シラス台地を利用した独特の山城!南九州「知覧城跡」を歩く

シラス台地を利用した独特の山城!南九州「知覧城跡」を歩く

更新日:2021/02/21 16:29

村井 マヤのプロフィール写真 村井 マヤ 中国・九州文化的街並探検家
鹿児島県の知覧と言えば、垣根が美しい武家屋敷群や特攻隊基地などが有名ですが、実は隠れた名所として知覧城跡があるんです。最近の城巡り人気を受けて、知覧城跡を散策される方も増え始めました。
今回は、にわかに注目を集めている知覧城跡の魅力についてご紹介!あくまでも観光での寄り道としての山城散策ですので、歩きやすい場所を選んでいます。南九州独特のシラス台地の浸食台を利用した城跡散策に出かけましょう。

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知覧城の散策は空堀からスタート

知覧城の散策は空堀からスタート

写真:村井 マヤ

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知覧城散策を始める前に必ず立ち寄って欲しい場所は、ミュージアム知覧という施設です。

最近、知覧城跡の見学者も多くなり、アクセス地図も上記の施設で手に入ります。事前に下調べをしておきたい方は、関連MEMO「知覧城跡へのルート案内図」をぜひ参考にしてください。

写真は、ミュージアム知覧から車で数分の知覧城跡の案内碑です。近くに駐車場がありますので、ここからは徒歩での散策です。

知覧城の散策は空堀からスタート

写真:村井 マヤ

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知覧城跡の航空写真を現地でご覧になるとよくわかるのですが、いくつもの「〜城」と書かれたこんもりとした山のようなものを確認できます。「〜城」はいわゆる曲輪。それらすべての総称を知覧城と言います。

山があり、谷がありまた山があります。この谷間部分を上手に利用したのが、写真のような空堀です。もちろん、これらは全て自然にできたものではなく、シラスを削っているのです。

シラスとは、火山の流失物が堆積してできた白色砂質の土壌のこと。シラス台地は、南九州独特の地形でもあります。南九州を旅する際には、こうした独特の城跡巡りも面白いですよ。

知覧城の散策は空堀からスタート

写真:村井 マヤ

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知覧城は、中世後期に築かれた城です。史料によると1400年代に知覧城の記述がみられます。そんな城跡を歩いていると思わぬ近現代の遺構などにも出くわします。写真は、第二次世界大戦時の防空壕跡です。ここには、陸軍の整備工場が置かれていました。

中世の山城の魅力を堪能しながら歩く

中世の山城の魅力を堪能しながら歩く

写真:村井 マヤ

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知覧城は、いくつもの曲輪で構成されていますが、見学できる所は限られています。天候などにも左右されますが、今回は出来るだけ歩きやすい蔵之城と本丸のみをご紹介します。

中世の山城の魅力を堪能しながら歩く

写真:村井 マヤ

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お時間があれば、今城・弓場城なども訪れて下さいね(散策可能かは要確認)。写真のように道しるべがありますので、それに従って歩きましょう。

知覧城跡は、保存状態がよく規模も大きな城跡です。発掘調査を終え、整備されている曲輪は歩きやすいですよ。また曲輪と曲輪の間の山林を歩きながら、独立した曲輪を下から見上げたりすると、地形の面白さにも魅せられます。

ちなみに写真の「主郭部入口」という案内板の奥に見える木の辺りには、竪堀もあります。写真の道は空堀で、向かって左側に「今城」があり、本丸は右側。本丸に登るには写真の空堀をさらに奥に行き、さらに右に向かいます。

中世の山城の魅力を堪能しながら歩く

写真:村井 マヤ

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本丸、蔵之城は、知覧城跡の中心に位置しています。とくに蔵之城は、平成13(2001)年から4年間発掘調査が行われました。

知覧城の構成は、標高170mのシラス台地上を刻む浸食谷を利用し、大きく二群の城と、周辺の屋敷群から成っています。今回散策するのは、北の一群の一部です。関連MEMOの「知覧城へのルート案内図」をご覧になるとより分かりやすいです。

案内図が無くても、現地に写真のような案内表示がありますので、それに従って散策できますよ。

近世知覧麓前身の城として重要な知覧城の本丸へ

近世知覧麓前身の城として重要な知覧城の本丸へ

写真:村井 マヤ

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中世から近世にかけて、知覧城があった付近は「知覧院」と呼ばれ、鎌倉幕府が各国国衙の在庁官人に命じて作らせた図田帳(大田文)という土地台帳に記載があります。建久8(1197)年の図田帳には、郡司として平忠益、地頭として島津忠久(島津家初代)の名前が載っています。

