写真:花月 文乃
地図を見る「佐保」は奈良市法蓮町から法蓮寺町におよぶ、佐保川の北側一帯をさします。佐保川は、若草山東麓を走る柳生街道の石切峠近くを起点とする一級河川です。佐保川の左右には、川をはさんで舗装された道路が続いています。
大宮橋を背に遠く若草山を目にしながら向かって左岸の道を上流に向かうと、佐保川小学校が見えてきます。佐保川小学校の前にあるのが、「水辺の楽校(がっこう)」です。
「水辺の楽校(がっこう)」は、佐保川の豊かな自然に恵まれた水辺空間を、子供の遊び場や自然体験の場とするための、自治会や佐保川小学校、PTA、市や県による、河川環境整備の取り組みです。
写真:花月 文乃
地図を見る「水辺の楽校(がっこう)」では、川の中へ降りやすいように階段を設置したり、護岸の下を階段状にして小学校1クラス分の児童が座って先生の話を聞けるスペースを設けてあります。
川沿いの道を歩くのではなく、川の近くまで降りて、その流れやせせらぎをみじかに感じることができるのも魅力です。
飛び石を渡れば、向こう岸へも移動できます。
写真:花月 文乃
地図を見る佐保川では水鳥や魚の姿を目にすることもでき、豊かな自然が感じられます。
佐保川の蛍は、室町時代ごろより南都八景の一つに数えられてきました。一時は、水質が危ぶまれた佐保川ですが、地元の人たちの取り組みや下水道整備により、蛍の姿も戻りつつあります。
<水辺の楽校の基本情報>
住所:奈良県奈良市芝辻町3丁目6−23
アクセス:近鉄新大宮駅から徒歩約7分
写真:花月 文乃
地図を見る続いて左岸の道を上流に向かいます。
佐保川の桜は、江戸時代末期に奈良奉行・川路聖謨(としあきら)が植樹させたのが始まりといわれ、その時代に植樹された樹齢約170年の桜が今でも現役で残っています。
提供元:photo AC
https://www.photo-ac.com佐保川は桜の名所としても知られ、佐保川の両端には、全長5kmに渡って途切れなく桜並木が続いています。
写真:花月 文乃
地図を見る佐保川では、春には満開の桜、秋には桜の紅葉を川端の彼岸花とともに目にすることができます。
写真:花月 文乃
地図を見るJR大和路線の鉄橋をこえて進んだ、川をはさんだ右岸の道には大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の万葉歌碑があります。万葉歌碑は、万葉集の編纂者といわれる大伴家持(おおとものやかもち)の歌碑と並んでいます。
写真:花月 文乃
地図を見る奈良時代(710〜794)の佐保は、高官の邸宅・別荘地でした。この時代に「佐保大納言」と呼ばれたのが、公卿・歌人の大伴安麻呂(おおとものやすまろ・?〜714)です。
大伴安麻呂は、壬申の乱(672)で功績をたて大納言・大将軍となりました。安麻呂は、平城遷都にともない新邸の土地を佐保に与えられ、大伴氏は、安麻呂ー旅人ー家持と三代にわたり邸宅を佐保に構えました。
大伴旅人(おおとものたびひと・665〜731)は、父・安麻呂と同じく大納言まで昇りつめた公卿・歌人です。旅人は、元号「令和」の典拠となった万葉集「梅花の歌三十二首」が詠まれた「梅花の宴」の主催者として、最近注目を浴びました。
大伴坂上郎女は、大伴旅人の妹です。万葉集の女流歌人のうち、もっとも多くの歌を残した才女として、そして、恋多き女性として知られています。
写真:花月 文乃
地図を見る月立ちて ただ三日月の 眉根掻き
日長く恋ひし 君に逢へるかも
(巻-国歌番号:6-993)
意味:新しい月になってたった三日月のような眉を掻きつつ、日々長く慕って来たあなたにお逢いしたいことよ。
古代、眉がかゆいのは恋人に会える前兆とされていました。そこから、「眉を掻くと恋人に会える」というおまじないがありました。「三日月のような眉を掻いたら、恋しいあなたに会えるかもしれない」そんな恋のおまじないの歌です。奈良時代は三日月眉が流行の眉で、美人の証でした。
<万葉歌碑の基本情報>
住所:奈良県奈良市法蓮町62−2
アクセス:近鉄新大宮駅から徒歩約15分
写真:花月 文乃
地図を見る大伴坂上郎女の万葉歌碑の隣には、大伴家持の万葉歌碑があります。
大伴家持(718〜785)は、旅人の長男で中納言まで昇った公卿・歌人です。左遷と昇進を繰り返す浮き沈みの激しい人生の中で和歌を詠み、万葉集には最多473首の歌がおさめられています。
振り放けて 三日月見れば一目見し
人の眉引き 思ほゆるかも
(巻-国歌番号:6-994)
意味:大空を振り仰いで三日月を見ると、ただ一目見た人の美しい眉が思われてなりません。
家持の実母は旅人の正妻ではありませんが、家督を継ぐ人物として育てるため、家持は正妻の大伴郎女(おおとものいらつめ)のもとで育てられました。しかし、家持は母・郎女とは11歳、父・旅人とは14歳の時に死別します。その後は、歌人である叔母の大伴坂上郎女に育てられました。
写真:花月 文乃
地図を見る和歌は家持が16歳頃の作品で、処女作ともいわれています。歌の中の「一目見し」人は、大伴坂上郎女の娘・大伴坂上大嬢をさすといわれ、坂上大嬢は家持の初恋の相手でした。後に家持は坂上大嬢を妻としています。
16歳の少年の歌にしては早熟な歌です。恋多き女性で歌人の大伴坂上郎女に育てられたことが、家持の和歌の才能を大きく切り開くきっかけになったことがうかがえます。
<万葉歌碑の基本情報>
住所:奈良県奈良市法蓮町62−2
アクセス:近鉄新大宮駅から徒歩約15分
写真:花月 文乃
地図を見る左岸の道を進んだ下長慶橋の手前エリア、船橋緑地公園にあるのが大伴坂上郎女が佐保川の青柳を詠んだ万葉歌碑です。
写真:花月 文乃
地図を見るうち上がる 佐保の川原の 青柳は
今は春へと なりにけるかも
(巻-国歌番号:8-1433)
意味:佐保の川原の青柳は鮮やかに芽吹いて、すっかりと春の風情になったことだなぁ
大伴坂上郎女は、旅人が亡くなった後の大伴家の主婦として、また、少年・家持の教育係として佐保にある大伴氏の邸宅に足繁く通いました。坂上郎女の通称は、坂上の里(奈良市法蓮町北町)住んだことに由来するといいます。この地域は、ちょうど「佐保」にあたります。
万葉歌碑は、歌に詠まれたように柳の木の下にあります。佐保に大伴坂上郎女が住んでいたことを考えると、まさに同じ風景を見ているような気持ちになるので不思議です。
<万葉歌碑基本情報>
住所:奈良県奈良市法蓮町
アクセス:近鉄新大宮駅から徒歩約15分
佐保は万葉集にゆかりのある大伴一族に関わりの深い土地であり、万葉集にも数多く歌が詠まれています。
奈良市街地を流れる佐保川ですが、美しい自然を目に川沿いの万葉歌碑を訪ねることができます。四季折々に趣を変えるその場所は、もしかすると、奈良時代に佐保で暮らす大伴坂上郎女や若き家持が歩いた道かもしれません。
あなたもぜひ、その足で佐保川の川沿いの万葉歌碑に「佐保の大伴氏」を訪ねてみてください。
2020年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/10/11更新)
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