もうすべらせない!大阪・亀の瀬地すべり「亀の瀬トンネル」

もうすべらせない!大阪・亀の瀬地すべり「亀の瀬トンネル」

更新日:2022/11/14 16:23

モノホシ ダンのプロフィール写真 モノホシ ダン 総合旅行業務取扱管理者、総合旅程管理主任者
大阪府柏原市の渓谷地帯「亀の瀬」は、約4万年前から地すべりが頻発してきた難所であり、大阪と奈良を結ぶ官道「龍田古道」の重大な脅威となっていました。そのため、飛鳥時代から人々は龍田の風の神に旅や暮らしの安寧を祈願し、現在に至るまで最新の土木技術を投じこの要地を守ってきました。亀の瀬を訪れて、土砂に埋没した鉄道トンネルや河川に斜めに架けられた橋梁など人と地すべりの共生と闘いの歴史を体感してみませんか。

地すべりの仕組みが分かる「亀の瀬地すべり歴史資料室」

地すべりの仕組みが分かる「亀の瀬地すべり歴史資料室」

写真:モノホシ ダン

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地すべりとは、粘土層などのすべりやすい地層(すべり面)の上部の土塊が、地下水などの影響をうけ、ゆっくりと動き出す現象です。

大阪(河内)と奈良(大和)の国境に位置する「亀の瀬」は、奈良盆地の水を一手に集める渓谷地帯で、約4万年前に地すべりで移動した土中から当時の木片が発見されており、地すべりはそれ以前から起こっていたと考えられています。

また万葉集に出てくる「畏(かしこ)の坂」が亀の瀬付近の龍田古道を指し、その由来が地すべりにあったと考えられています。写真は、水の神様を祀る奈良県の明神山(みょうじんやま)から見た亀の瀬の全景です。

地すべりの仕組みが分かる「亀の瀬地すべり歴史資料室」

写真:モノホシ ダン

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亀の瀬地すべりについて詳しく知ることができるのが「亀の瀬地すべり歴史資料室」です。平日の見学は、団体のみで事前予約が必要ですが、日曜・祝日は自由見学が可能です。また、午前と午後にはボランティアガイドによる無料定時ツアーも開催しています。

ツアーでは、排水トンネルなどの現地見学を楽しめるほか、1932年(昭和7年)の地すべりで圧壊し、約80年後に一部が発見された旧大阪鉄道亀瀬隧道が必見です。

地すべりの仕組みが分かる「亀の瀬地すべり歴史資料室」

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歴史資料室では、地滑りの歴史背景や地すべり土を取り除く排土工、地すべりの要因となっている地下や地表の水を抜く排水工、170基以上の深礎坑(写真)で地すべりを止める対策工事などについて学ぶことができます。

亀の瀬地すべりについて、さらに深く知りたいという方は、ボランティアガイドによる無料定時ツアーの前後に見学してみてはいかがでしょうか。

ボランティアガイドによる無料定時ツアーに参加しよう

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写真:モノホシ ダン

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亀の瀬地すべり地は、大和川が奈良盆地から大阪平野に向かう渓谷部の右岸側斜面に位置します。この地は、万葉の時代には龍田越えとして知られ、今も国道25号、JR関西本線が大和川の左岸沿いに並行して走り、大阪と奈良をつなぐ交通の要衝です。

そのため地すべりが起こると、重要な交通路が断たれるだけでなく、大和川を塞いで大水害をもたらす危険性が高くなります。そこで1962年(昭和37年)から建設省(現国土交通省)の直轄事業として地すべり対策工事を実施し、近年は地すべりがほとんど見られなくなりました。

ボランティアガイドによる無料定時ツアーに参加しよう

写真:モノホシ ダン

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無料定時ツアーでは、歴史資料室で、約15分間の亀の瀬地すべりのビデオでレクチャーを受けた後、集水井工(写真)と排水トンネル工を見学します。

この工程は、地下水排除工と呼ばれ、地すべり土塊内の地下水を地すべり地の外に出して地下水位を低下させるのが目的です。

ボランティアガイドによる無料定時ツアーに参加しよう

写真:モノホシ ダン

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直径3.5mの集水井工は、地下水が滞水する部分や通り道に設置される井戸で、地下水を集め排水トンネルなどに排出します。集水井からは絶えずボタボタと地下水が落ちてくるので、見上げた際には濡れないように注意しましょう。

