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写真:花月 文乃
地図を見る平城宮跡歴史公園には、第一次大極殿と第二次大極殿という二つの大極殿が存在します。
第一次大極殿は建物全体が、第二次大極殿は基壇のみが復原されています。大極殿は、平城京での重要な施設が集まる平城宮の中で、最も重要な政務・儀式が行われた中心建物です。
なぜ大極殿は二つ存在するでしょうか。
写真:花月 文乃
地図を見るその理由は平城京に都が存在した年代の違いです。
東大寺の大仏を造営したことでも知られる聖武天皇(724〜749)は、740年から745年の間に4度も遷都をくりかえしました。
遷都した順は、平城京から恭仁京(740)、恭仁京から難波宮(744)、難波宮から紫香楽宮(744)、紫香楽宮から平城京(745)です。
第一次大極殿は、740年に恭仁京に遷都する前、第二次大極殿は745年に紫香楽宮から都が平城京に遷都されてから存在しました。平城京から恭仁京に遷都する際、第一次大極殿は移築され国分寺の金堂として使われました。
写真:花月 文乃
地図を見る世界遺産として知られる「特別史跡平城宮跡」ですが、保存活動が活発になったのは明治時代(1868〜1912)の終わり頃で、それ以前の平城宮跡は草木が茂る荒れ放題の状態で、その場所すら特定できないあり様でした。
しかし、その後の民間有志による保存運動の成果から、平城宮跡は1922年に国の史跡として保護されることとなります。
第一次大極殿の復原は、当時の設計図や絵画などが残っておらず、困難を極めました。発掘調査からわかった平城宮跡の基壇や恭仁京の国分寺金堂の跡に残る礎石から、その大きさや形が推定され、僅かな文献や同時代の寺院建築を参考に復原工事が進められました。
そして、今ここに1300年前の都の中枢施設、第一次大極殿は蘇りました。
現在、第一次大極殿を中心とした第一次大極殿院では、さらなる整備を目指した復原工事が進んでいます。
写真:花月 文乃
地図を見る復原事業情報館は第一次大極殿院復原整備事業に関するガイダンス施設です。
写真:花月 文乃
地図を見る現在、第一次大極殿を囲む南北約320m、東西約180mの「第一次大極殿院」では、復原整備事業が進められています。第一次大極殿院は奈良時代前半に、国家的な儀式が行われた特別な空間でした。
第一次大極殿院は、第一次大極殿をぐるりと高さ約6.9mの「築地回廊」が取り囲み、第一次大極殿の対極には正門となる「南門」が、その左右には「楼閣(東楼・西楼)」がありました。
復原予定とされているのは、「南門」「築地回廊」「楼閣」で、復原事業情報館では詳しい復原整備工事の取り組みや整備意義、目的について知ることができます。
写真:花月 文乃
地図を見る館内には第一次大極殿院の模型、シアターや復原事業の展示スペースがあります。
写真:花月 文乃
地図を見る具体的に復原には、どのような技術や技法が使われるのでしょうか。
建物は奈良時代の木造の組み方で、主な構造をつくりますが、当時の工法では地震や風への対策が十分ではありません。そのため、現代の技術を使い補強を行います。南門は、建物の地震の被害を抑えるために、柱や壁の接合部に制震装置を設置します。
制震装置は、地震による揺れを吸収してその力を他の力に変換する装置です。制震装置は、既に復原されている第一次大極殿にも設置されています。まさに古代工法と現代の技術のコラボレーションです。
南門の復原工事では、木材の切り出しは機械で行いますが、伝統技術を継承するため表面はヤリガンナで仕上げます。ヤリガンナは古代より使われてきた槍状のカンナです。現在多く見られるような長方形のカンナが導入されたのは室町時代中期とされ、奈良時代はヤリガンナが使われていました。
写真:花月 文乃
地図を見る他にも復原工事には、瓦制作者・瓦大工、左官、建具、錺金具、鴟尾制作者など、様々な職人と技術者が関わります。
