難攻不落!上杉謙信の居城、越後の名城「春日山城跡」を歩く

難攻不落!上杉謙信の居城、越後の名城「春日山城跡」を歩く

更新日:2020/12/10 14:02

“軍神”と恐れられた越後国の名将・上杉謙信が、本拠地としていたのが新潟県上越市に聳える春日山城です。謙信は天文17年(1548)に城主となると“天下の名城”と称えられるほど堅固な城に改修しました。石垣を一切使わず自然の地形を巧みに利用して築いた強固な土塁や空堀などが配された城は、難攻不落の城でした。今も多くの郭や空堀、土塁などが当時のままの姿で残り、春日山城の総大なスケールを体感できます。

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春日山城の歴史を学び、いざ搦手道から登城!

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春日山城は、頚城平野の西縁に接する、標高約182mの蜂ヶ峰(春日山)山頂に築かれた山城です。東西、南北ともに約2.5km四方で、険しい尾根や斜面を削り、大小200ヶ所以上の削平地を階段状に連結し、数十ヶ所の堀切や土塁を構築しています。山裾には総延長1.2kmにもおよぶ堀と土塁の惣構えが巡らされた大城郭なのです。

そんな春日山城の歴史を教えてくれるのが、春日山城の北東の端にある「春日山城跡ものがたり館」です。館内には春日山城に関する資料を提示していて興味深くこれからの史跡めぐりに思いを馳せることができます。日本100名城のスタンプはこちらにありますよ。

写真は隣接する「春日山城史跡広場」です。敷地内には上杉景勝の会津転封に伴い入城した堀氏時代に造られた全長1.2kmにも及ぶ監物堀が復元されています。

<春日山城跡ものがたり館の基本情報>
住所:新潟県上越市大豆334
電話:025-544-3728

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往路は愛宕谷公園(無料駐車場有)から搦手道を登って春日山神社鳥居前にでるコースです。春日山の北に位置する「愛宕谷」は戦国時代には堤防を築いて御館川を堰止め堀として敵の侵入に備えたという北側を防衛する重要な場所です。

急な登り坂ですが階段状に整備されています。上部は雛壇状に整然と構築された御屋敷郭群があり春日山城北東部一帯の重要な機能を担っていたと考えれます。特に「御屋敷」と名付けられた大きな郭(60×110m)は、城主の館跡とされています。

御屋敷からは春日山神社下に出て、急な136段の石段を上ると春日山神社鳥居前に到着です。

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春日山神社は、山形県米沢市の上杉神社より明治34年(1901)に上杉謙信の御霊を分霊された比較的新しい神社です。日本近代童話の父と呼ばれる小川未明の父、旧高田藩士・小川澄晴が浄財を募って創建したものです。日本近代郵便の父・前島密の援助も受けたという神明造りの社殿は重厚です。

謙信公像を起点に順番に曲輪(郭)群をめぐる

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春日山神社鳥居前を左手に2分程行った先に謙信公銅像があります。昭和44年(1969)、大河ドラマ「天と地と」の放映の折に制作され、高さ3m、重量約800kgの銅像は、頚城平野を見下ろしています。銅像前のあたりは昔馬場があったところなので、平坦でわりと広く、現在は駐車場と売店や茶屋が立っています。

銅像左脇から車道を歩いて三の丸から二の丸、本丸へと目指すこともできますが、おすすめのコースは、春日山神社前脇から上がるルートです。

謙信公像を起点に順番に曲輪(郭)群をめぐる
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春日神社脇から5分ほど歩けば「千貫門跡」に出ます。春日山城の古絵図に必ず描かれている門で、千貫(約2t)の鉄が使われていました。今では門が建っていたと考えられる部分の土塁が分断されていて、春日山神社からクランク状の道がここに通じています。

三方が土塁と土手に囲まれ、切通しのように見えて実は空堀の跡といった遺構が残っています。土塁にはシャガが群生しています。すらっとした姿の葉が魅力で冬でも枯れない丈夫な性質をしていますが、根つきが浅く、土塁を登ろうと掴ると滑り落ちてしまうため防御のために植えていました。

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さらに5分、城の入口にあたる「虎口」から上ると上下三段の郭になった上杉家の重臣「直江屋敷跡」にでます。大河ドラマ「天地人」の主人公・直江山城守兼続の屋敷跡です。本丸に向かって右手が愛宕谷、左手が但馬谷となっている尾根上にあります。

頚城平野・直江津市街・遠く米山まで一望の大パノラマ

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約10分歩くと小高い丘に謙信が合戦の必勝祈願を行ったという「毘沙門堂」が目に入ります。これは昭和初期に復元されたもので、この御堂には謙信が信仰した毘沙門天像(青銅製、約50cm)が安置されています。尊像は嘉永2年(1849)の火災で被害を受け、昭和3年(1928)高村光雲によって修理されました。

