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朝倉軍を退けた難攻不落の前線基地!福井県美浜町「国吉城」

朝倉軍を退けた難攻不落の前線基地!福井県美浜町「国吉城」

更新日:2020/09/13 10:19

木村 岳人のプロフィール写真 木村 岳人 フリーライター
福井県の南西部に位置する美浜町の佐柿(さがき)地区、かつての若狭国の東端にそびえる「国吉城」は、越前国からの侵攻を防ぐ国境の要衝として築かれた中世山城です。

城山山頂の本丸を中心に、北西へと伸びる尾根に沿って雛壇状の曲輪(くるわ、城の区画)が連なっており、また山麓には城主が住む居館を構えているなど中世山城の典型的な遺構を今に残すことから、日本城郭協会の続日本100名城に選ばれています。

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10年にわたり朝倉氏の侵攻を防ぎ続けた国吉城

10年にわたり朝倉氏の侵攻を防ぎ続けた国吉城

写真:木村 岳人

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国吉城は戦国時代の弘治2年(1556年)に若狭国の守護であった武田氏の重臣「粟屋勝久(あわやかつひさ)」が築城しました。永禄6年(1563年)には越前国の朝倉氏による攻撃を受け、以降は10年間に渡り毎年のように侵攻の危機にさらされましたが、勝久はその度に国吉城で朝倉氏を撃退し続けました。

元亀元年(1570年)の織田信長による越前攻めでは国吉城が前線基地となり、その際に信長は長年に渡る勝久の武功を賞賛しています。天正元年(1573年)の「一乗谷城の戦い」では勝久自身が先陣を切り、朝倉氏の滅亡を見届けました。

10年にわたり朝倉氏の侵攻を防ぎ続けた国吉城

写真:木村 岳人

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天正11年(1583年)には豊臣秀吉の家臣である「木村定光(きむらさだみつ)」が城主となり、国吉城の改修と城下町を整備を行っています。江戸時代に入ると程なくして廃城となり、代わりに町奉行所が置かれました。

現在、町奉行所の跡地には「若狭国吉城歴史史料館」が存在します。その建物は江戸時代後期に築かれた庄屋の屋敷「旧田辺半太郎家住宅」を移築・改装したもので、国の有形文化財に登録されています。

10年にわたり朝倉氏の侵攻を防ぎ続けた国吉城

写真:木村 岳人

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史料館には国吉城のパンフレットや続100名城スタンプが置いてあり、また城の立体模型をはじめ様々な情報や品々が展示されています。国吉城のみならず佐柿地区の歴史について知ることができますので、最初に立ち寄ることをおすすめします。

まずは山麓の「城主居館跡」を要チェック!

まずは山麓の「城主居館跡」を要チェック!

写真:木村 岳人

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城山を登り始める前に、まずは山麓に広がる居館跡を散策しましょう。三本の谷筋が合流する地点に開削された平場が連なっており、その中で最も広い曲輪がかつて城主が暮らしていた居館跡です。

中世の山城では、平時は山麓の「居館」で生活を行い、戦時になると山上の「詰の城」に籠って敵を迎撃しました。国吉城は「居館」と「詰の城」の両方の遺構が良好に残っており、これぞ中世山城というべき様相を目にすることができます。

まずは山麓の「城主居館跡」を要チェック!

写真:木村 岳人

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なお、中世の山城は石垣を使用しない土の城であるのが一般的ですが、国吉城では木村定光が城主となった際に総石垣の城として改修されています。以降も歴代の城主によって改築が繰り返されており、特に居館跡の南側に見られる石垣は江戸時代初頭に築かれたもので、「算木積(さんぎづみ)」など、より高度な技術を用いています。

ただし国吉城の石垣は廃城の際に破壊を受けており、石垣の上部がすべて取り除かれています。築造当初は現存するものよりも高く、より立派でした。

喰違虎口と高土塁で防御を固めた「二ノ丸」

喰違虎口と高土塁で防御を固めた「二ノ丸」

写真:木村 岳人

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居館跡から本丸へと至る登城路は、谷筋を行く九十九折の山道です。階段状に整備されてはいますが、なかなかに急な道のりですので、歩きやすい服装と靴で挑みましょう。

喰違虎口と高土塁で防御を固めた「二ノ丸」

写真:木村 岳人

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登城口から10分足らずで中腹の平場に差し掛かります。ここは「二ノ丸」と呼ばれる曲輪の跡で、侵入してきた敵の行く手を阻んで迎撃するための「喰違虎口(くいちがいこぐち)」が設けられています。また南側には高さ2mを越える高土塁(土の城壁)が連なっており、極めて厳重に守られていた曲輪であることが分かります。

それもそのはず、往時の登城路は現在の谷筋ではなく西側の尾根を通っていたと考えられており、この二ノ丸は本丸へ向かうには必ず通る防衛の要でした。

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「北堀切」にはより古い石垣が残る!

「北堀切」にはより古い石垣が残る!

写真:木村 岳人

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二ノ丸からさらに山道を上り詰めると平坦な帯曲輪に入り、そのまま道なりに進んでいくと「北堀切」に到達します。これは本丸と尾根沿いに連なる曲輪の間を断ち切ることで敵の足を止めるための防御施設で、より古い粟屋勝久の時代に築かれた石垣が残っています。

また北堀切の両岸には橋脚の礎石(柱を支える基礎)と思われる平石が確認されており、かつては堀切を渡るための橋が架けられていたことが分かっています。

「北堀切」にはより古い石垣が残る!

写真:木村 岳人

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なお、この北堀切には石仏や五輪塔の一部が並べられています。これらは周辺地域から集められたもので、石垣の石材や籠城時に攻めてくる敵へ投げつける投石として使われていたといいます。信仰の対象である石仏まで石垣や投石に利用していたとは、なりふり構っていられない当時の緊迫した状況が伝わってきますね。

「本丸」からは東西を広く見渡せる!

「本丸」からは東西を広く見渡せる!

写真:木村 岳人

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北堀切から最後の坂を上ると標高197.3mの山頂に位置する本丸に到着します。本丸の周囲にも部分的に石垣が残っており、国吉城の中枢にふさわしい威厳が感じられる曲輪です。

特に木村定光の時代には格式を重んじた改修が行われており、本丸の北西虎口には遠方から運んできた大ぶりの鏡石や礎石が残っています。また本丸の南端には櫓台と思われる高まりがあり、礎石建物の痕跡が確認されていることから天守が存在した可能性も考えられます。

「本丸」からは東西を広く見渡せる!

写真:木村 岳人

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実際に本丸に立ってみると、その眺めの良さに驚かされます。西側に広がる佐柿の集落や耳平野はもちろんのこと、東側の越前国から続いている旧丹後街道も一望のもとで、攻めてくる朝倉軍の動向は丸見えだったことでしょう。まさに若狭国を入口を守るに適した、鉄壁の堅城だったに違いありません。

国吉城の基本情報

住所:福井県三方郡美浜町佐柿
アクセス:
JR小浜線「美浜駅」から登城口まで徒歩約25分
登城口から本丸まで徒歩

<若狭国吉城歴史史料館>
電話番号:0770-32-0050
休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
開館時間:
4〜11月:9〜17時(入館は16時30分まで)
12〜3月:10〜16時30分(入館は16時まで)
入場料:大人100円、小人50円

2020年9月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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掲載内容は執筆時点のものです。

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