最大2万円分お得 Go To トラベル キャンペーン

和歌山・高野山の総本山「金剛峯寺」で風格ある美を感じよう!

和歌山・高野山の総本山「金剛峯寺」で風格ある美を感じよう!

更新日:2020/09/08 16:42

モノホシ ダンのプロフィール写真 モノホシ ダン 総合旅行業務取扱管理者、総合旅程管理主任者
和歌山県高野山は、「紀伊山地の霊場と参詣道」として、熊野三山、吉野大峯とともに世界文化遺産に登録されています。そして、高野山一山の総本山が「金剛峯寺」です。檜皮葺の美しい屋根を持つ主殿、襖絵に高野山の四季や高野山開創の風景が色鮮やかに描かれた別殿、広大な規模を誇る蟠龍庭などが一般に公開されています。金剛峯寺の堂内を巡って、遙かな歴史に培われた高野山の風格ある美を感じてみませんか?

新型コロナウイルスの感染状況によっては、各自治体ごとに往来の自粛を要請している場合や、施設によっては休業していることがあります。各種報道機関の発表、施設や各自治体のホームページなどで最新情報をご確認ください。また、お出かけの際は感染予防のため「新しい旅のエチケット」を守って行動しましょう。(LINEトラベルjp)
LINEポイント還元中!旅行代10万円×還元率10%なら10,000ポイントもらえる!※一部サービス・取り扱い旅行会社のみ 詳しくはこちら

金剛峯寺のはじまりは豊臣秀吉ゆかりの青巌寺から

金剛峯寺のはじまりは豊臣秀吉ゆかりの青巌寺から

写真:モノホシ ダン

地図を見る

金剛峯寺は、全国に約4000の末寺をもつ高野山真言宗の総本山です。もとは弘法大師の甥・真然大徳(しんぜんだいとく)の御住坊があった場所で、1593年(文禄2年)、豊臣秀吉が亡き母の菩提を弔うために応其(おうご)上人に命じて建立した青巌寺がそのはじまりです。

そして、明治時代に、隣接する興山寺と合併され、金剛峯寺と改称されました。なお、金剛峯寺の名称は弘法大師が、『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経の深意を象徴するものとして、高野山一山の総称でした。

写真は、正門。金剛峯寺の建物の中では一番古く、1593年(文禄2年)に再建されました。現在は、一般に開放されていますが、昔はこの門を正面から出入りできるのは皇族や高野山の重職だけで、一般の僧侶は右側の小さなくぐり戸を通りました。

金剛峯寺のはじまりは豊臣秀吉ゆかりの青巌寺から

写真:モノホシ ダン

地図を見る

正門をくぐると金剛峯寺の主殿があります。現在の建物は、1863年(文久3年)に再建されたものです。主殿の建物の正面には、左側の大玄関と右側の小玄関という2つの玄関があります。

先の正門と同じく、昔は大玄関を出入りできるのは天皇・皇族や高野山の重職のみ。小玄関は上綱(じょうこう)職の僧侶が利用。一般の僧侶は裏口から出入りしました。

金剛峯寺のはじまりは豊臣秀吉ゆかりの青巌寺から

写真:モノホシ ダン

地図を見る

なお、金剛峯寺の屋根には、木製の大きな桶がいくつか置かれています。これは天水桶といい、火災が発生した際に、桶の中に貯まった雨水で檜皮葺の屋根に水をまいて、火の粉を押さえ、類焼を防ぐという役割を果たしました。

金剛峯寺では最高の格式がある「書院上壇の間」と「奥書院」

金剛峯寺では最高の格式がある「書院上壇の間」と「奥書院」

写真:モノホシ ダン

地図を見る

主殿では、襖絵が見事な大広間や持仏間、梅の間、柳の間のほかに、天皇や上皇が高野山に入られた際に使用された書院上壇の間、防寒用の囲炉裏がある奥書院など、数々の部屋を拝観することができます。写真は、江戸時代後期の絵師・山本探斉が描いた柳鷺図(りゅうろず)が見られる柳の間。

