聖徳太子、ここに眠る!大阪府の「叡福寺」と「西方院」

聖徳太子、ここに眠る!大阪府の「叡福寺」と「西方院」

更新日:2025/08/04 13:17

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員
聖徳太子(厩戸王)といえば、その名を知らない人はいないでしょう。冠位十二階や十七条憲法の制定、遣隋使の派遣など、その数々の業績は万人に知れ渡っており、日本を代表する偉大な古代の政治家であったことは間違いありません。そんな太子のお墓が、大阪府太子町に残されていること、ご存知ですか?今回は太子信仰の聖地として崇敬されてきた「叡福寺(えいふくじ)」と「西方院(さいほういん)」をご紹介しましょう。

太子信仰の聖地!大阪府太子町の叡福寺

太子信仰の聖地!大阪府太子町の叡福寺

写真:乾口 達司

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「聖徳太子」の名で知られる厩戸王の誕生は、574年(敏達天皇3年)。用明天皇の第二皇子として生まれた太子は、推古天皇が皇位につくと、皇太子・摂政として、これまでにはなかった施策を次々に実行に移し、古代国家の礎を築きあげました。薨去されたのは、622年(推古天皇30年)2月22日のこと。御遺体は生前に定められていたこの地に埋葬され、太子の菩提を弔うために、今回、ご紹介する「叡福寺」が建立されたと伝わります。

現在、叡福寺は、八尾市の「大聖勝軍寺」(下の太子)、羽曳野市の「野中寺」(中の太子)に対して「上の太子」と呼ばれ、太子信仰の聖地の一つとして、日々、多くの参詣者が訪れています。

太子信仰の聖地!大阪府太子町の叡福寺

写真:乾口 達司

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広い境内には、数々の堂塔が点在しています。写真はそのうちの多宝塔。聖霊殿とともに国の重要文化財に指定されています。

叡福寺は織田信長の兵火によって荒廃しますが、江戸時代に入り、再建が進みます。多宝塔の再建は1652年(承応1)。豪商・三谷三九郎の寄進によったものですが、民間の力によって再建されているということからは、太子信仰が庶民のあいだでもいかに根強いものであったかがうかがえます。

聖徳太子御廟所

聖徳太子御廟所

写真:乾口 達司

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山門をくぐると、正面奥にこんもりとした森が見えます。これが聖徳太子の御廟所である「磯長墓」。現在は宮内庁の管理下に置かれています。考古学上は「叡福寺北古墳」と呼ばれており、南北約43メートル、東西約53メートル、高さ約11メートルの規模を誇る巨大な古墳です。

埋葬施設は横穴式石室。開口部には、ご覧のように、唐破風の屋根を持った御霊屋が設けられ、開口部を覆っています。

聖徳太子御廟所

写真:乾口 達司

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三重の屋根から成る御霊屋をじっくりご覧になると、唐破風の軒下に木彫りの阿弥陀三尊が掲げられているのが、おわかりいただけるでしょう。これは太子の御廟所が阿弥陀信仰と深く結びついている証。中世に入ると、太子信仰はよりいっそうさかんになりますが、阿弥陀三尊はその証というべきものです。

聖徳太子御廟所

写真:乾口 達司

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横穴式石室の内部には、太子のほか、母親である穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)と妻である膳部臣菩岐々美郎女(かしわでのおみほききみのいらつめ)が埋葬されているといわれます。

近代以前は石室の内部まで立ち入ることができたようですが、現在、立ち入りは禁じられています。しかし、御廟所の脇にはご覧のような解説版が設置されており、石室内部の様子を知ることができます。こちらの図を参考にして、太子の眠る石室のなかをご想像ください。

御廟所をとりかこむ結界石の群れ

御廟所をとりかこむ結界石の群れ

写真:乾口 達司

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御廟所のまわりには、墳丘をとりかこむようにして、石柱がずらりと並べられています。これは「結界石」と呼ばれるものです。

御廟所をとりかこむ結界石の群れ

写真:乾口 達司

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結界石は墳丘にそって二重にめぐらされており、それぞれ「中段結界石」「下段結界石」と呼ばれています。内側の「中段結界石」の方が古く、弘法大師・空海が一夜にして築いたものであるといった伝承も残されています。かの空海も、太子を慕って叡福寺に参拝していたのです。

空海のほか、親鸞や日蓮、一遍なども叡福寺に参拝していますが、日本の仏教界を牽引した錚々たる高僧たちからも慕われていたという事実から、法隆寺や四天王寺を建立し、仏教の興隆に尽力した太子の遺徳が時代を経ても廃れることのなかったことがうかがえます。

太子信仰の篤さを実感する石碑や墓石

太子信仰の篤さを実感する石碑や墓石

写真:乾口 達司

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墳丘の脇には、ご覧のような石碑が建立されています。こちらは「太子廟窟偈」と呼ばれている石碑。太子が遺言として遺した偈文(仏の教えや仏の徳をたたえた文)が刻まれており、「一度参詣離悪趣」(ひとたび参詣すれば、悪行を重ねたものが落ちるとされる餓鬼界・畜生界・地獄界といった下層世界から離れ、極楽浄土へ行ける)といった文言が、太子のお墓の持つ功徳を端的に示しています。

太子信仰の篤さを実感する石碑や墓石

写真:乾口 達司

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叡福寺北古墳をとりかこむように、周囲にはたくさんの墓石が林立しています。墓石は近代以前に建立されたものも多く、太子信仰の深さを強く印象付けてくれます。

<叡福寺の基本情報>
住所:大阪府南河内郡太子町太子2146
電話番号:0721-98-0019
アクセス:金剛ふるさとバス(近鉄バス)/たいしのってこバス(太子町コミュニティバス)「聖徳太子御廟前」停留所よりすぐ

あわせて参拝を!西方院・三尼公御廟所

あわせて参拝を!西方院・三尼公御廟所

写真:乾口 達司

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叡福寺の参拝を終えた後は、道路を挟んだ向かいに建つ西方院にも参拝しましょう。西方院の起源は、太子の乳母であった善信・禅蔵・恵善が、太子の没後、その菩提を弔うために堂宇を建立したことにはじまります。

あわせて参拝を!西方院・三尼公御廟所

写真:乾口 達司

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境内の南側に広がる墓地の一角には、大きな覆屋が建立されています。その内部には風化の著しい石造の層塔が3基並んでいますが、これが彼女たちの廟所「三尼公御廟所」です。

西方院は太子の御廟所の南方に位置し、その安らかな眠りを見守るかのように乳母たちの御廟所が位置しているとは、感慨深いですね。

<西方院の基本情報>
住所:大阪府南河内郡太子町太子1663
電話番号:0721-98-0133
アクセス:金剛ふるさとバス(近鉄バス)/たいしのってこバス(太子町コミュニティバス)「聖徳太子御廟前」停留所よりすぐ

聖徳太子のお墓にお参りしよう!

叡福寺とその周辺に点在する史跡が太子と深い関わりを持っていること、ご理解いただけたのではないでしょうか。叡福寺にはほかにも大阪府指定の文化財に登録されている金堂や鐘楼、中世以降の数々の石塔・石仏なども点在しており、太子信仰の広がりとその奥深さを学ぶのに格好のスポットであるといえます。日本史を代表する偉人・聖徳太子。その素晴らしい業績の数々を思い浮かべながら、叡福寺に参拝してみてはいかがでしょうか。

2025年8月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2025/04/13 訪問

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