写真:万葉 りえ
地図を見る1875年、当時辻川村と言われたこの地で松岡家の六男として生まれたのが柳田國男先生(のちに柳田家へ養子)です。
農商務省や法務省などで務めた後、45歳で退官。その後は各地に残る信仰や習慣、行事などをたずねて全国を歩き、沢山の著書を出すとともに日本の民俗学を樹立していったのでした。
その先生が子どもの頃に暮らしていたのが、辻川山公園に保存されているこちらの家。田の字型の家に両親と兄弟だけでなく、なんと兄夫婦も。暮らしていた人数の多さを考えると、のちに著書の一つで「日本一小さい家」と評したのもわかる気がしませんか。
「民俗学の父」と言われる先生の生家をスタートし、著書「妖怪談義」ゆかりの妖怪たちも待つ福崎町を巡ってみましょう。
写真:万葉 りえ
地図を見る生家の後ろには「柳田國男・松岡家記念館」が建ち、そしてその後ろに並ぶように建つのがこちらのレトロでお洒落な建物です。1886年に建てられたかつての郡役所。現在は歴史民俗資料館になっていて、記念館とともに見学は無料です。
写真:万葉 りえ
地図を見る記念館が先生個人を記念しているわけではない事に疑問を持たれたかもしれません。
先生だけでなく、医師、政治家、海軍大佐、日本画家、と分野は違っても、それぞれに大きな功績を残した松岡家の兄弟。記念館ではその足跡をたどることができるようになっています。
そして辻川山に整備されているのがこちらの「学問成就の道」です。この山、標高は登りやすい126メートル。所々に松岡家五兄弟の石像が設置され、頂上の展望台からは町内が見渡せます。
写真:万葉 りえ
地図を見るでは、そろそろユーモラスな妖怪達に会いに行ってみましょう。まずはご紹介している辻川山公園にいる妖怪たちから。
福崎町には市川という川が流れていて、昔は駒ヶ岩という大岩が子どもたちの遊び場でした。しかし河童(かっぱ)が時々子どもたちの足をつかみ尻子玉(しりこだま)を抜くという悪さをしていたのです。なんと先生も子どもの頃に尻子玉を抜かれそうになったことがあるとか…。
しかし、時代とともに伝説から消えてしまいそうになった自分たちの存在を取り上げて、世に伝えてくれた先生。河童の兄弟は先生に謝ろうとここへやって来たというのです。しかし、待っている間に兄の河太郎(がたろう)はお皿の水が渇いてしまい、ご覧のように固まってしまっています。
写真:万葉 りえ
地図を見るしかし弟の河次郎(がじろう)は水の中なので今も元気いっぱい。時々「先生が帰ってきたのではないか」と水の中から現れますよ。
また、この公園では逆さ天狗が小屋から出てくる姿も見られます。天狗が手にしているのは先生からもらったというもち麦どら焼き。こちらもお見逃しなく。
<辻川山公園の基本情報>
住所:兵庫県神崎郡福崎町西田原
アクセス: 播但連絡道路・中国自動車道 福崎ICから約5分
河次郎の出没時間:9:00〜17:00 毎時0分 15分 30分 45分
辻川山公園には河童や天狗だけでなく、全国妖怪造形コンテストの優秀な作品も展示されています。
そして町中にも妖怪たちが待っているのが福崎町の楽しいところ。寿司店の前のベンチでは、ビジネスマン姿の天狗がPCでお仕事中のようです。
そして、スーパーマーケットのベンチでは鬼が熱心に自撮り中。さあ、鬼の横に座って、一緒にカメラにおさまりましょう。
他にも、観光交流センターのベンチでは将棋の相手を待つ河童がいたり、一反木綿がコンビニのベンチにいたり…。一緒にベンチに座って撮りたくなる妖怪が町じゅうのあちこちにいる福崎町。ぜひ、町のホームページから「妖怪ベンチ 探検マップ」をダウンロードして、妖怪との記念写真を楽しみましょう。
写真:万葉 りえ
地図を見るでは、他にも歴史を伝える建物を紹介しておきましょう。
福崎町の北側にある朝来市には、平安時代に開坑したと伝わる生野銀山があります。その重要性は、織田信長など時々の権力者が自分の手中におさめようとしたことからもわかるでしょう。
明治政府も新政府誕生早々から生野で産出される銀を重要視。銀山と現在の姫路港を結ぶ専用ルートを明治9年には完成させたほどでした。それが巨費を投じて完成させた「銀の馬車道」と呼ばれる日本初の高速道路。その道の当時の雰囲気がよく残っているのが福崎町です。
こちらはその銀の馬車道沿いに大正期に建設された郵便局。辻川山公園から近い場所で、今も当時とほとんど変わらぬ姿で保存されています。
<旧辻川郵便局の基本情報>
住所:兵庫県神崎郡福崎町西田原
写真:万葉 りえ
地図を見るその郵便局を私財で建てたのが、江戸時代を通じて姫路藩の大庄屋を務めていた三木家です。旧郵便局と並ぶように建つ三木家住宅。主屋、副屋、離れ、酒蔵など現存する9棟はすべて県の重要文化財。銀の馬車道建設にあたっては、三木家が屋敷地の一部を提供したおかげで宿場町の中央を道が通るようになりました。
また、松岡家と交流があった縁で、11歳の時に一年間三木家に預けられた先生。その時ここで歴代の当主が集めた大量の書物と出会い、それが後々日本民俗学がうまれる基になったといいます。
現在妖怪に会いにたくさんの人が町を訪れますが、そのきっかけを産んだのは三木家と言えるかもしれません。
<三木家住宅の基本情報>
住所:兵庫県神崎郡福崎町西田原1106
電話番号:0790-23-0033
公開日:土曜日、日曜日、祝日
辻川山公園を中心に散策できる福崎町の見所。おなかがすいたら、辻川山公園からも良く見える「もちむぎのやかた」のレストランがお薦めです。「もち麦」は福崎町の特産品で、普通の麦と違ってモチモチ感が強く栄養成分がいっぱい。ここで、うどんとも蕎麦とも違う独特の食感をどうぞ(関連MEMO参照ください)。
ユーモラスな妖怪たちと美味しいものが待つ福崎町。この町で休日の散歩を楽しんでみませんか。
2020年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/3/19更新)
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