水軍の海城・三原城!小早川隆景の浮城と城下町散策

水軍の海城・三原城!小早川隆景の浮城と城下町散策

更新日:2018/10/26 15:37

村井 マヤのプロフィール写真 村井 マヤ 中国・九州文化的街並探検家
広島県三原市は、陸海の要所として栄えた城下町です。また、縄文・弥生・古墳時代の遺跡が多く、古くから人々が暮らしてきた町でもあります。アクセスも便利で、陸海空のすべての交通手段を使うことが可能な便利な立地です。広島空港からリムジンバスで40分ほど。東京から新幹線で約4時間、博多からだと1時間半くらいです。また、タコの町としても有名です。
そんな三原市で、城下町の面影探しの旅に出かけましょう。

日本一の広さ!広島城が6つも入る天守台?!

日本一の広さ!広島城が6つも入る天守台?!

写真:村井 マヤ

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三原城は、永禄10(1567)年に、現在の沼田川河口の三原湾に浮かぶ小島や中洲などを石垣でつないで築かれています。築城された時代には、まだ天守閣を築くという発想がなく築かれることはありませんでしたが、東西900m、南北700mという巨大な城でした。

現在は、山陽新幹線三原駅のホームに隣接するように天守台と堀、櫓や本丸中門跡などがわずかに残るだけとなっています。明治時代の写真では、まだ「浮城」と呼ばれた海に浮かぶ海城の異名を偲ばせています。1894年に本丸を貫いて山陽鉄道が開通し、城地は駅用地となり、城郭のほとんどが壊され、石垣も糸崎港建設用材になりました。駅の改札を出て、北口へ向かって行くと天守台に登れる階段があるので上がってご覧になってください。三方の堀を上から見ることができます。

この天守台は、広島城の天守が6つは入ると言われ日本一の広さです。また石垣は「あぶり積み」という古代の石積工法で、形も美しいのでじっくり見てください。

わずかに残る本丸中門跡地と一番櫓跡

わずかに残る本丸中門跡地と一番櫓跡

写真:村井 マヤ

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写真は、三原駅南口方面、ペアシティ三原西館西隣の本丸中門跡の石垣と堀です。近くに一番櫓の碑もあるので、そちらもご覧ください。
本丸の天守台は、三原駅の北側にあるので、本丸の上に線路が乗っているのが分かると思います。

三原観光の際は「城下町三原散策マップ」を片手に歩くといいでしょう。ポイントも明確で分かりやすいし、お食事処にも印があり便利ですよ。マップを見ると、本丸の大きさも分かると思います。パズルのパーツを集めるように、往時の姿を想像する城下町散策を楽しみましょう。

海に向かって開かれた船入り!島の上の櫓?

海に向かって開かれた船入り!島の上の櫓?

写真:村井 マヤ

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本丸中門跡を見学したら、次は船入り櫓を目指しますが、その前に近くに評判のお店があるので、立ち寄ってもいいでしょう。中門跡から帝人通りと呼ばれる通りを目指します。中門前の通りから西の小路を抜けて港へ抜ける大きな通りが帝人通りです。その通りに目指すお店はあります。東京では品川駅や他5店に出店している「八天堂」さんです。クリームパンが有名ですが、地元の方でもなかなか買えない幻のパンです。(八天堂の詳しい情報は、下記MEMO参照。)

船入櫓は、イオン三原店を目指して歩くといいでしょう。マリンロードやグリーンロードを突っ切って歩いて下さい。この辺りは三原の夜の歓楽街です。美味しいお店もあるので、お昼を食べてもいいでしょう。

市民福祉会館を過ぎたころ石垣が見えてきます。それが「船入り櫓」です。石垣をよく見ると、昔の島の証である岩礁が見えます。水に浸っていて、石垣と色が違う部分です。

ここに上がることもできます。実は上り口は、少し戻って浮島東通り側、船入櫓の碑がありますのですぐ分かります。

三原石工の技の光る、江戸の水刎(みずはね)

三原石工の技の光る、江戸の水刎(みずはね)

写真:村井 マヤ

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小早川隆景は、この城を背後の桜山と前方の海など天然の要害で守られる、いわゆる梯郭式の平城として築城しました。縄張りを自由に創作できる反面、地盤が緩く海水の浸食被害も想定しなければなりませんでした。したがって、城郭を守るために河川に工夫がされたのです。ただの昔の石垣ではなく、知恵が凝縮されたものなんですよ。

ちなみに、三原城と地形的特徴が似ている香川県の高松城の縄張りは、黒田官兵衛が施したと言われています。官兵衛は、備中高松城戦い以降親密な関係になった隆景に、高松城造営のアドバイスを受けたと言われています。隆景と官兵衛は、敵から味方になったという仲だけでなく、お互い刺激し合ういい関係だったのですね。

現在城下には、水刎ねが7か所くらい残っていますので、川岸を通る時、目を凝らしてみて下さい。歴史ある町散策のエキスパートになれるかもしれません。

写真の少しとがった部分で、水の勢いを緩め、流れを変える役割もあったのです。すごい工夫ですね。また、流水が強い所の大石は石に穴をあけて鉄棒を通して連結したそうです。
場所は、船入櫓跡と三原郵便局前の間の大きな通りを北に向かって歩き、線路の高架下を通り、歩くこと数分、神明大橋の架かる和久原川沿いです。

リサイクルされた山門?宗光寺山門は、新高山城の門だった!

リサイクルされた山門?宗光寺山門は、新高山城の門だった!

写真:村井 マヤ

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三原には寺院が多く残され、中でも本町・西町は寺町です。江戸の水刎を見学したら、今度は西へ歩きます。途中広島大学付属の幼稚園・小学校・中学校の敷地前を通過。神明大橋からすぐ、学校の敷地の角には「東大手門跡の碑」があります。お城の規模をイメージしながら歩いてほしい。天守台の堀を左に見ながら、さらに歩きます。

隆景広場に出て、西国街道を西に向かって10分くらい歩くと「やっさ饅頭本舗」が見えるので、その前の道を右に、遠くに山門が見えます。西国街道沿いも古い町家が見受けられ、宗光寺にいたる小路も風情があるのでゆっくり寺巡りをしてみては?国の重要文化財で、桃山時代の作と言われている門は、見応え十分です!

三原城下町巡りで、瀬戸内海の要塞都市を堪能しよう!

三原市では、城下町の面影を巡りながら、町散策もできます。しまなみ海道の島々へのクルージングも楽しめ、歴史散策だけでない魅力満載の町です。もちろんタコ料理も堪能してください。ゆっくり巡ると2時間から3時間の散策になります。脚に自信のある方は、ご紹介しなかったその他のリサイクル門や、横山大観ゆかりの酒屋「酔心」に行ってもいいでしょう。

三原城ゆかりの武将・小早川隆景が眠るお墓も、三原市内にあります。
MEMOの「三原市で歴史散策!智将・小早川隆景の墓参と古墳を巡る」で詳しくご紹介しています。

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/06/17 訪問

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