歌姫たちが通った!?雅な名前を有する奈良市の「歌姫街道」

歌姫たちが通った!?雅な名前を有する奈良市の「歌姫街道」

更新日:2024/06/18 15:35

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員
奈良県奈良市と京都府木津川市とを結ぶ古道に「歌姫街道」と呼ばれる街道があること、ご存知ですか?その名が示すように、歌姫街道は、奈良時代、宮廷に奉仕した歌姫たちゆかりの街道という説もあり、古都・奈良ならではの街道であるという印象を抱く方の多いのではないでしょうか。

実際、歌姫街道の周辺は古代以来の神社や遺跡も点在する、歴史散策にはうってつけの街道です。今回は歌姫街道とその見所をご紹介しましょう。

歌姫街道の出発点!世界遺産「平城宮跡」

歌姫街道の出発点!世界遺産「平城宮跡」

写真:乾口 達司

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「歌姫街道(うたひめかいどう)」は、奈良と京都とを南北に結ぶ街道の名称。山田熊夫は『奈良町風土記 続篇』(豊住書店/1979年)のなかで「歌姫の町名の由来については江戸時代の古文書によると雅集の姫の住んでいたところとも、また刑部(うたへべ・今の裁判所の役人)が住んでいたという説(朝日新聞)もあるが、詳かでない。今後の研究をまつ」と書いていますが、古くより「歌姫越」の名称が使われており、古代以来の街道であることには間違いありません。

その奈良側の出発点となるのが、世界遺産「平城宮跡」。天皇の即位式をはじめとして、国家的な儀式がとりおこなわれた写真の第一次大極殿の東側からから、歌姫街道ははじまります。

歌姫街道をめぐる散策は、平城宮跡・第一次大極殿跡からはじめましょう。

歌姫街道の出発点!世界遺産「平城宮跡」

写真:乾口 達司

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歌姫街道は、現在、京都府木津川市川久保交点と奈良県奈良市佐紀町交点とを結ぶ「京都府道・奈良県道751号木津平城線」によって踏襲されています。

道路標識の下に「歌姫街道」と掲示されていることからもわかるように、その名は現在も地元民に親しまれています。

歌姫街道の出発点!世界遺産「平城宮跡」

写真:乾口 達司

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歌姫街道は、こちらの「佐紀町」の交差点からまっすぐ北へとのびています。

ご覧のように、一定の道幅があるため、車での走行も可能です。

「公家茶屋」の跡地と街道中央の地蔵尊

「公家茶屋」の跡地と街道中央の地蔵尊

写真:乾口 達司

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江戸時代に活躍した本草学者・儒学者の貝原篤信(益軒)は『和州巡覧記(大和廻)』のなかで「吐師より一里半、是より大和内也。凡大和路三あり。上津道ハ東に在て奈良より長谷の大道也、中津道ハ歌姫より吉野の通路也。下津道は今の大道也、玉林抄に見えたり」と綴っており、篤信自身が歌姫街道を通って大和国に入ったことがわかります。

山田熊夫は前掲書のなかで、写真のあたりに「明治初年のころまで公家茶屋と呼ばれた茶店が一軒あった」と紹介していますが、歌姫街道を通って大和国に入った篤信も「公家茶屋」でお茶をいただき、一息ついたかも知れませんね。

現在、「公家茶屋」の名は、字名としてしか残されていませんが、「歌姫」といい、「公家茶屋」といい、歌姫街道には雅なイメージがつきまとっていると思いませんか?

