イタリア世界遺産「クレスピ・ダッダ」企業家が夢見た“労働者の理想郷”

イタリア世界遺産「クレスピ・ダッダ」企業家が夢見た“労働者の理想郷”

更新日:2021/05/25 15:03

橘 凛のプロフィール写真 橘 凛 ライター、エッセイスト
イタリア・ロンバルディア州ミラノの東、約35キロ。アッダ川が流れる静かな地域に、「クレスピ・ダッダ」と呼ばれる村があります。ここは、19世紀末、世界で初めて造られた「カンパニータウン(企業村)」。とある企業家が、労働者にとって本当に理想の社会とは?ということを問い続け、その実現を目指した一大プロジェクトは、その後の世界中の企業に大きな影響を与えました。世界遺産「クレスピ・ダッダ」をご紹介します!

「クレスピ・ダッダ」とはどんなところ?

「クレスピ・ダッダ」とはどんなところ?

写真:橘 凛

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「クレスピ・ダッダ」は、クリストフォロ・ベニーニョ・クレスピ(Cristoforo Benigno Crespi)という、19世紀イタリアを代表する富裕な資本家のひとりにより創設されました。イタリア北部に流れるアッダ川とブレンボ川が合流する支点に造られたため、「アッダ川のクレスピ」という意味合いを持つ「クレスピ・ダッダ(Crespi d’Adda)」と呼ばれています。

「クレスピ・ダッダ」とはどんなところ?

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創設当時は、18世紀イギリス発による産業革命と急速な近代化がイタリアにも大きく波及してきていました。同時に、現場で働く労働者達の劣悪な環境と待遇が、国家の社会保証制度ではまだカバーしきれておらず、大きな社会問題となっていました。

紡績業で財をなしたクレスピは、「資本家と労働者が人間的な関係性を結ぶこと」、そして「労働生産性を上げるためには、働く人々の暮らしを整えること」を大切にしなければならないと考えていました。そのため、自身の会社で働く労働者に対し、真の意味で快適な環境作りを提供するため、自らの資産を投じることにしたのです。

「クレスピ・ダッダ」とはどんなところ?

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その先進的な考えと取り組みは、まさに世界初の試みでした。「クレスピ・ダッダ」は、“労働者の理想郷”と称賛され、その後、世界各地のカンパニータウンのお手本となります。1995年には「南欧における、最も完全かつ良好な状態で保存されているカンパニータウンの貴重な例」として、ユネスコ世界文化遺産として登録されました。

「クレスピ・ダッダ」を歩いてみよう

「クレスピ・ダッダ」を歩いてみよう

写真:橘 凛

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「クレスピ・ダッダ」に入ってすぐの最も目立つ建物は、村の中心的存在である教会です。実はこの教会はオリジナルのデザインではなく、クレスピの出身地であるブストアルシチョ(ミラノのハブ空港であるマルペンサ空港の近く)のサンタ・マリア教会を完璧に模倣して造られています。この教会に従事する一部の神父も、クレスピ社に雇われており、住居も備えられていました。教会内は、毎週日曜日のミサの前後に訪問することができます。

「クレスピ・ダッダ」を歩いてみよう

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教会の隣にあるのは、従業員の子弟が通った学校です。当時のイタリアでは、義務教育課程は小学校の最初の3年間でした。しかし、教育を重要視していた「クレスピ・ダッダ」では5年間を義務教育と定めていました。専門性の高い優れた学校教育のおかげで、仕事に就く年齢を早めることをも可能したのです。また、同じ校舎で、労働者の家族向けに家政学の授業なども行われていました。

現在、この建物は、ロンバルディア州観光局による「クレスピ・ダッダ」のインフォメーションオフィスとなっています。ガイドツアーチケットやグッズを購入したり、歴史や見所を説明する写真やビデオが鑑賞できますので、ぜひ最初に訪れてください。

