宮崎県の中央部・西都市にある都萬神社は、創建は定かではありませんが、「続日本後記」の中で、仁明天皇の時代、承和(じょうわ)4年(西暦834年)8月の条に記載されているほど、古く由緒ある神社のひとつです。
日本で最も古いと言われる「古事記」の中で、邇邇芸命と木花開耶姫命が、日本初の「結婚式(婚礼儀式)」を行った場所で、嫁入りをそのまま再現する神事が、毎年7月7日に行われている「更衣祭(こういさい)」です。木花開耶姫命の御神像に婚礼衣装をお着せし、お化粧や角隠しで花嫁姿になって頂くものです。このことから、「恋愛がうまくいく!良縁にめぐりあえる!」神社としても有名で、多くの女性が訪れています。
また、縁結びだけでなく「安産」「子育て」と女性に縁の深いご利益があるとされています。
本殿の南、一の鳥居を抜け南参道のつきあたりに、樹齢約1,200年の国指定天然記念物の大楠「妻のクス」がそびえています。神社名は、木花開耶姫命が、邇邇芸命の「妻」であったことが由来しており、その音をとって、都萬神社と名付けられました。また、神社周辺の地名も「西都市大字妻」、そしてこの大楠も「妻のクス」と呼ばれ、「妻」に因んだ名前が付けられています。
昭和42年と平成2年に、幹の空洞部からの出火のため被災し、過去にも強風などの被害にあったこともありましたが、今では、青々と緑を茂らせ、生命力の強さを物語っています。「妻」として家庭を支える、女性の強さも表しているようです。
境内の大楠の一部で作られた木洞で、慎み・畏まる・通るの意味から洞洞木と呼ばれ、「願いを通す」と言われています。案内板には、「入口の前で一礼し、願い事を心の中で申しつつ木洞を潜り抜け終わって一礼してください。」と書かれ、参拝者が潜っています。お賽銭箱にはハート型の木札が付けられおり、「縁結び」の神社ならではという感じがします。
千年楠の洞洞木の隣には、「日本清酒発祥の地」の木碑がたてられています。これは、木花開耶姫命が三つ子の皇子を産み、母乳が足らなくなってしまった時に、西都原から湧き出る水を使って、田を作り、その稲(米)で作った甘酒を代わりに飲ませ育てたという説話が残っているためです。現に、神社近くには「酒元(さかもと)」と呼ばれる集落があり、今もなお秋の例大祭には、甘酒をお供えしています。
また母乳が足らなくても、甘酒を作り、三人の皇子を立派に育てたことから「子育ての神」とも言われています。
女性ならではご利益の多い都萬神社は、女子力を上げるパワースポットとして有名です。モデルのエビちゃん(蛯原友里さん)も、都萬神社の御神木で作られたハート型のお守りを身に着けていて、結ばれたとの話もあります。
またこの神社は、古事記の「記」、日本書紀の「紀」から名付けられた「記紀(きき)の道」のスタート地点としても知られています。木花開耶姫命が邇邇芸命と出会った場所や新婚生活を送った八尋殿(やひろでん)、出産をした無戸室(うつむろ)、三人の皇子をんい産湯として使われた児湯(こゆ)の池、そして、夫婦のお墓と言われている、男狭穂塚(おさほづか)、女狭穂塚(めさほづか)まで続く、およそ4キロメートルの道です。
都萬神社で縁結びのご祈願の後に、木花開耶姫命の生涯をなぞる「記紀の道」を歩く事もおススメです!
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