1595年(文禄4年)に豊臣秀吉の甥、豊臣秀次が自害したことから「秀次自刃の間」ともいわれています。秀次は、豊臣政権の後継者として関白の職を譲られて、家督を相続しました。

しかし、秀吉に嫡子「秀頼」が誕生すると豊臣家の勢力争いに巻き込まれ、強制的に高野山青巌寺へ出家させられると蟄居の後に切腹となりました。享年28歳でした。

金剛峯寺では最高の格式がある「書院上壇の間」と「奥書院」

写真:モノホシ ダン

地図を見る

書院上壇の間は、昔、天皇や上皇が登山された際に、応接間として使われたところです。現在は、高野山の重要な儀式がここで行われています。壁は、総金箔押しで、天井は格式の高い折上式格子天井で書院造りの様式になっています。

さらに、上々壇の格天井にはすべて花の彫刻が施されています。欄間は透し彫りで、床の間では弘法大師をお祀りしています。上壇右側にある小さな房のついた襖は「武者隠し」です。襖の向こうには一室の部屋があり、天皇や上皇の随行者が不寝番をしていました。

金剛峯寺では最高の格式がある「書院上壇の間」と「奥書院」

写真:モノホシ ダン

地図を見る

奥書院は、上壇の間とともに、最高の格式がある部屋で、以前は皇族方の御休憩所にあてられていました。奥には囲炉裏があり、冬には薪をたいて暖をとりました。

襖絵は、江戸時代初期に活躍した雲谷派の絵師・雲谷等益(うんこくとうえき)と、その息子の雲谷等爾(うんこくとうじ)の筆によるものと伝えられています。

石庭としては、国内で最大級の広さを誇る「蟠龍庭」

石庭としては、国内で最大級の広さを誇る「蟠龍庭」

写真:モノホシ ダン

地図を見る

主殿から渡り廊下で繋がっている新別殿は、1984年(昭和59年)、弘法大師御入定・1150年御遠忌大法会の際、大勢の参詣者への接待所として新設されたものです。ここでは、給茶機からお茶をいただいて休憩したり、随時開催されている僧侶による法話を聞くことができます。

石庭としては、国内で最大級の広さを誇る「蟠龍庭」

写真:モノホシ ダン

地図を見る

新別殿の北側に広がる蟠龍庭は、新別殿と同じく、弘法大師御入定1150年・御遠忌大法会の際に造園されました。石庭としては、国内で最大級(2340平方メートル)の広さを誇っています。

京都の白川砂と四国産の青い花崗岩で、雲海の中に浮かぶ雌雄の龍が奥殿を守る様子を表しています。秋は、紅葉の名所でもあります。

LINEポイント還元中!旅行代10万円×還元率10%なら10,000ポイントもらえる!※一部サービス・取り扱い旅行会社のみ 詳しくはこちら

別殿で、守屋多々志画伯による高野山の襖絵を鑑賞しよう

別殿で、守屋多々志画伯による高野山の襖絵を鑑賞しよう

写真:モノホシ ダン

地図を見る

新別殿と同じく主殿と渡り廊下で結ばれている別殿は、1934年(昭和9年)、弘法大師御入定1100年・御遠忌大法会の際に建てられた桃山様式の建築です。内部は、西・東両側に各四つの部屋が並んでいて、それぞれの部屋には、日本画家・守屋多々志画伯による襖絵が展示されています。

西側の部屋は、花の間の連続で、四季の花鳥が描かれています。写真は、第四室の「楓」。高野山の美しい秋を彩る楓の紅葉を描いたもの。

別殿で、守屋多々志画伯による高野山の襖絵を鑑賞しよう

写真:モノホシ ダン

地図を見る

東側の部屋には、弘法大師入唐から高野山草創までの風景が描かれています。第六室には、左側面に「長安の楽遊原(らくゆうげん)」、正面に「唐の都長安 春明門」(写真)、右側面に「曲江池(きょくこうち)」が描かれていて、現在の京都の約3倍の広さがあった世界最大の都市、長安(西安)の殷賑を極めていた様子が窺えます。