「クレスピ・ダッダ」を歩いてみよう

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その他、病院・食料品店・劇場・ボウリング場や図書室の入ったレクリエーションセンター・スポーツセンター・室内浴場・温水スイミングプールなど、「クレスピ・ダッダ」では、人々が生活する上で必要なインフラが何でも備えられており、従業員はすべて利用することができました。

従業員同士の仲はとても良かったようで、レクリエーションを共に楽しむ写真がたくさん残されています。また、洗濯場も設置されていたので、村の女性達は川まで洗濯に行くと言う重労働をする必要がありませんでした。写真は劇場の建物で、二代目社長であるシルヴィオの名が冠されています。

「クレスピ・ダッダ」のメインである工場

「クレスピ・ダッダ」のメインである工場

写真:橘 凛

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「クレスピ・ダッダ」の原動力であり、従業員の仕事場である工場は、村の面積の半分を占めます。工場には、1878年に発足した最初の部門である紡績業、そして製織業、染色業、倉庫、管理事務所などが含まれています。

「クレスピ・ダッダ」のメインである工場

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自然光がたっぷり入る工場は、天井の高い平屋建で、従業員らが快適に作業ができるよう、様々な工夫が凝らされていました。公共の電気を通しているのはもちろん、裏手にあるアッダ川の水流を利用した水力発電所も整備されていたという、当時ではまだ珍しいハイテクぶりです。また、この辺りの地域では初めて電話線を通した場所でもあります。

「クレスピ・ダッダ」のメインである工場

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工場そのものは2003年まで運営されていました。2013年以降は、地元の企業が所有権を取得しています。工場内は、特別な日程のみガイドツアーで開放されています。

人々の暮らしの土台となった住宅

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写真:橘 凛

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それぞれの従業員家族には、一戸建住宅が与えられていました。同じ区画で仕切られた二階建の家は、庭と家庭菜園付きで、自給自足生活をも可能にしていました。現在も多くの家で、子孫の人々が暮らしており、とてもアットホームな空気が流れています。整然と並んだ美しい住宅街は「クレスピ・ダッダ」の象徴として称えられました。

人々の暮らしの土台となった住宅

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村の奥の方にある9つの立派な家は、重役向けに造られました。庭も趣向が凝らされ、よく手入れされています。現在も非常に人気のあるデザインで、まるでモデルハウスのように素敵な家ばかりです。

人々の暮らしの土台となった住宅

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レンガ造りのお城のような建物は、創業者であるクレスピ一族が暮らしたクレスピ邸です。全44室もの部屋と大きな庭があり、威風堂々とした雰囲気を醸し出しています。戦前の一時期はファシスト党の地方本部や地域の中学校として使用されていたこともありました。残念ながら、現在こちらは私有財産のため、内部見学することができません。

「クレスピ・ダッダ」にゆかりのある人々が眠る墓地

「クレスピ・ダッダ」にゆかりのある人々が眠る墓地

写真:橘 凛

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そして、村の一番奥、静かな並木道を抜けたところに、「クレスピ・ダッダ」の共同墓地があります。立派な霊廟とお墓には、クレスピの創業者一族や従業員家族が埋葬されています。この地で共に生き、共に働き、共に眠る「クレスピ・ダッダ」の人々。現在もたくさんの子孫の人々が、お墓参りに訪れています。

「クレスピ・ダッダ」にゆかりのある人々が眠る墓地

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近年、至るところでよく耳にするようになった「サステナビリティ(持続可能性)」。ここは、100年以上も前からそれを実践してきた理想的なモデルケースでした。この地を訪れる者に、人にとって、企業にとって、幸せとは何なのか?ということを語りかけてくるようです。

「クレスピ・ダッダ」は、先人が残した素晴らしい遺産として、今後も注目され続けることでしょう。

クレスピ・ダッダの基本情報

住所:Corso Alessandro Manzoni, 18, 24042 Capriate San Gervasio BG
電話番号:+39-02-9093-9988
アクセス:ミラノ地下鉄M2のジェッサーテ(Gessate)駅よりバスZ310に乗車、トレッツォ(Trezzo)にて下車(約25分)。その後徒歩で約20分

2021年5月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2021/05/02 訪問

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