時空を超えてタイムスリップ「亀の瀬トンネル」

時空を超えてタイムスリップ「亀の瀬トンネル」

写真:モノホシ ダン

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まるで秘密基地への入口を思わせる排水トンネル工は、集水井と連結されており、トンネル内からボーリングをおこない、主に深い層の地下水を排除します。

排水トンネルは、1号から7号まであり、その内の1本、排水トンネル1号では1日平均約137tもの水を集めています。

時空を超えてタイムスリップ「亀の瀬トンネル」

写真:モノホシ ダン

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無料定時ツアーのクライマックスといえるのが、旧大阪鉄道亀瀬隧道です。1892年(明治25年)に完成したものの、1931年(昭和6年)に、大規模地すべりによる亀裂と隆起が発見され、補強工事の甲斐なく崩落が進み、翌1932年(昭和7年)に放棄が決定。線路は大和川左岸に移されました。

この亀の瀬トンネルは、2008年(平成20年)の排水トンネル掘削中に一部区間が偶然見つかったものです。崩壊から約80年ぶりに発掘されたトンネルは驚くほど綺麗な状態で、天井には往時の蒸気機関車の残した煤も見られ、時空を超えてタイムスリップしたような感覚に陥ります。

時空を超えてタイムスリップ「亀の瀬トンネル」

写真:モノホシ ダン

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発見された亀の瀬トンネルでは、当時のままの崩壊箇所を見ることができます。亀の瀬トンネル内の煉瓦は、耐久性に優れたイギリス積みで施工されていました。

イギリス積みとは、明治に日本へ伝わってきた技術で、レンガの長手だけの段と小口だけの段を交互に積み上げる方式です。この強度の高さが、トンネルの崩壊を最小限に食い止めたとも言えます。

なお、亀の瀬とその周辺は、『もう、すべらせない!〜龍田古道の心臓部「亀の瀬」を越えてゆけ〜』として、2021年(令和3年)に98番目の日本遺産に認定されました。

橋が橋を支える!?特異構造の「第四大和川橋梁」

橋が橋を支える!?特異構造の「第四大和川橋梁」

写真:モノホシ ダン

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無料定時ツアーで驚異の地下世界を満喫したら、1931年(昭和6年)〜1932年(昭和7年)にかけての地すべりによって大和川の左岸に造られた特殊な橋梁、「第四大和川橋梁」に行ってみましょう。

橋が橋を支える!?特異構造の「第四大和川橋梁」

写真:モノホシ ダン

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第四大和川橋梁は、JR河内堅上駅から龍田古道を歩いて約10分、亀の瀬渓谷の川の流れに対して30度斜めにカーブしながら架けられています。変わっているのは、トラス橋を土台としてその上にガーター橋が乗っかった鉄橋であるということです。

さらにすぐ横を通る国道25号線も、ガーター橋を土台にして跨いでおり、全国でも類を見ない特異な構造の鉄橋です。

橋が橋を支える!?特異構造の「第四大和川橋梁」

写真:モノホシ ダン

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国道25号線からは、第四大和川橋梁を間近に見ることができます。白いトラス橋は、上の橋を支えるためだけに存在し、人や車も渡れず、橋としての機能はありません。

第四大和川橋梁は、地すべりによって崩壊した亀の瀬トンネルの代替えとして、1932年(昭和7年)7月に架橋工事が開始され、同年12月に完成しました。

工期わずか半年と、短い期間で急遽架けられながら、JR関西本線(大和路線)の大動脈として今も使用されています。亀の瀬を訪れたなら、亀の瀬地すべり歴史資料室とともに見学してみてはいかがでしょうか。

<第四大和川橋梁の基本情報>
住所:大阪府柏原市
アクセス:JR河内堅上駅から徒歩約10分

亀の瀬地すべり歴史資料室の基本情報

住所:大阪府柏原市峠28-1
電話番号:072-971-1381
開館日:
平日 9:30〜12:00、13:00〜16:30(平日は予約制)
日曜日・祝日 9:30〜12:00、13:00〜15:00(日曜日・祝日は予約不要で見学可)
無料定時ツアー:日曜日・祝日のみ、午前3回・午後3回(所要時間約60〜90分)
休館日:土曜日
アクセス:JR関西本線(大和路線)河内堅上駅より徒歩約20分
車利用の方は、臨時専用駐車場利用

2022年11月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2019/03/16−2022/11/06 訪問

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