写真:乾口 達司
地図を見る「田島」は大阪市生野区の南方に位置する地区。戦後、宅地開発がなされるまでは周囲一帯に田畑が広がっており、そのなかに位置する村落を島に見立てたところから名付けられた地名であるといわれています。
その田島地区の鎮守こそ「田島神社(たしまじんじゃ)」です。田島神社の由緒来歴には不明な部分も多いのですが、遅くとも、江戸時代前期には当地に存在していたと考えられています。もとは天神社あるいは天満宮と呼ばれていましたが、1909年(明治42)、現在の社号にあらためられました。
写真:乾口 達司
地図を見る境内の一角には、田島地区の地車(だんじり)を格納した倉庫もあります。ここからも田島神社がいまなお地域の中心となっていることがおわかりいただけるでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見る田島神社でぜひご覧いただきたいのが、参道脇に立つこちらの石碑。石田太次郎という人物の報徳碑で、その脇には「眼鏡レンズ発祥之地」と刻まれた石碑も添えられています。これこそ田島が眼鏡レンズ発祥の地であることの証です。
「眼鏡レンズ発祥之地」によると、田島の地で眼鏡レンズの製造がはじまったのは、江戸時代末期の1857年(安政4)。同地出身の石田太次郎が丹波におもむいた折にレンズ研磨の技術を習得し、帰郷後、それを農家の副業とするべく普及活動を行ったことにちなみます。大正時代には眼鏡の一大生産地となり、戦後は医療用具レンズの製造も手掛け海外へも商品を輸出するなど、国内における生産拠点として重要な地位を占めていました。
私たちが日常的に使っている眼鏡が、ここ、田島を発祥の地としていることに驚く方も多いのではないでしょうか。
写真:乾口 達司
地図を見る報徳碑の正面には小さな鳥居も据えられており、いまでも石田太次郎が田島に暮らす人たちから敬われていることがうかがえます。
その鳥居に結び付けられた注連縄が眼鏡の形をしているのは、何ともユニークです。さすがは眼鏡レンズ発祥の地ですね。
写真:乾口 達司
地図を見る奉納されている絵馬の図柄も、ご覧のとおり。眼を患っている方や視力に不調を感じている方は絵馬にお願い事を綴り、奉納してみてはいかがでしょうか。
ちなみに、毎年11月3日には、太次郎の功績をたたえる目的で「めがね祭り」がもよおされます。
<田島神社の基本情報>
住所:大阪府大阪市生野区田島3-5-34
アクセス:大阪シティバス「田島3丁目」より徒歩約3分
写真:乾口 達司
地図を見る田島の眼鏡産業は、その後、衰えますが、それでもなお眼鏡産業で栄えていた当時の面影が各所に残ります。
たとえば、こちらは田島神社の参道脇にある眼鏡屋の「向井明光堂」。付近をめぐると、こういった眼鏡屋さんがいまでも何軒か見られますよ。
<向井明光堂の基本情報>
住所:大阪府大阪市生野区田島3-5
アクセス:大阪シティバス「田島3丁目」より徒歩約3分
写真:乾口 達司
地図を見るこちらは「めがね温泉」の名を持つ銭湯。当地の眼鏡産業の由来を知らない人は、なぜ、銭湯の名前に「めがね」の名がつけられているのか、不思議で仕方ないのではないでしょうか。
ちなみに、めがね温泉の前を東西に走っている道路の名称は「眼鏡橋通り」。そう、ここでもやっぱり眼鏡なのです。
<めがね温泉の基本情報>
住所:大阪府大阪市生野区田島4-2-20
アクセス:大阪シティバス「田島3丁目」より徒歩約3分
写真:乾口 達司
地図を見るめがね温泉から西へ向かうと、平野川に架かる橋に突き当ります。ご覧のように、橋の高欄には、丸い眼鏡を幾つも連ねたようなデザインが見られます。
この橋の名前は「眼鏡橋」です。さすがは眼鏡レンズの製造で繁栄した街の橋ですね。
<眼鏡橋の基本情報>
住所:大阪府大阪市生野区舎利寺3丁目
アクセス:大阪シティバス「田島3丁目」より徒歩約3分
写真:乾口 達司
地図を見る大阪市生野区の田島地区がいかに眼鏡と縁の深いところであるか、おわかりいただけたでしょうか。
今回ご紹介したように、田島におけるかつての花形産業であった眼鏡製造の痕跡はいまなおあちらこちらで見掛けられます。田島をめぐり、私たちにとって身近な眼鏡に思いを馳せる機会としてください。
2023年12月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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この記事を書いたナビゲーター
乾口 達司
これまでは日本文学や歴史学の世界で培った見識にもとづいて数多くの評論や書評を執筆してまいりました。奈良生まれ、奈良育ちの生粋の奈良っ子。奈良といえば日本を代表する観光地の一つですが、地元民の立場からい…
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