知覧城を長きに渡り支配したのは、島津氏庶流の佐多氏です。一時期佐多氏以外の城になりますが、慶長15(1610)年以降は、佐多氏の居城で、知覧は幕末まで佐多氏(16代久達の時に長男家のみ島津姓を許されるようになります)の支配地でした。

しかし、11代当主の時に知覧城は原因不明の出火で炎上し、一国一城令発令前に廃城となったのです。その後、そのままの状態で残されていたため、比較的保存状態が良かったようです。

近世知覧麓前身の城として重要な知覧城の本丸へ

写真:村井 マヤ

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写真は、知覧城本丸の虎口(城の出入口)付近です。上に登ると玄関口が桝形になっているのが分かります。本丸は、南北に虎口を持ち、南北70m、東西70mの曲輪で、結構な広さがあります。

近世知覧麓前身の城として重要な知覧城の本丸へ

写真:村井 マヤ

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写真は、本丸跡に建つ顕彰碑。広々とした本丸の様子が分かります。奥の北側には土塁があるのも確認できます。本丸では、そのほかにも深さ2mあまりある竪穴遺構(土坑)が一基発見されています。

本丸以外では、蔵之城に12基も発見されている土坑ですが用途不明で、穴によっては青磁碗や貝殻片、イノシシの骨などが見つかっています。

本丸から蔵之城へ〜南九州独特の山城を味わう

本丸から蔵之城へ〜南九州独特の山城を味わう

写真:村井 マヤ

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こちらは前述の本丸跡に建つ顕彰碑の後方奥にちらっと写っていた、土塁です。火山灰の地層を削り出して築かれています。

本丸から蔵之城へ〜南九州独特の山城を味わう

写真:村井 マヤ

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本丸から蔵之城方面の様子です。道のように見える部分は空堀です。戦乱の時代なら、かなり険しい城ですが、現代の私たちが散策する場合は、なんだかワクワクしませんか?

本丸から蔵之城へ〜南九州独特の山城を味わう

写真:村井 マヤ

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蔵之城へと至る階段。このように歩きやすくしてあるのは、散策する側にとって助かります。下から見ると結構高さがあり、知覧城が城として機能していた時なら、攻める側になりたくないですね。蔵之城は、本丸ほど広くないですが、知覧城にとって重要な曲輪であったことは発掘調査で判明しています。

当時の城の暮らしも偲ばれる蔵之城

当時の城の暮らしも偲ばれる蔵之城

写真:村井 マヤ

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蔵之城の虎口の様子。虎口が桝形になっているのが分かりますか?写真中央の窪んだ所が、前の写真で見た登り階段を上がった所です。

そこから、わざと地面がむき出しにしてあるのが、桝形部分。そして写真向かって左側の盛り上がった平たい部分には、発掘調査によって発見された昔の虎口がありました。ここは、桝形ではなく直進して入城するようになっていました。

当時の城の暮らしも偲ばれる蔵之城

写真:村井 マヤ

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発掘調査では、東西約7.9m、南北約7.9mの建物跡と考えられる柱穴跡が確認されました。この掘立柱建物跡には、東南西側にひさしがついていました。北側にも多くの柱穴跡が見つかっており、寝室や台所が接続して建っていた可能性もあります。

当時の城の暮らしも偲ばれる蔵之城

写真:村井 マヤ

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城跡散策を終え、駐車場方面の様子です。本丸下の雑木林が向かって左側に見えています。その麓に桜並木が連なっていますね。花の盛りには美しい風景も楽しめるでしょう。もっと散策したい方は、ミュージアム知覧の学芸員の方などに相談の上、散策されるとより楽しめるのではないでしょうか?

知覧城跡の基本情報

住所:鹿児島県南九州市知覧町郡17880番地(ミュージアム知覧)
電話番号:0993-83-4433(ミュージアム知覧)
アクセス:JR鹿児島中央駅からバスで約75分、特攻観音入口バス停者下車徒歩約3分。九州自動車道経由、指宿スカイライン知覧ICから県道23・27号経由で約90分。(ミュージアム知覧)

2021年2月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2020/01/10 訪問

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