写真:織笠 なゆき
地図を見る「日本100名城」にも選定されている、三重県松阪市の松坂城跡。そびえたつ堅牢な石垣が往時を偲ばせるその城址は、現在、松阪公園として市民の憩いの場になっています。
そんな松阪公園の一角、松坂城跡の中に、本居宣長記念館はあります。1970年の開館以来、松阪に住んだ江戸時代の国学者本居宣長の遺品や著書などを収蔵・展示してきましたが、2017年のリニューアルで、よりわかりやすく、親しみやすい展示になりました。
収蔵品は、約1万6千点。そのうち国の重要文化財に467種1,949点が指定されています。
写真:織笠 なゆき
地図を見る本居宣長記念館は2階建て。1階は、映像やクイズ形式の展示など、本居宣長のことをあまり知らないという方でも、楽しみながら少しずつ学べる仕組みになっています。
土産コーナーもあり、宣長の伝記本や宣長にちなんだグッズ、松阪の伝統工芸である「松阪木綿」の商品などを購入することができます。
写真:織笠 なゆき
地図を見る記念館の2階では、本居宣長の遺品や自筆本など、重要文化財に指定されているものも含む貴重な資料が、わかりやすい解説とともに展示されています。
また、講座室があり、専門家を招いて「宣長十講」という講座を定期的に催しています。開催予定は文末のリンクより公式サイトをご確認ください。
写真:織笠 なゆき
地図を見るそれでは、各階を詳しく見ていきましょう。
1階の一番奥では、本居宣長を紹介する映像が流れています。宣長の生涯や人物像を知ることができるので、まずはここから見始めてみてはいかがでしょうか。
左の日本地図に記されているのは、宣長が訪れた場所や、学者仲間や門人など宣長を訪ねてきた人々の居住地の一部です。宣長には約490人の門人がいたといわれており、全国的に学問のネットワークが構築されていたことが分かります。
写真:織笠 なゆき
地図を見る1階の中央には、丸・四角・三角の3種類のテーブルがあり、3択のクイズが並んでいます。丸は日本の文化や自然を愛した宣長を、四角は薬箱を携えて医者として働く宣長を、三角は古事記などの研究をする宣長を表現しているのだとか。ぜひ想像力を働かせてチャレンジしてみてください。
また、窓際には、宣長に関する書籍と大きいタッチパネルが置かれています。タッチパネルは、データ化された資料を拡大して見たり、その解説をあわせて読むことができる優れもの。宣長には『古事記伝』以外にもたくさんの著作がありますので、展示を観て気になったものがあれば、ここでじっくり調べてみてはいかがでしょう。
写真:織笠 なゆき
地図を見る階段の踊り場には、宣長が17歳の時に製作した「大日本天下四海面図」が展示されています。縦約1.2m、横約1.9mのこの大作には、細かい字で丁寧に、宿場町や港町、山川や島々など、たくさんの地名が書き込まれています。
伊能忠敬が中心となって測量・製作した「大日本沿海輿地全図」より70年以上前の作品というのですから、どれだけの資料を基にしたのか、その情熱に驚かされます。
写真:織笠 なゆき
地図を見る木綿仲買の商家に生まれた宣長ですが商売には関心がなく、医師を志して京都で寄宿し、医学や儒学などを学びます。この頃から日本文化や古典への関心が高まり、28歳に松阪に戻ってからは、昼は医師の仕事、夜は自身の研究や古典の講義を続けました。35歳の時に国学者・賀茂真淵の門人となり、古事記の研究に没頭していきます。
写真は、宣長が往診の時に持ち歩いていたという薬箱です。松阪の町だけでなく数十キロ離れた土地でも、病人がいると聞けばこの5kgほどある薬箱を持って出かけていたそうです。学問に打ち込むだけでなく仕事にも精を出す、誠実で努力家な一面がうかがえます。
写真:織笠 なゆき
地図を見る宣長は多才な人でもありました。講釈や歌会の席で着用していた写真左の「鈴屋衣(すずのやごろも)」は、宣長みずからがデザインしたもので、地紋のある黒縮緬で作られています。
