人種差別の歴史を知るヨハネスブルグ「アパルトヘイト博物館」

人種差別の歴史を知るヨハネスブルグ「アパルトヘイト博物館」

更新日:2020/11/24 16:55

SAORI GRAPHのプロフィール写真 SAORI GRAPH 現役弾丸バックパッカー、旅ライター、旅ブロガー
かつて南アフリカで行われていた人種隔離政策「アパルトヘイト」。学生時代に授業で習った方も多いでしょう。

ヨハネスブルグにある「アパルトヘイト博物館」には、実際にどのような人種差別が行われたのか、人種差別のない社会を目指し人々がどのように闘ったのかといった貴重な資料が展示されています。

人種差別について深く考えさせられる「アパルトヘイト博物館」は、ヨハネスブルグで訪れるべきスポットです。

人種隔離政策「アパルトヘイト」の歴史を扱う博物館

人種隔離政策「アパルトヘイト」の歴史を扱う博物館

写真:SAORI GRAPH

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ヨハネスブルグ中心部から南東へ約8kmの所に位置する「アパルトヘイト博物館」。

南アフリカに存在していた人種隔離政策「アパルトヘイト」に関する資料を数多く展示しているこの博物館は、負の歴史を知り、二度と悲惨な差別を繰り返さないことを願って2001年にオープンしました。

人種隔離政策「アパルトヘイト」の歴史を扱う博物館

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アパルトヘイト博物館の敷地内に入り、まず来館者が目にするのは大きな7本の柱。これは常設展の1つで「The Pillars of the Constitution」、つまり憲法の柱を表しています。

1991年にアパルトヘイト政策の廃止が宣言され、1994年に民主化した南アフリカ。その2年後の1996年に新しい憲法が採択されました。この憲法の中心にある7つの基本的価値観が柱に刻まれています。

人種隔離政策「アパルトヘイト」の歴史を扱う博物館

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敷地内の壁には、反アパルトヘイト運動に身を投じ、1994年の選挙を経て大統領に就任したネルソン・マンデラの言葉が記されています。

“To be free is not merely to cast off one’s chains, but to live in a way that respects and enhances the freedom of others.”

「自由であるということは、ただ己の繋がれた鎖を解くだけではなく、他者の自由を尊重し向上させるような生き方をすることである」

アパルトヘイトと闘い自由を叫び続けたマンデラの言葉からは、多様な民族が存在する南アフリカという国で、国民全員の自由を実現するための強い意志が感じられます。来訪者はまず、民主化された南アフリカの姿の一部分を見た後、これから先に展示されているアパルトヘイトの実態を知る流れとなります。

アパルトヘイト政策を追体験する展示

アパルトヘイト政策を追体験する展示

写真:SAORI GRAPH

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来館者がまず衝撃を受けるのが、博物館のチケットでしょう。

チケット売場で購入した入場チケットは、ランダムで「WHITES(白人)」「NON-WHITES(非白人)」と印字されています。チケットを購入した瞬間から、私たちは当時のアパルトヘイト政策の一部を追体験することになるのです。

アパルトヘイト政策を追体験する展示

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博物館の入口はこのように「WHITES(白人)専用」「NON-WHITES(非白人)専用」と分かれています。もちろん来館者は人種に関係なく、チケットに記された方の入口から入場すれば良いのですが、アパルトヘイト政策が行われていた当時は人種によって利用できる施設やバス、公園、そして街中のベンチすらも分けられていました。

博物館の入口は当時の差別を追体験すると共に、肌の色など“人種”という括りで自由を奪われる理不尽さを感じる仕組みになっています。

アパルトヘイト政策を追体験する展示

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「WHITES(白人)」と「NON-WHITES(非白人)」から入場した人は鉄格子で阻まれ、この十数メートルの通路展示を通りすぎるまで交わることはありません。お互いの顔が見えていても入口(人種)が違うとそれぞれの人生が交わることは決してない。そんなアパルトヘイト政策時代を暗に意味しているような展示です。

