをあがって見学ができる中2階の隠し部屋があります。
写真撮影ができるのは10畳の部屋のみ。
龍馬がもたれかかって座ったと伝えられる10畳座敷の柱など黒褐色の建具は幕末の家屋の雰囲気をいまに伝えています。
龍馬の紋服・ブーツ・刀・ピストル、亀山社中、海援隊ゆかりの品といった展示物はすべて複製品で、その数も実はあまり多くはありません。
ここでは龍馬になったつもりで、ゆっくりと過ごすことをおすすめします。
また、ボランティアの方の説明に耳を傾けるのもいいですね。
余談ですが、記念館の名誉館長は武田鉄矢さんです。
武田さんといえば、熱狂的な龍馬ファンですね。

もし、ここを訪れたのが週末または祝日だったら、ここから少し離れた「亀山社中資料展示場」に足を運びましょう。
「亀山社中記念館」が龍馬ワールドとすれば「亀山社中資料展示場」は龍馬はもちろん、その仲間たちや長崎についての展示もある幕末ワールド。
龍馬と協力して幕府軍を大いに打ち破った長州藩士・高杉晋作と龍馬が仲介を果たした薩長同盟で長州藩の代表となった桂小五郎(のちの木戸孝允)そして西郷隆盛、大久保利通ら薩摩藩士などなどの肖像パネルがいっぱい。
西郷の心霊写真、というものもありますのでお見逃しなく。
こうした倒幕の大立者のほかにグラバーなど長崎の外国人商人たちとか勝海舟、そして近藤勇や土方歳三をはじめ新撰組など幕府側の人物のパネルもあります。
また、船中八策(※坂本龍馬が起草した新国家体制の基本方針とされるもの)の写しも展示されており、幕末ファンにはたまらない空間となっています。
さらにここは無料!
「亀山社中記念館」もそうですが、ここでも龍馬や幕末グッズがそろっているので、おみやげにどうぞ。

龍馬といったら、ブーツ。「龍馬のぶーつ」を履いて気分はでっかく太平洋ぜよ!

龍馬といったら、ブーツ。「龍馬のぶーつ」を履いて気分はでっかく太平洋ぜよ!

写真:カナマル トモヨシ

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「亀山社中記念館」まで足を運んだなら、すぐそばにある「龍馬のぶーつ」へ行ってみましょう。
龍馬といえばブーツを履いた肖像写真が有名ですね。
龍馬が生まれた土佐藩(いまの高知県)というのは身分制度の厳しいところで、龍馬は草履しか履けなかったそうです。
でも、そんな息苦しい土佐藩を脱藩し、長崎にやってきた龍馬は自由の象徴として
当時まだ珍しかったブーツをこよなく愛し、どこに行くにも履いていったとか。

この「龍馬のぶーつ」は亀山社中創立130周年を記念して1995年に建立されたもので、こちらのブーツはちゃんと履けるようになっています。
ブーツを履くと、目の前には船の舵輪(だりん)。
龍馬といえば海、そして船!
まさに気分は龍馬なのです。
残念ながら目の前には海は広がりませんが、長崎市街が見渡せます。
この眺望もなかなか見事なものですよ。

龍馬の道ゴールイン!のごほうびは、大きな龍馬像との対面だ

龍馬の道ゴールイン!のごほうびは、大きな龍馬像との対面だ

写真:カナマル トモヨシ

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寺町通りからきつ〜い石段を上がり、亀山社中の跡地で龍馬たちの夢に触れ、再び坂を登ってたどり着くのは風頭(かざがしら)公園。
ここは龍馬の道のゴール地点です。

そしてそこにそびえ立つのが坂本龍馬之像。
ちゃんとブーツも履いています。
1989年に、全国からの募金をもとに作られました。
龍馬像の後ろで、気持ちよさげにはためいているのは「海援隊」の旗です。
1867年4月、龍馬は土佐藩によってある罪を許されました。
それは「脱藩」。
許可なく所属する藩から抜け出てしまうことは「脱藩」とされ、当時は非常に大罪とされました。
しかし龍馬は脱藩することで獅子奮迅の活躍をし、その存在は土佐藩にとっても無視できないものになっていました。
そして龍馬率いる亀山社中は土佐藩をスポンサーにした「海援隊」へと改称。
龍馬は海援隊の隊長となり、現在の長崎市電の電停「西浜町」付近を根拠地とします。
海援隊の船印は「赤白赤」と決められました。
このとき、海援隊の会計を管理していたのが、のちに三菱の基礎を作る岩崎弥太郎でした。

弥太郎が作った三菱の船舶部門はやがて「日本郵船」へと成長します。
日本郵船は会社のマークを海援隊と同じ赤白赤の「二曳(にびき)」と定めます。
現在、日本郵船が所有する船はすべてこの二曳のマークが付いています。
また、日本郵船のグループ会社「郵船クルーズ」は日本最大にして豪華な客船「飛鳥II」を所有していますが、そのファンネル(煙突)にも赤白赤の二曳がデザインされています。
龍馬の夢、世界の海を駆け巡る、は同僚の弥太郎とその後継者たちによって実現したと言えます。

「竜馬がゆく」の名セリフとともに、長崎の街と海を眺めよう

「竜馬がゆく」の名セリフとともに、長崎の街と海を眺めよう

写真:カナマル トモヨシ

坂本龍馬の魅力に引き込まれる人のほとんどが通る道。
それは司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』を読破すること、ではないでしょうか。
坂本龍馬之像のそばに「竜馬がゆく文学碑」が建てられています。

船が長崎の港内に入ったとき、竜馬は胸のおどるような思いをおさえかね、「長崎は、わしの希望じゃ」と、陸奥陽之助にいった。「やがては日本回天の足場になる」ともいった。
という一節が刻まれています。
ここから長崎の街並み、そして長崎湾と女神大橋、さらに向こうに広がる大海原を眺めてみましょう。
誰もが龍馬と同じく「長崎はわしの希望じゃ」と言う気持ちになれるはずです。

龍馬の道はここで完結します。
それは厳しい道のりだったかも知れません。
でも、最後に文学碑から眺める景観を見れば、そんな辛苦は一気に吹っ飛んでしまうことでしょう。

永遠のヒーロー、そして憧れ。そんな龍馬が歩いた道を私たちも

龍馬にまつわる史跡は、長崎だけでなく京都、高知、下関、鹿児島などにも残っています。
でも、この龍馬の道ほど彼の生涯をたどり、また、龍馬になりきれるスポットは見つけられないのではないでしょうか?
龍馬の人生は決して順風満帆ではありませんでした。
それはこの坂道のように紆余曲折の多いものだったと言えます。
それでも彼の生き様は、その死後150年になろうかという現代でも、多くの人たちを引きつけて止みません。
まさに龍馬は「永遠のヒーロー、そして憧れ」なのでしょう。
ぜひ、亀山社中跡や風頭公園を歩いてみてください。
そうすれば、このガイドの最初の画像にある言葉が実感できることでしょう。
「私もなりたい 龍馬さん」

掲載内容は執筆時点のものです。

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