写真:村井 マヤ
地図を見る小谷城散策は、地図などの資料を獲得してからにしましょう。また100名城のスタンプを集められている方なら最初に小谷城戦国歴史資料館へ行かれることをおススメします。
ちなみに、清水谷と呼ばれる小谷山の西尾根と東尾根との谷は、戦国時代には武家屋敷や浅井家の屋敷跡がありました。現在、歴史資料館のある付近は、知善院跡と呼ばれる寺院があった場所。
また写真の橋の下は、水堀跡です。
歴史資料館の入口付近に大きな小谷城跡の絵のパネルがありますので、それをご覧になって現在の様子と比較しながら歩くと分かりやすいでしょう。そのパネルによると堀はもっと横に長くて、清水谷を守っていたことが分かります。
写真の門の奥の建物が、小谷城戦国歴史資料館になります。
写真:村井 マヤ
地図を見る今回は、自動車で番所跡まで行き、そこから徒歩で本丸まで目指します。写真が、番所跡になります。
自動車で、小谷城戦国歴史資料館に行き、情報を取得した後、今度は戦国ガイドステーションに向ってください。下から登山される場合でしたら、資料館からも行けますが、車で番所跡まで行って、そこから徒歩の場合は、戦国ガイドステーションのある場所から車道を登ります(*)。
番所に至るまでに駐車場が見えてきますので、自動車を停めてあとは徒歩で向かってください。
*小谷城バス(シャトルバス)運行日は、ここまで自家用車では来ることはできません。運行日(季節運行)は基本情報を参照のこと。
写真:村井 マヤ
地図を見る番所は、城郭主要部への入口であり検問所があった場所で、城への出入りを厳重にチェックしていました。
番所から先に行くにつれ、幾つかの曲輪が尾根の上に縦一列に連なるように配置されています。このような縄張りを連郭式と言います。その連郭式縄張りの最先端にあるのが、写真の御茶屋跡です。御茶屋という風雅な呼び名とは裏腹に、ここは軍事的施設だったようです。
写真:村井 マヤ
地図を見る御茶屋、御馬屋、馬洗池などの史跡を経て、天文年間に今井左衛門尉秀信という武将の首をさらした首据石に出ます。その後黒金御門跡と続きます。
写真:村井 マヤ
地図を見る写真は黒金御門跡前の平坦な場所・桜馬場にある浅井家家臣の供養塔です。奥に見えるのが巨大な小谷城址碑でその向かって右端には黒金御門の石段が見えています。
写真:村井 マヤ
地図を見る桜馬場跡から見える眺め。小谷城随一のパノラマが広がっています。大河ドラマ『江〜姫たちの戦国』のロケ地でもあります。
写真:村井 マヤ
地図を見る黒金御門跡は、桜馬場跡と大広間跡との間に位置し、両側に巨石を構え、当時の大きさを彷彿とさせる遺構です。
写真:村井 マヤ
地図を見る写真が別名千畳敷とも呼ばれる大広間。礎石の跡が今でも残り最も広い曲輪で、大きく重要な建物もありました。大広間は、桜馬場同様、桜の名所でもあります。広さは凡そ3000平方mです。
写真:村井 マヤ
地図を見る写真は本丸跡の石垣です。ここには天守など城の中心となる建物がありました。本丸跡に登るとさらに奥の中丸、京極丸などの上の曲輪も見渡せます。
容易に行けそうな感じですが、小谷城には、本丸と次の中丸の間に巨大な大堀切があります。
写真:村井 マヤ
地図を見る写真は、本丸を抜け中丸へ行く途中にある大堀切跡です。大堀切は、その名の通り大土木工事で尾根を削り、番所跡から本丸跡までとその上の曲輪を区切るためにつくられたものです。写真の向かって左端を通ると中丸へ。
中丸(なかのまる)は、南北3段からなり、最上段に刀洗池がありこの池の縁を通って上段の京極丸へといけます。3段目と2段目の間や1段目の南側正面には小規模な石垣が現存しており、基本的に石垣で固められていたと考えられています。
写真:村井 マヤ
地図を見る写真は、中丸の最上段刀洗池付近を抜けて上の曲輪を目指す小径から京極丸を見上げています。