この「Race Classification(人種分類)」の展示スペースでは、「白人」と「白人以外」が利用する施設を区別する標識や、黒人が携帯を義務付けられた「身分証明書」を見ることができます。現代では信じがたい差別政策が、南アフリカでは実際に、そして日常的に行われていたことに驚きを禁じ得ません。

アパルトヘイト政策の始まりから終わりまで

アパルトヘイト政策の始まりから終わりまで

写真:SAORI GRAPH

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「Race Classification」の展示スペースを過ぎると、一旦屋外に出ます。そこは「Journeys」という展示になっており、様々な人物の後ろ姿が鏡に転写されています。ヨハネスブルグがゴールドラッシュに湧いた時代に、多くの移民がやってきてコミュニティが出来た様子を表しているこの展示は、鏡の正面に回らないと人の顔や人種が分からないのも興味深いところ。

アパルトヘイト政策の起源には、金鉱山での白人労働者の保護や安価な黒人労働力確保を目的とした法律がありました。それらが徐々にエスカレートし、白人以外の選挙権のはく奪や利用施設の区別、異人種間での恋愛や結婚禁止にまで発展したのです。

アパルトヘイト政策の始まりから終わりまで

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「Journeys」の先は写真撮影禁止の展示エリアとなります。

そこにはアパルトヘイト時代の生活の様子や、差別と闘う様子などの写真や映像が展示されています。一番衝撃的なのは、天井から吊り下げられた131本の首吊り縄。これは政治犯として捕らえられ、合法的に処刑された人数を表しているのだそう。思わず目を背けたくなる光景ですが、事実を強く心に感じる展示です。

アパルトヘイト政策の始まりから終わりまで

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ついにアパルトヘイト関連法が全撤廃され、1994年にすべての人種が参加する初めての総選挙が行われた南アフリカ。その1994年に制定された国旗が、最後の展示スペースに大きく掲げられています。

そして来館者は人種差別や偏見と闘うために、この国旗の前に石を置くように勧められます。こうして増え続ける石の山が、差別や偏見をなくそうという人々の意思の表れとなるのです。

心に響くネルソン・マンデラの言葉

心に響くネルソン・マンデラの言葉

写真:SAORI GRAPH

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博物館の中庭にはこのように、5色の棒が置いてあります。この棒は一体何なのでしょうか?

博物館内にはネルソン・マンデラの言葉の引用が展示物として壁に貼られているのですが、それらの引用された言葉のうちの5つに青、赤、黄、緑、白の色が割り当てられています。この5色の棒は、引用された5つのマンデラの言葉を表しているのです。

心に響くネルソン・マンデラの言葉

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そして来館者は「自分が最もインスパイアされたマンデラの言葉と同じ色の棒を選んでください」と促されます。綺麗に色分けされたスタンドから棒を選んだら、向かいにあるスティックホルダーの好きな位置に棒を差し込みます。

すると、人それぞれインスピレーションを受ける言葉は異なるので、スティックホルダーはご覧のようにカラフルに!その様子はまるで、人種によって隔離されていた南アフリカの人々が、アパルトヘイト撤廃により混ざり合ったようにも感じます。

アパルトヘイト博物館を訪れたら、ぜひマンデラの心に響く言葉に耳を傾けてみて下さい。

心に響くネルソン・マンデラの言葉

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アパルトヘイト博物館にはショップも併設されており、そこではマンデラグッズやアパルトヘイト博物館限定のお土産を購入することができます。

アパルトヘイトの歴史を学んだ思い出として、ミュージアムショップにも立ち寄ってみて下さいね。

アパルトヘイト博物館(Apartheid Museum)の基本情報

住所:Northern Park Way and Gold Reef Rd, Johannesburg
電話番号:+27-11-309-4700
営業時間:9:00〜17:00
入場料:大人R100、子供R90
休業日:聖金曜日、クリスマス、元旦
アクセス:ORタンボ国際空港から車で30分
ヨハネスブルグ市内観光バス「ホップオン・ホップオフツアー」乗車後、アパルトヘイト博物館前下車

2020年11月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2020/03/08 訪問

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