制作を行うのは、文化財を支える伝統の名匠選定保存技術「保存者」で、選定保存技術保存団体が関係してます。
これらの「伝統建築工匠の技」は、2020年(令和2年12月)にユネスコ無形文化遺産に決定されました。
<復原事業情報館の基本情報>
入館料:無料
電話番号:0742-36-8780(平城宮跡管理センター)
写真:花月 文乃
地図を見る築地回廊の築地塀は、版築で復原される予定です。版築は、古代から使われてきた壁や塀などつくる施工方法です。
具体的には、壁や塀を作りたい部分の両枠から板などで枠をつくり、土をいれて固めていきます。土は版築用に配合された版築土で、15cmいれ、それを7.5cmまで棒で突き固めることを繰り返して、一定の高さまでつみあげていきます。
版築は施工実験から機械化が困難なことがわかり、人力で施工されます。
平城宮跡歴史公園にある推定宮内省の壁は、版築で復原されたものです。壁をみると一定の高さの土の層が何層にも積み重なっているのがわかります。人力施工でこの壁をつくったのはすごいですね。
写真:花月 文乃
地図を見る復原事業情報館の次に足を運びたいのが見学デッキです。見学デッキは、階段の窓ごしから、工事の様子を見ることができます。
写真:花月 文乃
地図を見るさらに、3階からは、見晴らしのいい景色が望めます。南には朱雀門、東には東大寺大仏殿と若草山、西には生駒山と暗峠目前に広がり、まるで展望台のようです。
写真:花月 文乃
地図を見る夕日が沈んでからの景観もおすすめです。日が沈んだ後、中で作業をしている職人さんたちの姿や復原中の南門が、内側からの光でうっすらと浮かびあがり美しいです。
見学は12/29〜1/1を除く、月曜日から日曜日の午前10時から12時と午後13時から17時までの時間帯で可能です。土日は職人さんは作業をしていませんが、見学とデッキからの展望ができます。
写真:花月 文乃
地図を見る平城宮跡歴史公園にある複数のガイダンス施設では、奈良時代の平城宮や平城京の姿に迫る内容のものが多いですが、復原事業情報館では、復原現場としての平城宮跡に目を向けることができます。
写真:花月 文乃
地図を見る復原整備事業には、建築をたてる人以外にも直接あるいは間接的にたくさんの人たちがたずさわっています。
具体的には事業者、発注者、発掘調査を行い復原を検討する研究者、復原を評価する有識者、設計者、工事監理者、請負者などの人たちです。
平城宮跡は、ほんの100年ほど前までは荒れ果てた草地の下に埋もれていました。荒れ果てた草地に、平城宮を思い描いた先人達がその姿を蘇らせる推進力となったことを考えると、もっとたくさんの人達の志や思いが現在の復原事業につながっていることに気がつきます。
写真:花月 文乃
地図を見る復原された第一次大極殿を見るときは、保存活動を推進した民間運動家、復原事業を支えるたくさんの技術者や専門家の人たちの思いにも目を向けてみてください。
復原現場として平城宮跡歴史公園を捉えると、そこで見えてくる歴史や復原建築物の姿も変わってくると思います。
平城宮跡歴史公園では第一次大極殿院の復原整備工事が現在進行中です。あなたもぜひその足で、復原現場・平城宮跡歴史公園へ足を運んでみてください。
住所:奈良県奈良市佐紀町
電話番号:0742-36-8780(平城宮跡管理センター)
アクセス:
近鉄大和西大寺駅南口から徒歩約20分
近鉄新大宮駅から徒歩約20分
近鉄奈良駅・JR奈良駅西口から
・路線バス学園前駅行きにて「朱雀門ひろば前」下車
・近鉄奈良駅から、ぐるっとバス(運賃100円で土日祝日15分、平日30分間隔で運行)
「朱雀門ひろば」下車
2020年12月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2022/8/13更新)
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