紀伊半島縦断の夢をたどる!「五新鉄道」をめぐる奈良県五條市の旅

紀伊半島縦断の夢をたどる!「五新鉄道」をめぐる奈良県五條市の旅

更新日:2021/03/23 15:14

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員
奈良県五條市に「五新鉄道」と呼ばれる鉄道路線が存在したこと、ご存じですか?その名のとおり、奈良県五條市と和歌山県新宮市とのあいだを結ぼうとしたこの路線は紀伊半島を縦断する形で計画されていました。その完全撤退から二十年の歳月を経てもなお未成線としての痕跡が各所に残されており、廃線マニア必見のスポットです。今回は紀伊半島縦断という壮大な夢をいまに伝える「五新鉄道」の痕跡をめぐりましょう。

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紀伊半島を縦断しようとした「五新鉄道」

紀伊半島を縦断しようとした「五新鉄道」

写真:乾口 達司

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「五新線(ごしんせん)」とも呼ばれる「五新鉄道」は、奈良県五條市と和歌山県新宮市とのあいだを結ぼうとした旧日本国有鉄道の未成線。峻険な紀伊山地に阻まれ、人の往来や物資の流通に支障を来していたこともあり、大正年間には、五條市と新宮市とを結ぶ鉄道路線の敷設が早くも構想されていました。

鉄道建設は1939年にはじまり、奈良県側の出発駅となる五条駅から旧西吉野村(現・五條市)の坂本地区までの建設工事が進められます。しかし、1982年には工事が凍結。完成済みの一部分は国鉄およびJR西日本によるバス専用道路として利用されましたが、そちらも2002年には廃止。バス路線の廃止からでも20年の歳月が流れていますが、当時の路線はいまだ健在で、五條市内の各所に当時の痕跡を見ることができます。

たとえば、写真は五新鉄道の基点となった現在のJR五条駅から数百メートルのところにあるコンクリート製の高架部分。国道24号線をまたぐように残されています。

紀伊半島を縦断しようとした「五新鉄道」

写真:乾口 達司

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その保存状態は良好。下から見上げると、アーチ構造になっていることがご覧いただけます。

紀伊半島を縦断しようとした「五新鉄道」

写真:乾口 達司

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写真は奈良県に源流を持ち、和歌山県へと流れ込む吉野川(紀の川)。五新鉄道はこの吉野川をわたっていました。

堤防の向こう側、右手に見える家屋の横から五新鉄道の高架が顔をのぞかせているのが、おわかりいただけるでしょうか。

<五新鉄道(新町)の基本情報>
住所:奈良県五條市新町
アクセス:JR五条駅より車で約5分

南へとのびる廃線

南へとのびる廃線

写真:乾口 達司

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吉野川を越えた五新鉄道は南へとのび、五條市保健福祉センター「カルム五條」やスーパーマーケット「吉野ストア」の裏を通っていました。

そのルートは、現在、自動車道として舗装・整備されています。

南へとのびる廃線

写真:乾口 達司

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写真は野原西町付近を通る路線跡。小さい川にかかる橋脚も健在ですが、利用されていないこともあり、植物が生い茂っています。

南へとのびる廃線

写真:乾口 達司

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高架の下には、倉庫とおぼしき廃屋も見られます。

<五新鉄道(野原西町)の基本情報>
住所:奈良県五條市野原西町
アクセス:JR五条駅より車で約5分

現在も残されている遮断機

現在も残されている遮断機

写真:乾口 達司

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丹原町南の交差点を東に入って数百メートル進むと、遺構の遮断機が見られます。

通行の邪魔になるため、腕木(遮断桿)は撤去されていますが、当時の貴重な遺構なので、ぜひご覧ください。

現在も残されている遮断機

写真:乾口 達司

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遮断機は日本信号社製のものです。

現在も残されている遮断機

写真:乾口 達司

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路線跡はこのあたりからいよいよ紀伊山地へと分け入っていきます。

<五新鉄道(霊安寺町)の基本情報>
住所:奈良県五條市霊安寺町
アクセス:JR五条駅より車で約10分

バス専用道路時代の遺構も残す「生子トンネル」

バス専用道路時代の遺構も残す「生子トンネル」

写真:乾口 達司

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写真は生子町に残されている「生子トンネル(おぶすとんねる)」。ご覧のとおり、トンネル内を通行することはできませんが、フェンス越しに内部をのぞくと、はるか遠くにトンネルの出口がのぞめます。

バス専用道路時代の遺構も残す「生子トンネル」

写真:乾口 達司

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トンネルの手前にひっそりたたずむのは、生子バス停跡。旧国鉄西日本バス時代に設けられたバス停の遺構です。

ベンチが当時のまま残されているため、あたかもいまでもバスが運行されているかのような錯覚をおぼえますね。

バス専用道路時代の遺構も残す「生子トンネル」

写真:乾口 達司

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生子バス停跡の近くには、ご覧のような看板も残されています。道幅が狭く、対面通行ができなかったこともあり、当時、一般車両の通行は禁止でした。「一般通行禁止します」と書かれているのは、そのためです。

<五新鉄道(生子町)の基本情報>
住所:奈良県五條市生子町
アクセス:JR五条駅より車で約20分

映画のロケ地ともなった賀名生地区の路線跡

映画のロケ地ともなった賀名生地区の路線跡

写真:乾口 達司

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生子地区からさらに南へ進むと、南北朝時代、南朝方の拠点ともなっていた「賀名生(あのう)」の地に入ります。

写真は「親房トンネル(ちかふさとんねる)」から出てきた路線跡。丹生川の上にかけられているのは「第六丹生川橋梁(だいろくにゅうがわきょうりょう)」です。

映画のロケ地ともなった賀名生地区の路線跡

写真:乾口 達司

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第六丹生川橋梁のすぐ南側にあるのは、こちらの「第1屋那瀬凾渠(だいいちやなせかんきょ)」。「凾渠」とは四角形の通路(水路)のこと。壁面の左上方をご覧いただくと、「1957-11」と刻まれているのが、おわかりいただけるでしょう。これは1957年11月に完成したことを示す刻印です。

刻印の左手には、第1屋那瀬凾渠についての詳細な工期や施工者のほか、1928年、「鋼鉄道橋設計示方書」によって定められ、現在では使われていない「KS荷重」(「K=機関車」と「S=車輛」によってかけられる荷重)の数値なども刻まれています。

映画のロケ地ともなった賀名生地区の路線跡

写真:乾口 達司

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第1屋那瀬凾渠の脇には、ご覧のバス停も残されています。こちらのバス停は1997年に公開され、第50回カンヌ国際映画祭カメラ・ドール賞を受賞した河瀬直美監督の『萌の朱雀』に「恋尾バス停」の名で登場したもの。

五新鉄道は映画のロケ地としても使われていたのですね。

<五新鉄道(賀名生)の基本情報>
住所:奈良県五條市賀名生
アクセス:JR五条駅より車で約30分

紀伊半島縦断の夢!五新鉄道の痕跡をめぐろう

五新鉄道をめぐる旅、いかがでしたか?今回は賀名生地区までをご紹介しましたが、賀名生地区からさらに南にも「宗川橋梁」や「天辻トンネル」など、五新鉄道の遺構がまだまだ見つかります。

とはいえ、最終目的地である和歌山県新宮市はまだはるか先。延々と続く峻険な山々にはばまれ、開業することのなかった五新鉄道は文明の利器によって嶮しい紀伊半島を縦断しようとした当時の人々の夢の象徴であるといえるでしょう。五新鉄道の痕跡をさぐり、その壮大な夢に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

2021年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2020/09/26 訪問

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