<平城宮跡第一次大極殿・公家茶屋の基本情報>
住所:奈良県奈良市佐紀町
アクセス:奈良交通バス「佐紀駐在所」よりすぐ

「公家茶屋」の跡地と街道中央の地蔵尊

写真:乾口 達司

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こちらは街道の中央に位置する地蔵堂。ご覧のように、地蔵堂は車が行き交う道路の中央に安置されています。

以前は街道の道端にありましたが、歌姫街道が自動車道として整備される過程で道幅が広げられ、道路の中央にぽつんと残される形になりました。

「公家茶屋」の跡地と街道中央の地蔵尊

写真:乾口 達司

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佐紀町を出発した歌姫街道は、佐紀町の北に隣接する歌姫町に入ると、急に道幅が狭くなります。

離合(車のすれ違い)が困難なため、通行の際は注意しましょう。

国境にある添御縣坐神社

国境にある添御縣坐神社

写真:乾口 達司

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沿道には「添御縣坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ)」もあります。

国境にある添御縣坐神社

写真:乾口 達司

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祭神は速須佐之男命・櫛稲田姫命・武乳速命。

添御縣坐神社は大和国と山城国との国境にある神社であり、歌姫街道を通る旅人が旅の安全を祈願する社でした。

国境にある添御縣坐神社

写真:乾口 達司

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写真は境内にある長屋王の歌碑。「佐保すぎて 寧楽の手向けに 置く幣は 妹を目離れず 相見しめとぞ」と刻まれており、長屋王が当社に参拝した折に詠んだ歌といわれています。

<添御縣坐神社の基本情報>
住所:奈良県奈良市歌姫町
アクセス:奈良交通バス「歌姫町」より徒歩約3分

子どもたちを見守る平安寺

子どもたちを見守る平安寺

写真:乾口 達司

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添御縣坐神社の南方には、「平安寺」があります。かつての平安寺は現在よりも広い境内を有していましたが、現在はこちらの子安地蔵堂だけが残されています。

子どもたちを見守る平安寺

写真:乾口 達司

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子安地蔵堂の名のとおり、堂内には地蔵菩薩立像がまつられています。

子どもたちを見守る平安寺

写真:乾口 達司

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子安地蔵堂に隣接する平城公民館歌姫分館の軒下には、古い消防用具が安置されています。側面に「歌姫」と大きく記されているため、地元の歌姫町で活躍していたものであることがわかります。

<平安寺・子安地蔵堂の基本情報>
住所:奈良県奈良市歌姫町
アクセス:奈良交通バス「歌姫町」より徒歩約3分

松林苑跡

松林苑跡

写真:乾口 達司

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歌姫街道の沿道一帯はかつての平城宮の北方に位置しており、『続日本紀』に登場する離宮および苑池である「松林苑(しょうりんえん)」のあったところとされています。

松林苑とは、奈良時代、天皇が群臣を集めて饗宴したり、狩りをおこなったりしていた区画であり、現在も苑地をとりかこんでいた築地塀の痕跡が各所に見られます。

写真は西面の築地塀跡。佐紀町の集団墓地沿いに南北にのびており、ところどころでご覧のような土盛りが見られます。

松林苑跡

写真:乾口 達司

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ここで「あれ?」と思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。平城宮跡の北方に松林苑が広がっているということになると、歌姫街道は松林苑のなかを南北に貫く形で通っていたことになります。松林苑は天皇の離宮であり、果たして離宮の南北を貫くように街道を通すことが許されたのでしょうか。

足利健亮は『日本古代地理研究』(大明堂/1985年)のなかで、その点に着目。奈良時代は、歌姫街道よりも、松林苑の西面に沿うように北へと延びていた「渋谷越」が使われていたと推定しています。

写真はその渋谷越と推定される旧道。付近を散策し、歌姫街道と渋谷越との関係に思いを馳せてみてください。

松林苑跡

写真:乾口 達司

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現在、歌姫街道では、自動車もさかんに行き交っています。先にも紹介したように、離合の難しい箇所も複数見られるため、お車をご利用の際は、ゆずり合いの精神で街道をめぐってください。

<松林苑跡・旧渋谷越の基本情報>
住所:奈良県奈良市佐紀町
アクセス:奈良交通バス「歌姫町」より徒歩約5分

歌姫街道をめぐろう!

歌姫街道がいかに豊かな歴史を有する古代以来の街道であるか、おわかりいただけたでしょうか。歌姫街道を実際にご自身の足で歩き、大和国と山城国とを往来したいにしえ人の姿に思いを馳せてみてください。

2024年6月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2024/04/07 訪問

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