写真:乾口 達司
地図を見る「浮御堂(うきみどう)」の名で知られる「満月寺(まんげつじ)」は、滋賀県大津市の堅田地区にある臨済宗大徳寺派の寺院。平安時代の僧・源信(恵心僧都)によって琵琶湖から引きあげられた黄金の阿弥陀仏像を安置したのが、はじまりであるといわれています。源信は引きあげた阿弥陀仏とは別に、千体の阿弥陀仏像も奉安して浮御堂を建立したことから、浮御堂は「千仏閣」「千体仏堂」とも呼ばれています。その後、荒廃。江戸時代になって再興され、多くの参詣者を集めるようになりました。
「近江八景」は中国・洞庭湖周辺の景観にもとづいて選定された「瀟湘八景」の近江版として、近世初頭に選定されたとされています。そのうちの一つ「堅田落雁」は、この浮御堂付近の湖面に雁の群れが舞い降りる情景を表したものとされており、満月寺が近江国を代表する名所であったことがうかがえます。
写真:乾口 達司
地図を見る浮御堂は木造平屋建の瓦葺。建築面積は37平方メートルで、国の登録有形文化財となっています。
山門で拝観料を支払うと、境内の一角にある浮御堂に参拝することができます。琵琶湖に突き出すようにして建てられている浮御堂は、ご覧のように、岸辺とお堂とを石橋でわたした構造となっています。したがって、石橋を渡る際、少し怖く感じられる方もいらっしゃるかも知れませんが、ここは勇気を出して渡ってみましょう。
写真:乾口 達司
地図を見る浮御堂からは琵琶湖を一望することができます。
ここからは滋賀県を代表するスポットをいくつも眺めることができます。たとえば、写真の左手、琵琶湖の対岸に写り込んでいる三角形の山は三上山。「近江富士」の別名を持つ、滋賀県を代表する山の一つです。
写真:乾口 達司
地図を見る浮御堂から北方に目をやると、ご覧のように、長い橋も見られます。こちらは琵琶湖の西岸(大津市)と東岸(守山市)とを結ぶ「琵琶湖大橋」。全長は1300メートル以上もあり、琵琶湖の両岸を結ぶ唯一の橋です。
写真:乾口 達司
地図を見るしかし、浮御堂はどうやって湖面の上に立っているのでしょうか。木造の建造物であれば、水の浸食に耐えられず、柱が腐食してしまうのではないか。そんな疑問を抱く方も多いことでしょう。
その答えは、浮御堂の下にあります。石橋の上から浮御堂の下を覗き込んでみましょう。木造のお堂を支える支柱がコンクリート製であることに、お気づきになるのではないでしょうか。
実はこの浮御堂、先代のお堂が1934年(昭和9)に襲来した室戸台風によって倒壊し、現在、私たちが目にしているのは、1937年(昭和12)に再建されたもの。その後、1982年(昭和57)にも修復工事がなされ、腐食や風雨による倒壊の危険を極力抑えるため、お堂を支える柱がコンクリート製に変えられているのです。
写真:乾口 達司
地図を見るそれは岸辺と浮御堂とをつなぐ石橋にも当てはまります。岸辺から見ると、橋脚がやはりコンクリート製になっています。平安時代より存在するといわれている浮御堂も、実は現代の建築技術によっていかされているのですね。
写真:乾口 達司
地図を見る浮御堂を拝観した後は、境内もめぐってみましょう。
写真は山門。竜宮城を彷彿とさせる門で、江戸時代に建立されたものです。
写真:乾口 達司
地図を見る観音堂に安置されているのは、秘仏の本尊・聖観音菩薩坐像。平安時代の作で、国の重要文化財となっています。厨子の前に置かれた写真から、ご本尊がどのようなお姿をしているのか、うかがうことができますよ。
写真:乾口 達司
地図を見る近江八景の一つであったことから、古来、多くの文人墨客が満月寺を訪れました。そのうちの一人に高浜虚子がいます。浮御堂から湖面を眺めると、写真のような石柱の立っているのに、お気づきになるでしょう。これは虚子の句を刻んだ石碑で「湖もこの辺りにして鳥渡る」と刻まれています。
ほかにも、「鎖あけて月さし入れよ浮御堂」と呼んだ松尾芭蕉の句碑なども建立されているため、ご自身で探してみましょう。
浮御堂の名で知られる満月寺がいから風光明媚なところであるか、おわかりいただけたでしょうか。近江八景の一つに数えられているだけあり、その眺めは絶景。お天気のよい日に訪れ、先人たちが愛した眺めをご堪能ください。
住所:滋賀県大津市本堅田1-16-18
電話番号:077-572-0455
アクセス:JR湖西線「堅田駅」から徒歩約20分
拝観料:300円
2020年9月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2025/2/10更新)
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