その上段には護摩を焚いて戦勝や息災を祈願した「護摩堂跡」もあります。

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さらに歩くこと約10分、標高182mの山頂付近に築かれた本丸、天守台跡に到着です。頂上は堀切で南北に分断されていて、北側が本丸、南側は天守台跡と呼ばれています。写真では奥の階段の先が天守台跡ですが、日本海を見るなら本丸のほうがよく見えますよ。

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ここからは下りになり西側すぐに「大井戸」があります。山城としては最大級の規模で、標高1000m以上の高所にかかわらず、廃城後400年以上を経ても涸れることなく、現在も満々と水をたたえる不思議な井戸です。

「御館の乱」の舞台、景勝VS景虎の屋敷跡

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さらに5分、南側にもう一段下ると、謙信の死後、“御館の乱”で上杉景虎に勝利し上杉家の家督を継いだ「上杉景勝屋敷跡」です。上杉景勝は謙信の姉・仙洞院の子で直江兼続という知将を得て秀吉の五大老の一人までなりました。

さらに10分歩いてもう一段下れば謙信の重臣「柿崎屋敷跡」があります。春日山城で最も大きな郭のひとつで、柿崎和泉守影家の屋敷跡と伝わります。両屋敷跡とも総じて大規模で尾根を巧みに利用して段を削り出し、数段で一つの屋敷が形成されています。ここからそのまま下れば、南三の丸から大手道と呼ばれる道を辿り下山できます。

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柿崎屋敷跡からは、少し戻って御成街道から謙信公銅像の左手の道であった車道に合流し約50分歩いて戻ります。「御成街道」とは、時の関白近衛前嗣が通ったことから呼ばれていて、前嗣は永禄3年(1560)謙信を頼って越後府中(直江津)に下向し、三年間滞在しました。

途中本丸より一段低い標高160m程の「二の丸」へ。本丸の直下にあって、堀切により独立した郭で、本丸を帯状に囲っている様子は、本丸の警護として造作されたことを示しています。一本のイチョウの木があり、11月下旬から12月上旬には黄金色に輝き、散策する人の目を楽しませます。

「御館の乱」の舞台、景勝VS景虎の屋敷跡
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急な階段を下ると「三の丸」です。ここには北条氏康の七男で謙信の養子となった上杉三郎景虎の屋敷が置かれていました。同じく謙信の養子となっていた上杉景勝との後継者争い「御館の乱」の際、景勝軍が山頂部の本丸と金蔵を占拠し、三の丸の景虎屋敷に鉄砲を撃ちおろしたともいいます。ものすごい至近距離の戦闘です。

この三の丸と道を挟んで向かい側にある米蔵には最も良好な状態で土塁が残されています。御成街道と銅像左手からの登り道との合流地点には、重臣「甘粕近江守宅跡」があります。あとは謙信公銅像から来た道を愛宕山公園まで戻ります。

春日山城の正面玄関・大手道からの登城も

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「大手道」は江戸時代に描かれた春日山城の古絵図に大手道と記載されており、春日山城の正面玄関と考えられています。道は南三の丸や柿崎屋敷などを経て本丸に至ります。(本丸までの所要時間 徒歩約1時間)

春日山城の正面玄関・大手道からの登城も
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大手道から春日山城に入る途中、最初に視野が開ける場所が「番所」です。城があったころは、入場する人々を威圧していたと思われます。標柱のある小山は木戸が建てられていた土塁の跡で、門があったところです。

春日山城の正面玄関・大手道からの登城も
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大手道入口の看板近くには「大手道P」があり、車はここに駐車します。駐車場の手前にあるのが「御前清水」です。謙信公が出陣の際に飲んだといわれる歴史ある名水です。お茶やコーヒーに使うと美味しい軟水ですよ。

さらに徒歩で約5分のところに「上越市埋蔵文化センター」があり、越後上越おもてなし武将隊の本陣となっています。記念撮影や今話題の“御城印”もここで手に入れることができますよ。(一枚300円)

春日山城跡の基本情報

住所:新潟県上越市中屋敷
電話:025-545-9269(上越市教育委員会文化行政課)
アクセス:上信越自動車道上越高田ICより8km、約20分・えちごトキめき鉄道「春日山駅」より頚城バスで「春日山荘」下車。上杉謙信公銅像まで徒歩15分
時間:見学自由

※よく整備されていますが、かなり大きな山城なのでスニーカーなどの準備は必要です。

2020年12月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2020/11/07 訪問

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