別殿で、守屋多々志画伯による高野山の襖絵を鑑賞しよう

写真:モノホシ ダン

地図を見る

第八室は、「高野草創」。弘法大師・空海は、唐での約2年間の留学を終えて、806年(大同元年)に帰朝。真言密教の宣布の活動に入りました。

聖地を求め、紀伊国の山中にて地主権現・丹生都比売神の御子神である狩場明神に出会い、その従えた白黒二匹の犬の先導にて、八葉蓮華の峰々に囲まれた聖地高野山を発見。ここを根本道場として、金剛峯寺を開創することを決意しました。

高野山第二世 真然大徳の「真然廟」もお参りしたい

高野山第二世 真然大徳の「真然廟」もお参りしたい

写真:モノホシ ダン

地図を見る

別殿で、襖絵を鑑賞したら主殿に戻りましょう。主殿の北側には、弘法大師の甥で、高野山第二世となった真然大徳の御廟所・真然大徳廟(県指定重要文化財)があります。

真然僧正は、讃岐国佐伯氏に生まれ、高野山の経営に従事すること56年、大師の理想を受け継ぎ、伝法会の基をひらき、次の時代の真言宗中興の祖である覚鑁上人に大師の精神を伝えました。

廟は、1640年(寛永17年)の建立。正面に向拝を設け、屋根は宝形造、檜皮葺の建物です。当初、真然堂と呼ばれていましたが、1988年(昭和63年)に、真然大徳のお骨が納められた御舎利器が出土して、ここが真然廟であることが明らかになりました。

高野山第二世 真然大徳の「真然廟」もお参りしたい

写真:モノホシ ダン

地図を見る

高野山は大変に冬が厳しいところで、寒さをしのぐために囲炉裏の間、土室(つちむろ)が設けられました。土室とは「土を塗り固めて作った部屋」という意味です。

写真の正面のお供えは、仏様への精進供(しょうじんぐ)。精進供とは、生野菜や乾物などを加工せずにそのままお供えすることです。高野山では先の方を斜めに切っていて、新鮮なものを調理して仏様に召し上がっていただくという意味があります。

高野山第二世 真然大徳の「真然廟」もお参りしたい

写真:モノホシ ダン

地図を見る

金剛峯寺の台所は、大勢の僧侶の食事を賄ってきた場所です。台所には、大きな竈(かまど)や煙突が残されていて、現在も重要行事の際に使用されています。

写真の二石釜は、釜一個で約七斗(98キログラム)の御飯を炊くことができる大釜で、並んだ三つの釜で一度に二石(約2000人分)の御飯を炊くことができました。二石釜は、昭和50年代まで、年末の餅つきの際に使われていました。

この台所を含め、主殿全体が和歌山県の重要文化財に指定されています。

高野山を訪れたら、高野山真言宗の総本山金剛峯寺で、江戸時代から現代までの絵師が描いた襖絵や、国内最大規模を誇る蟠龍庭などで、開創から約1200年の遙かな歴史に培われた高野山の風格ある美を体感してみてください。

高野山真言宗総本山 金剛峯寺の基本情報

住所:和歌山県伊都郡高野町高野山132
電話番号:0736-56-2011
拝観料:一般500円、小学生200円、小学生以下無料
拝観時間:8:30〜17:00
アクセス:高野山駅から「大門南駐車場行き」バスで約10分、金剛峯寺前バス停下車
車利用の場合、京奈和自動車道「紀北かつらぎIC」から約45分、金剛峯寺駐車場利用

2020年9月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

LINEポイント還元中!旅行代10万円×還元率10%なら10,000ポイントもらえる!※一部サービス・取り扱い旅行会社のみ 詳しくはこちら
掲載内容は執筆時点のものです。 2020/08/31 訪問

- PR -

条件を指定して検索

LINEトラベルjpで一緒に働きませんか?

- PR -

旅行ナビゲーター(在宅ライター)募集中!
この記事に関するお問い合わせ

- PR -