極楽浄土を再現した京都「浄瑠璃寺」で平安時代の願いを追体験せよ

極楽浄土を再現した京都「浄瑠璃寺」で平安時代の願いを追体験せよ

更新日:2024/01/09 10:59

島塚 渓のプロフィール写真 島塚 渓 トラベルライター
京都府木津川市に建てられている浄瑠璃寺(じょうるりじ)は、特別名勝に指定されている庭園、そして国宝の本堂や三重塔が見どころの寺院です。特に極楽浄土への往生を願って造られた庭園は、平安時代末期の思想や願いを感じられる貴重なスポット。ぜひ実際に足を運んで、歴史の重みを体感してみてください。

浄土信仰の影響を受けた寺院

浄土信仰の影響を受けた寺院

写真:島塚 渓

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浄瑠璃寺の詳しい創建の年は分かっていませんが、奈良時代に聖武天皇が行基に命じて建立させたという言い伝えがあります。その後、平安時代の永承2年(1047年)に薬師如来を安置する本堂が建てられ、嘉承2年(1107年)には薬師如来に変わって9体の阿弥陀如来像を祀る新たな本堂が建立されました。

さらに、平安時代末期になると庭園が整備され、池を中心として東側に三重塔西側に本堂(九体阿弥陀堂)という現在の伽藍配置になりました。

浄土信仰の影響を受けた寺院

写真:島塚 渓

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平安時代末期に造園された浄瑠璃寺は、仏教の浄土信仰の影響を強く受けています。このころ「末法」の時代が到来し、ブッダの教えが正しく伝わらず悟りを開けなくなるという思想が広まりました。そのため、貴族を中心にブッダではなく阿弥陀如来(あみだにょらい)を頼り、救いを求めるという浄土信仰が隆盛しました。

平安時代末期には京都府宇治市の平等院鳳凰堂に代表されるような極楽浄土の世界を再現した寺院が多く造られましたが、時間の経過とともにかなりの数が廃寺になったと考えられています。

極楽浄土への憧れから生まれた庭園

極楽浄土への憧れから生まれた庭園

写真:島塚 渓

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浄瑠璃寺の境内は宝池を中心に、東側は薬師如来を祀る三重塔、西側は阿弥陀如来を祀る本堂があります。これは太陽の上る東側に現世の苦しみを除く薬師如来、太陽の沈む西側に西方浄土を統治する阿弥陀如来を配置しているからです。

昼と夜が同じ長さになる春分と秋分には、太陽がちょうど三重塔から上り、本堂の真裏に沈むように設計されています。これは苦しみに満ちた此岸(しがん)から仏様の暮らす彼岸(ひがん)への憧れを強く感じさせる構成となっています。

極楽浄土への憧れから生まれた庭園

写真:島塚 渓

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浄瑠璃寺の庭園は昭和に入ってから発掘調査に基づいた整備が行われ、水際に玉石を敷きつめるなど、当時の雰囲気が伝わるように復元されています。池に浮かぶ島には弁才天を祀る小さな祠があり、島の先端には立石が置かれています。また、三重塔と阿弥陀堂の前にある石灯籠は南北朝時代のものであり、立石と二本の灯篭はすべて一直線上に並べられています。

本堂と三重塔は必見

本堂と三重塔は必見

写真:島塚 渓

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庭園の西側にある本堂には9体の阿弥陀如来が横一列に安置され、その前には仏像と同じ数だけの扉が設置されています。中央の阿弥陀如来だけ他の8体より大きいため、前面の扉も1つだけ大きく造られています。

阿弥陀如来は「南無阿弥陀仏」と唱えることで極楽浄土に導いてくれる仏様で、末法の時代が到来した平安時代末期以降に広く信仰されました。

本堂と三重塔は必見

写真:島塚 渓

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薬師如来を祀る三重塔は、もともと他の寺院に建てられていたものを治承2年(1178年)に浄瑠璃寺へと移築されました。薬師如来は現世で病気の苦しみから救ってくれる仏様として、古代から広く信仰されてきました。この薬師如来は本堂に収められている阿弥陀如来が完成する前の本尊だと考えられています。

浄瑠璃寺の基本情報

住所:京都府木津川市加茂町小札場40
アクセス:近鉄奈良駅から急行バス浄瑠璃寺下車
拝観時間:9時〜17時(3月〜11月)10時〜16時(12月〜2月)
拝観料:本堂400円(中学生以上)

2024年1月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2022/11/27 訪問

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