写真右の絵は、教科書などでご覧になった方も多いのではないでしょうか。これは「本居宣長六十一歳自画自賛像」とよばれており、なんと宣長61歳の時の自画像なんだそうです。宣長を知る人にもよく似ていると言われる出来栄えで、国の重要文化財に指定されています。
※賛…絵画の中に描かれた詩や歌、文などのこと。
写真:織笠 なゆき
地図を見る本居宣長は、鈴が好きで集めていたこともよく知られています。石見国(現・島根県)浜田藩主の松平康定候は、伊勢神宮に詣でる途中、松阪にあった本陣・美濃屋で宣長に会います。それに先立って宣長に贈られたのが、自筆の色紙とこの駅鈴(えきれい)。
これは、宣長の鈴好きを知った松平候が、隠岐の国造家に伝わる「駅鈴(奈良時代から始まった駅伝制における役人の身分証明の道具)」を模して作らせたものです。
松平候は宣長の源氏物語の講釈を聞き、注釈書の出版を勧めます。多忙を極めた宣長ですが、この出会いによって背中を押され、研究成果をまとめた『源氏物語玉の小櫛』を出版することができました。
写真:織笠 なゆき
地図を見る本居宣長記念館のそばには、本居宣長の旧宅があります。これは宣長が12歳の時から72歳で亡くなるまで、家族とともに住んでいた建物。市街地での類焼を避けるなどの理由から、1909年、松阪市魚町からこの地に移築されました。
写真の右奥に、宣長が53歳の時に増築した2階の勉強部屋が見えます。この部屋こそが「鈴屋」。研究に疲れた時に音色を聴くための鈴を掛けた、前述の「鈴屋衣」の名前の元になった部屋です。
写真:織笠 なゆき
地図を見る町の人や全国から訪ねてくる門人たちが集ったのは、1階の奥の間。ここで宣長は、古典の講釈を行うだけでなく、訪れた人たちからもさまざまな知識や情報を受け取りました。
たとえば「いるか」など、古事記に登場する言葉に分からないものがあると、訪ねてくる人々や街道を旅する人々から話を聞き、時には遠方へも自ら旅をして、一つ一つ解読をしていったのだとか。
こういった交流から古事記の文字が意味を持ち、季節や体温を感じる文章として解読されていったことを考えると、感慨深くなる空間です。
写真:織笠 なゆき
地図を見る松阪駅と「本居宣長記念館」の間には、松阪もめん手織りセンターや豪商の旧宅、三井家発祥の地などがあり、それらのほど近くに「本居宣長宅跡」があります。長男の春庭宅とされている離れと土蔵、復元された礎石があり、旧宅を見学した後に訪れると宣長一家の暮らしが思い起こせるかもしれません。
また、「本居宣長記念館」のそばには、宣長を学問の神として祀る「本居宣長ノ宮」があります。あわせて詣でてみてはいかがでしょうか。
写真:織笠 なゆき
地図を見る現在の松阪の町には、駅前に大きな駅鈴のレプリカがあり、道端のマンホールの蓋にも駅鈴がデザインされています。町のシンボルである松坂城跡に旧宅や記念館があることを考えても、本居宣長がいかに町の誇りであり、人々に慕われていたかということが伝わってきます。
神代の事績や日本人の精神をさまざまな古典から読み解き、国学の四大人(しうし)の1人とうたわれた本居宣長。「本居宣長記念館」を訪れて、宣長が紐解いた“いにしえから受け継がれる日本人の心”に想いを馳せてみませんか。
住所:三重県松阪市殿町1536-7
電話番号:0598-21-0312
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始
開館時間:9時〜17時(最終入館時間は16時30分)
アクセス:JR松阪駅および近鉄松阪駅より徒歩約15分、またはバス停「市役所前」より徒歩約5分
入館料:大人400円、大学生等300円、小人(小学4年生〜高校生)200円
※入館料は記念館と旧宅共通。30名以上で団体料金有り
2020年11月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/10/3更新)
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