写真:Naoyuki 金井
地図を見る全長120mの前方後円墳で、5世紀後半に造られたと考えられている「稲荷山古墳」は、埼玉古墳群では一番古い古墳で、古墳の上に登れる数少ない古墳です。
稲荷山古墳の注目ポイントは、後円部の頂上から発見された埋葬施設です。木棺の周囲を礫(細かい砂利)で囲んだ部分からは多くの副葬品が出土し、国宝となった「金錯銘鉄剣」が発見されました。
剣の両面のたった115文字の漢字から、5世紀後半には奈良の大和朝廷の権力が北関東にまで及んでいたことが判る歴史的に大変貴重なものです。
これらの国宝は現在、埼玉古墳群にある「さきたま史跡の博物館」に展示されていますので合わせて必見です。
古墳時代の胎動ロマンを、稲荷山古墳で感じてください。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る直径105mある日本最大の円墳で、6世紀前半に築かれたと推定されている「丸墓山古墳」は、「稲荷山古墳」同様、埼玉古墳群にあり、埋葬施設や副葬品などは確認されていない古墳です。
何が見所かと言えば、1590年に石田三成が忍城を水攻めにした際に陣が張られた場所が、この古墳の頂上なのです。
現在、古墳に続く一段高い桜並木の路が、かつて「石田堤」と言われた水攻めの堤防跡です。
結果は三成の敗北となったのですが、この水攻めを忍城側から描いたのが『のぼうの城』です。
現在でも古墳の頂上に登ることが出来ますので、是非、ご自分の目で再現された「忍城」を眺めてください。
群雄割拠した戦国ロマンを、丸墓山古墳で味わえるでしょう。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る全長120mの前方後円墳で、6世紀後半から7世紀にかけて築かれたといわれる「小見真観寺古墳」は、小見古墳群に属し、横穴式石室の埋葬施設と共に副葬品も出土され、東京国立博物館に収蔵・展示されています。
この古墳は、名前の通り『真観寺』の境内にあります。
聖徳太子時代の創建とも言われる真観寺は、忍城の仏間が本堂にある忍城にゆかりの寺院です。本尊は「聖観音」と聞きなれない観音様ですが、一般には阿弥陀三尊のうちの左脇侍像で、単独になると「聖観音」と呼ばれる藤原時代末期の美しい立像です。
古墳の上に登って頂上から境内を見渡せば、その由緒ある本堂や美しい聖観音堂を目の当たりに出来るでしょう。
中世の仏教ロマンを、小見真観寺古墳で偲んでください。
直径約80mの大型円墳で、7世紀前半に築かれたと言われる「八幡山古墳」は、若小玉古墳群に属しています。この時期、埼玉古墳群が小型化していく中で、逆に大型化していく若小玉古墳群は、その力関係が逆転していくことを示す歴史的に重要な古墳です。
特筆すべきことは、昭和9年に古墳が崩された際、全長16.7mの巨大な石室が現れ、最高級の棺の破片や銅椀など豪華な遺物が発見されました。このことから、この古墳はかなりの権力者が葬られたと考えられているのです。
奈良の石舞台に匹敵する巨大さから「関東の石舞台」と呼ばれている石室は、外から内からじっくり見ることが出来ます。
奈良の明日香ロマンを、八幡山古墳で遠く思い描いてください。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る一辺約28m、高さ約4.5mの方墳で、7世紀中頃から後期に築かれたとされる「地蔵塚古墳」は、「八幡山古墳」同様、若小玉古墳群に属し、頂上に地蔵堂があることから名付けられ、裏手には地蔵塚公園がある住宅街に残る珍しい古墳です。
石室が残っていますが、こちらは頂上に登れても、石室には入ることは出来ません。それは、石室の壁に描かれている、人物、馬、鳥、家などの線刻画を保護するためで、北武蔵唯一の線刻画として大変貴重な県指定史跡となっています。
住宅街の真ん中に現れた古墳は、古代人のメッセージである線刻画を、あたかも現代人に伝えようとしているかのようです。
古墳時代の終焉ロマンを、地蔵塚古墳で焼き付けてください。
昨今、穏やかな古墳ブームが訪れているようですが、一般の方にはまだまだ縁遠い古墳です。
今回は、歴史的、文化財的に重要でありながら、全て古墳の上に登ることができ、一部石室にも入れる、まさに古墳入門用とでも言うべき古墳を厳選しました。
特に整備された古墳ですから、見やすく気軽に訪れることのできる古墳です。
勿論、古墳はお墓ですから、それなりの敬意とマナーは払わなければなりませんが、観光気分で古墳を巡るのも、いつもとは違った旅になることでしょう。
また、埼玉古墳群ではイベントなども開催されていますので、それに合わせて行くのも良いでしょう。
きっと、あなたも古代人からのメッセージを受け取ることが出来るはずです。
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2023/12/2更新)
- 広告 -