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写真:島塚 渓
地図を見る妻木晩田遺跡は、弥生時代中期末から古墳時代前期(1世紀前半から3世紀前半)にかけて栄えた古代の集落跡です。現在までに全体の10分の1程度しか発掘されていないのにもかかわらず、その面積は156ヘクタールもあり、九州の吉野ケ里遺跡よりも大きな規模を誇る巨大なムラの遺跡となっています。
写真:島塚 渓
地図を見るこれまでの調査で妻木晩田遺跡では、竪穴住居跡約450棟、掘立柱建物跡約510棟、墳墓39基が発見されており、ここが古代出雲文化圏において重要な場所だったと推定されています。
また、標高90メートルから150メートルの尾根を中心に遺構が残されているため、眼下には日本海を臨む大パノラマを堪能することができます。この付近には、首長の墓域や防御用の環壕が造られていたことが確認されており、人々の安全を守るため、このような小高い位置に集落が形成されたと考えられています。
写真:島塚 渓
地図を見る海の手前に写っている弓ヶ浜半島半東(ゆみがはまはんとう)は、全長約17キロメートルの日本有数の砂州です。弧を描いていたような美しい形状の砂浜は、日本古来の製鉄法「たたら製鉄」で、砂鉄を採取する際に流出した砂が堆積したことによって形作られました。
また、この地方に伝わる「国引き神話」では、神様が土地を引き寄せるための綱として弓ヶ浜半島が使われるなど、歴史の神秘に彩られた場所となっています。
写真:島塚 渓
地図を見る集落の東側には、竪穴住居(たてあなじゅうきょ)や掘立柱の建物で再現した弥生時代のムラの様子が復元されています。このあたりは当時の居住地区があったエリアで、もっとも高い場所には首長の住居や祭殿と推定される建物跡が見つかっています。
写真:島塚 渓
地図を見る古代の人々は、地面を少し堀りさげて屋根をつけた竪穴住居と呼ばれる家に住んでいました。竪穴住居は半地下式のため保温性が高く、内部には炉が設けられていたことから、外気温の影響も受けにくい住みやすい環境になっていました。
写真:島塚 渓
地図を見る一方、掘立柱建物は倉庫や神殿などに利用されていたと考えられています。食料や道具類を水害や湿気、さらには他の動物などから守るために、高床式の構造が重宝されました。
現代と違い住居のほとんどは竪穴式の半地下構造で、柱を使った建物は貴重だったことが分かります。
写真:島塚 渓
地図を見る遺跡の一角には、発掘されたままの竪穴住居跡を見学できる「遺構展示館」と、発掘についての知識が得られる「発掘体感ひろば」が整備されています。
発掘体感ひろばでは、測量機器や土の堆積状況を調べる様子が展示されており、どのように発掘調査が行われたかが分かりやすく解説されています。
写真:島塚 渓
地図を見る遺構展示館内では、竪穴住居跡が風雨に耐えるように加工保存され、発掘された当時の姿で展示されています。
古代の竪穴住居については、文字や絵画のような記録資料が残っていないので、発掘調査の成果が非常に重要になってきます。そのため、保護手段を講じながら、遺構がどのような状態で見つかり、どういった用途で使われていたかを来場者に丁寧に伝えるための工夫が凝らされています。
住所:鳥取県西伯郡大山町妻木1115-4
料金:無料
開場時間:9:00〜17:00(入場は16:30まで)
休み:年末年始(12月29日から1月3日)、毎月第4月曜日(祝日の場合は翌日)
2020年9月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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