写真:雲本 らて
地図を見る「大聖寺坂」は京王井の頭線・永福町駅の北側にある商店街を北西に9分ほど歩いた場所にあります。坂道に隣接している大宮小学校のある場所にかつて大正寺があり、坂名は大正寺の本尊が大聖不動明王と称したことに由来するという説が有力です。
また、この坂は別名で大勝利坂と呼ばれていたという説もあります。これは八幡太郎(源義家)が奥州で大勝利を得た帰りに通った坂ということでそう呼ばれるようになったとも言われています。なお、現地には坂名の由来を記した坂の案内看板はありません。
ちなみに大聖寺坂の坂上あたりに隣接している大宮小学校の門の両側の擁壁には「空と山と海の子ども」という大宮小学校の生徒と画家の朝倉弘平氏によるカラフルな壁画が描かれています。坂道を歩きながらでも見ることができますので、ぜひ気にしてみてください。
写真:雲本 らて
地図を見る大聖寺坂の坂下あたりでは和田堀公園とも隣接しており、大聖寺坂と和田堀公園のコラボ風景も印象的です。また和田堀公園は小高い丘の上にあることから、園内も界隈の高低差具合が感じられる場所が多々あります。遠くには西新宿の高層ビルなどもみることができます。
<大聖寺坂の基本情報>
住所:東京都杉並区堀ノ内1丁目
アクセス:京王井の頭線・永福町駅より徒歩9分
写真:雲本 らて
地図を見る大宮八幡宮は京王井の頭線・永福町駅や西永福駅から徒歩でいえば10分ほどの場所にあります。大聖寺坂の坂上からなら西へ歩いて5分ほどの場所です。
源頼義により康平6年(1063)に建立されたと伝えられており、950年以上の歴史がある古い神社です。境内も15000坪あり、これは明治神宮、靖国神社に次いで都内第3位の敷地面積を誇ります。
写真:雲本 らて
地図を見る大宮八幡宮の一之鳥居側の前面道路は北側にある善福寺川へと下る坂道になっています。神社から和田堀公園に行くにはこの坂道を通るのが一番の近道なのですが、坂道風景的にも大宮八幡宮の擁壁や樹々、そして敷地の形に沿ったカーブ道のコラボが興味深いです。
ただこの坂道は道幅が狭いわりには、都道で南北を行き来するための主要な抜け道道路にもなっているため車の往来も多い場所。歩く際は注意が必要です。
写真:雲本 らて
地図を見る大宮八幡宮の北側エリアに広がっている和田堀公園内を南北に通る都道沿いに「山王坂」があります。坂道自体は和田堀公園側から北に上る形になっており、前述した大宮八幡宮の一之鳥居側の前面道路ともひとつの道路でつながっています。
坂名については、このあたりの台地に山王社の小祠があった事に由来するという説が有力です。ただ現地には坂名の由来を記した坂の案内看板はありません。
写真:雲本 らて
地図を見る山王坂のあるエリアには旧石器時代から古墳時代、近世にかけての複合遺跡である松ノ木遺跡があります。現地には、山王坂の坂下あたりで分かれて西に向かう道沿いをしばらく歩くと「松ノ木遺跡復原住居」という松ノ木遺跡つながりの古墳時代の住居址がそのまま保存・展示されている場所があります。
少しわかりにくい場所にありますが、現地には写真のような印象的な階段があり、階段を上ると目的の復原住居が園内にあります。なお階段下には「松ノ木遺跡 古墳時代住居跡・復原住居」と書かれた案内板もあります。
和田堀公園といえば、善福寺川だったり、園内のスポーツ施設などを思い浮かべる方も多いかもしれませんが、このように古くから存在する遺跡もあれば、近くには杉並区立郷土博物館もあります。タイムトリップ気分で公園散策してみるのもおもしろいかもしれないですね。
<山王坂の基本情報>
住所:東京都杉並区松ノ木1丁目
アクセス:京王井の頭線・永福町駅より徒歩12分
今回は大宮八幡宮や和田堀公園からすぐの場所にある「大聖寺坂」を中心に界隈のちょっとした歴史を感じることができる坂道や史跡などについても取り上げてみました。このあたりは松ノ木遺跡があるとおり大昔から人が暮らしていた形跡があり、そんなエリアにある2つの坂道も昔からあったと予想されます。
ぜひそんなことを思いながら公園や神社、そして坂道を歩いてみてください。また違った風景がみえてくると思います。
2021年1月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/3/18更新)
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