京極丸は、浅井氏が守護大名京極氏の居所として用意した曲輪と言われています。大広間に次ぐ広大な曲輪で南北4段の構造を持ち、清水谷側(西側)に桝形虎口がある大きな曲輪も付随しています。この曲輪は清水谷から登る「水ノ手」につながります。
天正元(1573)年8月27日夜半に、羽柴秀吉はこの水ノ手を攻め上り、浅井久政(長政の父)の守る小丸(京極丸の上にある曲輪)と京極丸を分断させました。これにより小谷城は落城へと追い込まれます。
小丸は、浅井久政が自刃した場所と推測されています。
写真:村井 マヤ
地図を見る小谷城跡散策の地図で見ると、本丸や大広間の一段下の曲輪に「赤尾屋敷跡」と書かれています。
実際行かれる際には、首据石まで戻ります。そこに「右 赤尾美作守屋敷址」と刻まれた石柱がありますので、その案内に従って約160m細い山道を歩くと赤尾屋敷跡に辿りつきます。
細い道から開けた場所が見えてきますが、入口付近に赤尾屋敷跡の案内があり、奥に進むと「浅井長政公自刃之地」と刻まれた石碑が見えてきます。長政公を偲んで花を手向けたり、お線香をあげたりするかたもおられるようです。お供え物やお線香を捧げる際は、火のあと始末や野生動物に荒らされないように気を付けましょうね。
写真:村井 マヤ
地図を見る本丸や京極丸を散策後、時間が許せば小谷城主要部の最高所にある山王丸まで行かれても良いでしょう。今回の旅では、本丸、京極丸まで散策して、清水谷の武家屋敷跡まで足を延ばします。
写真は、御茶屋跡の近くにある虎御前山展望所からの眺めです。写真の赤い旗の左奥にあるのが虎御前山で、小谷城攻めの際に信長が布陣しました。ここに立ち、戦国時代の風景を想像し合戦時の雰囲気を感じてみましょう。
写真:村井 マヤ
地図を見る清水谷へは、一番最初に訪問した小谷城戦国歴史資料館前に車を停めて、資料館の脇を抜けて徒歩で向かいます。行ったり来たりで無駄足のようですが、小谷城の城郭主要部は山歩きですので、なるべく明るい時間帯に訪れましょう。
清水谷は、写真のような林道です。見どころは「遠藤屋敷跡」「山城屋敷跡」「虎ケ谷道」「徳昌(勝)寺跡」「御屋敷跡」などです。
写真向かって右側が、本丸などがあった城郭主要部のある東尾根で左側が山崎丸や福寿丸がある西尾根になります。
羽柴秀吉は、小谷城攻めの際にこの清水谷の武家屋敷などを突破して一番奥の「井筒池」から水ノ手を登り京極丸を攻めました。実際歩いて眺めてみるとかなりの急こう配です。
写真:村井 マヤ
地図を見る浅井氏の居館があった「御屋敷跡」。ここで戦のない平和な時には、浅井長政やお市の方、姫様たちが暮らしていたのではないでしょうか。今は木々が立ち並び、鬱蒼とした様子ですが、当時はずらりと屋敷が並び人々が生活していたのです。
今回の旅では、小谷城跡のすべてを巡ってはいませんが、番所跡から京極丸までの往復でも1時間以内で散策でき、さらに清水谷まで足を延ばしても1時間半くらいです。今回の旅でも十分に中世山城の風情をたっぷり堪能できますよ。
小谷城跡には、他に「出丸跡」や「金吾丸」などが番所跡へ向かう車道沿いにありますので是非立ち寄ってみてくださいね。中世山城の醍醐味をさらに味わえますよ。
住所:滋賀県長浜市小谷郡上町139番地(小谷城戦国歴史資料館)
電話番号:0749-78-2320(小谷城戦国歴史資料館)
アクセス:
JR北陸線河毛駅から徒歩約30分
JR北陸線河毛駅からレンタサイクルにて約15分
北陸自動車道「小谷城」スマートI.Cから約3分
小谷城バス運行日の問い合わせ先:0749-65-6521(公益社団法人 長浜観光協会)
※下記関連MEMOもご覧ください。
2020年11月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2025/2/8更新)
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