紅葉は必見!「和歌山城西之丸庭園」で癒しの時間を過ごす

紅葉は必見!「和歌山城西之丸庭園」で癒しの時間を過ごす

更新日:2023/10/02 15:13

島塚 渓のプロフィール写真 島塚 渓 トラベルライター
「和歌山城西之丸庭園(わかやまじょうにしのまるていえん)」は、江戸時代に藩主の優雅な趣味を楽しむ場所として整備された庭園です。現在では一般にも公開され、和歌山県を代表する紅葉の名所として知られています。今回の記事では国の名勝に指定されている西之丸庭園の歴史とその魅力を紹介していくので、ぜひ実際に足を運んでみてください。

江戸時代に栄えた城郭

江戸時代に栄えた城郭

写真:島塚 渓

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和歌山城は紀州を平定した豊臣秀吉が、天正13年(1585年)に弟の秀長に命じて築城されました。実際に工事の指揮を執ったのは、築城の名人とされ、後に江戸城の設計を行った藤堂高虎(とおうどうたかとら)です。

和歌山城の城主は、天正14年(1586年)に桑山氏、慶長5年(1600年)に浅野氏へと受け継がれ、元和5年(1619年)からは徳川家康の十男にあたる徳川頼宣(よりのぶ)が務め、ここに紀州徳川家が誕生します。尾張徳川家、水戸徳川家と合わせて御三家と呼ばれた紀州徳川家は、八代将軍の徳川吉宗を輩出するなど非常に高い家格を持っていました。

江戸時代に栄えた城郭

写真:島塚 渓

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藩主が政治および生活の中心とした二の丸には御殿が築かれ、江戸城と同様に大奥も置かれました。また、二の丸と庭園がある西之丸との間には、双方をつなぐ「御橋廊下(おはしろうか)」が設置され、風雨を避けるとともに外から藩主の姿が見えないようにする役割があったとされています。

御橋廊下は、江戸時代の図面をもとに平成18年(2006)復元され、両岸の高低差のため全国的にも珍しい斜めにかかる橋となっています。

複雑な地形を生かした庭園

複雑な地形を生かした庭園

写真:島塚 渓

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西之丸庭園は敷地内にある急峻な斜面を活かし、背後に「紀州青石(きしゅうあおいし)」と呼ばれる暗緑色の庭石を使った豪快な石組が見どころです。内堀を大きな池に見立て、周囲を歩いて鑑賞する「池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)」となっています。

園内に高低差があるため目線に違いが生じ、様々な角度から雰囲気の異なる景色を楽しめることができます。

複雑な地形を生かした庭園

写真:島塚 渓

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西之丸庭園は紀州徳川家の初代藩主である徳川頼宣が築かせたという説と、徳川家以前に城主を務めていた浅野家の家臣の上田宗箇(うえだそうこ)が作庭したという2つの説があります。

その後、茶室や離れ座敷が建てられ、歴代の紀州藩主が茶道をはじめとする風雅な趣味を楽しむ場所として利用されました。当初の庭園は太平洋戦争の空襲により天守閣とともに焼失してしまいますが、1970年代に約3年の歳月をかけて復元されました。

街中で楽しめる紅葉の名所

街中で楽しめる紅葉の名所

写真:島塚 渓

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西之丸庭園は紅葉の美しさから、紅葉渓(もみじだに)庭園とも呼ばれています。例年11月下旬から12月上旬頃にカエデを中心に、8217平方メートルの広さを持つ園内は鮮やかな赤色や黄色に包まれます。

入り口の茅葺屋根の表門をくぐると街中にいるのを忘れさせてくれるような光景となり、まるで山中を散策しているような雰囲気を感じさせます。

街中で楽しめる紅葉の名所

写真:島塚 渓

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内堀にせり出すように配置された鳶魚閣(えんぎょかく)は、紅葉とのコントラストが非常に美しい建物です。当初は池の中央にあったと考えられていますが、戦後の復元の際に現在の位置に建てられました。

室内は四畳半の畳敷で、窓はアーチのような形をした伝統的な火灯窓(かとうまど)となっており、往時の面影を十分に現代に伝えています。

和歌山城西之丸庭園の基本情報

住所:和歌山県和歌山市一番丁3
アクセス:和歌山バス「市役所前」下車すぐ
拝観時間:9:00〜17:00
拝観料:無料

2023年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2022/11/26 訪問

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