二重掘で防御を固めた中世城館!青森市浪岡町「浪岡城」

二重掘で防御を固めた中世城館!青森市浪岡町「浪岡城」

更新日:2020/07/31 14:52

木村 岳人のプロフィール写真 木村 岳人 フリーライター
津軽平野南東部の旧浪岡(なみおか)町に位置する「浪岡城」は、村上源氏の一派にあたる北畠家の流れを汲む浪岡氏が南北朝時代から戦国時代にかけて拠点としていた中世城館(平城)です。

浪岡川の右岸に広がる城域には現在も曲輪や二重堀などの遺構が良好に残ることから、昭和15年(1940年)に青森県では初めて国の史跡に指定され、また平成29年(2017年)には日本城郭協会の続日本100名城に選ばれました。

浪岡氏の興亡を見守った浪岡城

浪岡氏の興亡を見守った浪岡城

写真:木村 岳人

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浪岡氏の祖である北畠氏は後醍醐天皇の命によって国司として奥州へと下向し、当初は南部地方に多大な勢力を有していた南部氏の庇護を受け、現在の岩手県東部に位置する閉伊(へい)郡船越村に居を構えていました。しかし三戸南部氏が北朝方に付いたことから、北畠氏は南朝方の根城南部氏を頼って浪岡の地に移り住んだと考えられています。

浪岡城が築かれたのは長禄4年(1460年)頃と推定されており、以降、浪岡氏は浪岡城を拠点に津軽平野の有力勢力として成長を遂げます。最盛期の1500年代前半には京都との交流も多く、数多くの寺社を建立しました。

しかしながら、永禄5年(1562年)に当主の浪岡具運(ともかず)を叔父の北畠具信(とものぶ)が殺害する「川原御所の乱」が勃発。浪岡氏の力はたちまち衰え、天正年間(1573〜1592年)にその後の弘前藩初代藩主となる大浦為信(おおうらためのぶ)によって浪岡城は攻め落とされ浪岡氏は滅亡しました。

浪岡氏の興亡を見守った浪岡城

写真:木村 岳人

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浪岡城の跡地は長きに渡り畑や水田として使われていましたが、昭和52年(1977年)から発掘調査が行われ、現在は史跡公園として整備されています。

城域に隣接して駐車場と案内所が設置されていますので、ここを拠点に散策を始めましょう。案内所の裏手から散策路が伸びており、その道筋をたどって歩けば30分ほどで城内を一周することができます。

浪岡川の河岸台地に連なる8つの曲輪

浪岡川の河岸台地に連なる8つの曲輪

写真:木村 岳人

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浪岡城は浪岡川に沿った河岸台地の上に築かれており、川の流れと切り立った地形を天然の堀として利用しています。その縄張(設計)は城主の居館が置かれていた「内館(うちだて)」を中心とし「西館」「北館」「東館」「猿楽館」「検校館」「新館」「外郭」の計8つの曲輪(区画)が扇状に配されているのが特徴です。

浪岡川の河岸台地に連なる8つの曲輪

写真:木村 岳人

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案内所から「猿楽館」の脇を通って散策路を上がっていくと、まずは「東館」にたどり着きます。その一角には浪岡城の模型が設置されていますので、城の構造や曲輪の位置関係を把握しておくと散策がより捗ることでしょう。

各曲輪の周囲には二重堀が巡る!

各曲輪の周囲には二重堀が巡る!

写真:木村 岳人

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浪岡城における最大の特徴は、各曲輪の周囲に幅の広い堀を巡らせているところにあります。それもただの堀ではなく、中央部に細長い中土塁を設けた二重堀となっており、城の防衛能力をより強固なものとしていました。

各曲輪の周囲には二重堀が巡る!

写真:木村 岳人

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中土塁は通路としても使用されており、曲輪間の行き来は必ず中土塁を通る作りとなっています。各曲輪と中土塁を橋で繋ぐことで、城全体をまるで迷路のような複雑な構造に仕立て上げていたのです。

家臣の屋敷が建ち並んでいた「北館」

家臣の屋敷が建ち並んでいた「北館」

写真:木村 岳人

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「東館」から中土塁を通って進んでいくと、浪岡城で最も広い曲輪である「北館」に差し掛かります。「北館」は現在もその周囲を土塁(土の壁)が取り囲んでおり、より城らしい雰囲気を味わうことができます。

家臣の屋敷が建ち並んでいた「北館」

写真:木村 岳人

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かつての「北館」には整然と区画された住居が複数存在したことが発掘調査によって分かっており、家臣の屋敷地が並んでいたと考えられています。それぞれの敷地には掘立柱の主屋を中心に、井戸や竪穴式の附属屋が配されていました。またその路地は複雑に入り組んだものであり、「内館」への道筋を分かりにくいものとしていました。

現在の「北館」には路地の板壁や主屋の柱が復元整備されており、建物の位置関係を視覚的に把握できるようになっています。

「内館」で浪岡氏の歴史に思いを馳せる

「内館」で浪岡氏の歴史に思いを馳せる

写真:木村 岳人

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「北館」から西側の中土塁へ出てさらに進んで行くと、ようやく浪岡城の中枢である「内館」に到着します。城主の居館が存在した「内館」はその威厳を示すかのように他の曲輪よりも高く造成されており、曲輪の虎口(出入口)は登って入る坂虎口となっています。

「内館」で浪岡氏の歴史に思いを馳せる

写真:木村 岳人

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現在、「内館」には桜の木々が生い茂り、明治13年(1880年)に建立された有栖川宮熾仁親王の揮毫による石碑が立っています。かつては立派な屋敷が存在したであろう「内館」に立ち、一時は栄華を誇りながらも滅亡した浪岡氏の歴史に思いを馳せましょう。

なお、浪岡城の地中からは武器類をはじめ食器や調理器具などの日用品、農工・建築用品、宗教用具など多種多様な品々が5万点以上も出土しており、当時の生活を知る重要な手掛かりとなっています。それらの遺物は浪岡城の西にある「青森市中世の館」に展示されていますので、併せて訪れると良いでしょう。

浪岡城の基本情報

住所:青森市浪岡大字浪岡字五所14-1
電話番号:0172-62-0363
アクセス:
JR奥羽本線「浪岡駅」から浪岡地区コミュニティバス王余魚沢線で約10分「浪岡城跡前」バス停下車すぐ
JR奥羽本線「浪岡駅」から徒歩約30分
見学期間:通年(冬季は降雪のため一部エリアのみ見学可能)
入場料:無料

2020年7月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。

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