江北と江南の境目を守った中世山城!滋賀県米原市「鎌刃城」

江北と江南の境目を守った中世山城!滋賀県米原市「鎌刃城」

更新日:2020/09/14 14:11

木村 岳人のプロフィール写真 木村 岳人 フリーライター
滋賀県北東部の米原市、古くから交通の要衝であった番場(ばんば)地区に、中世の山城である「鎌刃(かまは)城」がそびえています。

標高384mの主郭を中心に、三方へ伸びる尾根に沿って曲輪(くるわ、城の区画)を配した典型的な縄張り(城の設計)ですが、要所を石垣で固めるなど戦国期にしては先駆的な遺構が見られることから国の史跡に指定されており、また日本城郭協会の続日本100名城にも選ばれています。

近江を巡る攻防の舞台となった「境目の城」

近江を巡る攻防の舞台となった「境目の城」

写真:木村 岳人

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戦国時代の近江国は、江北に勢力を持つ京極氏と浅井氏、および江南に勢力を持つ六角氏が激しくしのぎを削っていました。交通の大動脈であった東山道(近世の中山道)沿いに位置する鎌刃城は江北と江南を繋ぐ「境目の城」であり、幾度となく攻防の舞台となりました。

鎌刃城の築城年代は明らではありませんが、京極氏の家臣である今井氏が記した『今井軍記』によると、文明4年(1472年)に堀氏が守る鎌刃城を攻めたという記述が見られることから、応仁の乱の頃には既に存在したことが分かります。

近江を巡る攻防の舞台となった「境目の城」

写真:木村 岳人

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堀氏は当初江南の六角氏に付いていましたが、江北の実権が京極氏から浅井氏へ移ると浅井氏に従うようになりました。その後の元亀元年(1570年)に浅井長政が織田信長によって攻められると、若き当主であった堀秀村は家老の勧めで信長方に寝返ります。秀村は浅井氏の滅亡後に坂田郡の領地を得て鎌刃城はその支配拠点となりましたが、天正2年(1574年)に改易を命じられ堀氏は没落。鎌刃城も廃城となりました。

現在、鎌刃城への登城路は麓の番場集落から始まります。集落の中ほどにある古民家「源右衛門」には続100名城スタンプと鎌刃城についての詳しいパンフレット(有料100円)が置いてありますので、散策前に立ち寄ると良いでしょう。

近江を巡る攻防の舞台となった「境目の城」

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番場集落から畑の中を進み、名神高速道路の高架橋をくぐると程なくして登山道が始まります。かなり急な上り坂が続きますので、動きやすい服装と靴で挑みましょう。なお山中にはヒルが生息していますので、手足や首筋などの肌が露出しないように気を付けてください。

ダイナミックな「北の大堀切」と「大石垣」に目を見張る!

ダイナミックな「北の大堀切」と「大石垣」に目を見張る!

写真:木村 岳人

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尾根沿いに出てから道なりに進んで行くと、やがて尾根が大きくえぐられた「北の大堀切」に差し掛かります。堀切とは尾根を断ち切ることで侵入してくる敵を足止めするための防御施設で、鎌刃城では三本の尾根にそれぞれ複数の堀切を設けています。その中でも最も巨大なものがこの「北の大堀切」で、まさに城の大手(正面)を守るにふさわしい規模を誇ります。

ダイナミックな「北の大堀切」と「大石垣」に目を見張る!

写真:木村 岳人

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大堀切からは上の曲輪へと向かう階段が続いていますが、そこを上がる前にまずは尾根の西側に回り込んでみてください。斜面に沿って築かれた「大石垣」を見ることができます。鎌刃城に残る石垣の中でも特に規模が大きいもので、その高さは約4m、長さは約30mにも及びます。

かつて鎌刃城は石垣を持たない土の城だと思われていましたが、これまでの発掘調査によって数多くの石垣が発見されており、今では城の多くの部分をこのような石垣が取り巻いていたと考えられています。

かつて存在した「大櫓」と「大手門」に思いを馳せる

かつて存在した「大櫓」と「大手門」に思いを馳せる

写真:木村 岳人

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大堀切からの階段を上がっていくと、広々とした曲輪に出ます。ここは鎌刃城の北端を防御する重要な役割を果たしていた場所で、曲輪を取り囲むように土塁(土の城壁)が巡らされています。内側の窪みからは柱の基礎である礎石が発見されており、巨大な「大櫓」がそびえていたと推測されています。

かつて存在した「大櫓」と「大手門」に思いを馳せる

写真:木村 岳人

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続く曲輪からはコの字状に石段や石垣を配した虎口(曲輪の入口)が発掘されています。礎石から薬医門形式の門を構えていたことが分かっており、その位置から「大手門」であったと考えられています。

これらの場所からは大量の鉄釘などが出土しており、「大櫓」も「大手門」も鎌刃城のシンボルというべき立派な建造物であったことがうかがえます。今に残る遺構を眺めながら、建物が存在した往時の姿に思いを馳せてみましょう。

重厚な石垣が巡る「主郭」の虎口は必見!

重厚な石垣が巡る「主郭」の虎口は必見!

写真:木村 岳人

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鎌刃城の中枢にあたる「主郭」の周囲も石積みによって固められており、特に虎口周りには石段や石垣が集中しており必見です。虎口へと続く通路状の遺構も発見されており、これは近世城郭における大手道に通じるものであるといわれ、中世山城で確認された例は少なく貴重な存在です。

重厚な石垣が巡る「主郭」の虎口は必見!

写真:木村 岳人

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また主郭の南側には石塁(石積みの城壁)が巡らされています。廃城時の破壊によって現存するものは低くなっていますが、かつては3m以上もの高さがありました。

深く切り込まれた「南の大広切」にも注目しよう!

深く切り込まれた「南の大広切」にも注目しよう!

写真:木村 岳人

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主郭から南へ伸びる尾根は主郭よりも高い山へと続いていることから、八本もの堀切によって尾根を切断し守りを固めています。特に最も主郭に近い堀切は極めて深く切り込まれ、敵を決して寄せ付けない急傾斜となっています。

深く切り込まれた「南の大広切」にも注目しよう!

写真:木村 岳人

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他にも西の尾根には小規模な曲輪が八つ連なっており、その先端付近には近江の城には珍しい連続竪堀群が確認されています。

これら三つの尾根に連なる鎌刃城の遺構は東西約400m、南北約500mの範囲に及んでおり、江北の中世山城では浅井氏の居城である小谷城に次ぐ規模を有します。なにより随所に残る石垣は戦国期における築造技術の到達点と評価されており、鎌刃城は城郭の歴史を知る上でも重要な城だと言えるでしょう。

鎌刃城の基本情報

住所:滋賀県米原市番場
アクセス:
JR東海道本線「米原駅」から湖国バス「東レ・カーボンマジック前」行きで約15分「番場バス停」下車、登山口まで徒歩約40分
JR東海道本線「米原駅」からレンタサイクルで登山口まで約15分
登山口から山頂まで徒歩約40分

2020年9月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。

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