アールヌーボーが生まれたフランス「ナンシー」でお洒落な街を散策

アールヌーボーが生まれたフランス「ナンシー」でお洒落な街を散策

更新日:2025/03/07 09:34

万葉 りえのプロフィール写真 万葉 りえ レトロ建築探訪家、地域の魅力伝え人
19世紀末から、生活全般に影響を与えた「アールヌーボー」という芸術の波。曲線を多用し、従来の様式美にとらわれないこの国際的な美術運動が盛んだったのが、ロレーヌ地方の中心都市「ナンシー」です。
ここには現在世界遺産に登録されているスタニスラス広場などもあり、意匠を凝らした周りの建物も一見の価値あり。

さらに、教会や、アールヌーボーが満喫できるレストランなども。ナンシーの街を散策で楽しみましょう。

ナンシーの歴史に外せない 王妃「マリア・レスチニスキー」

ナンシーの歴史に外せない 王妃「マリア・レスチニスキー」

写真:万葉 りえ

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15世紀以降ロレーヌ公国の首都として栄えてきた都市ナンシー。その街の都市計画に大きく関係しているのが、王妃マリア・レスチニスキー(マリー・レグザンスカ)です。

フランスの王というと、まず浮かぶのが太陽王と呼ばれたルイ14世。そのルイ14世の崩御後に王位についたのが、曾孫(そうそん・ひまご)で、わずか5歳のルイ15世でした。そしてルイ15世の王妃になったのがマリア・レスチニスキーです。

ご覧いただいているこの門は、王妃マリアの母に捧げられた「サン・カトリーヌ門」。この門から西方向に「サン・カトリーヌ通り」が延びており、その先に世界遺産になっているスタニスラス広場があります。

<サン・カトリーヌ門の基本情報>
住所:Rue Sainte-Catherine, 54000 Nancy,

絢爛豪華なロココ様式の「スタニスラス広場」

絢爛豪華なロココ様式の「スタニスラス広場」

写真:万葉 りえ

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そしてこちらが、広さ125m×106mもあるスタニスラス広場になります。他にも世界遺産になっているカリエール広場、アリアンス広場があり、それらをつくらせたのがマリアの父であるスタニスラス・レスチニスキーです。

特にスタニスラス広場は、今でこそスタニスラスの名前がついていますが、もともとは国王を讃えるために宮廷建築家に設計させた「国王広場」という名でした。ここはフランスで最も美しい広場と言われており、バロック様式の市庁舎、凱旋門、劇場などに囲まれ、たいへん壮麗な造りになっています。

でも、このスタニスラス、もともとはポーランドの王だった人物。では、なぜフランスで広場を?

絢爛豪華なロココ様式の「スタニスラス広場」

写真:万葉 りえ

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現在広場の中央に像が立つスタニスラスは、1704年にポーランド王になった人物。しかしそれは自身の力ではなく、スウェーデン王の後ろ盾による「傀儡(かいらい)国家」でした。その為、1709年にスウェーデン王が戦に負けるとポーランドを追われ、アルザスに亡命します。

そんな王の娘がなぜブルボン朝の王妃になったのかというと…それは周りの国々にちょうど良い年頃の姫がいなかったから。ルイ15世の世継ぎを渇望していたフランスにとっては、たとえ弱小でもマリアは王族の血筋。教養があり健康なマリアならすぐにでも世継ぎを生んでくれると思ったからでした。

その役目を十分果たし、1725年に22歳で結婚したマリアは次々と子を産みます。そんな妻の父に対して、ルイ15世はロレーヌ公国の王位を与えたのでした。

絢爛豪華なロココ様式の「スタニスラス広場」

写真:万葉 りえ

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そんないきさつもあり、1737年からこの地を治めるようになったスタニスラス。彼は有名な食通というだけでなく、建築や金物工芸、磁器、庭園などにも深い興味を持っていた人物で、都市の整備を始めます。

その特徴は、旧市街と新市街を結ぶようにしたり、庶民が公共施設へ行きやすくするなど、それまでにはなかった近代的な都市計画。ですから1755年に完成し、現在世界遺産になっている広場は、都市機能も充実しながら絢爛豪華!

特に6か所あるロココ様式の金属細工は傑作で、金工芸家ジャン・ラムーレが装飾を施した作品は必見です。

ナンシーの文化をはぐくんできた建物群

ナンシーの文化をはぐくんできた建物群

写真:万葉 りえ

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そしてスタニスラス広場は、ロレーヌ国立歌劇場やナンシー美術館など、それぞれにすばらしい意匠をこらした建物が周りを囲んでいるというのも見どころです。

こちらは南側に建つナンシーの市庁舎ですが、横幅は公園のサイズに合わせてなんと100m近くも。このように金属細工がされ、屋上には彫像も並びます。機能一辺倒ではない大変凝った造りも見てください。

<市庁舎の基本情報>
住所:1 Pl. Stanislas, 54000 Nancy,

ナンシーの文化をはぐくんできた建物群

写真:万葉 りえ

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また、北のエレ通り側には「エレの凱旋門」が建ちます。戦争と平和をテーマに、ギリシャ神話の神々の像が飾られた門。この辺りはお土産物店やカフェが多いので、時間があるなら休憩やお土産探しもお勧めです。

この門の先に、細長い造りで馬上競技などを行っているカリエール広場があります。こちらは並木が美しい公園。そしてアリアンス広場は、初めに紹介したサンカトリーヌ通りの少し南側。噴水が見どころです。

<エレの門の基本情報>
住所:23 Rue Here, 54000 Nancy,
アクセス:スタニスラス広場北側

ナンシーの文化をはぐくんできた建物群

写真:万葉 りえ

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スタニスラス広場の内側を紹介しましたが、この辺りは広場の外側に出てもこのようにおしゃれな雰囲気を楽しめます。

<スタニスラス広場の基本情報>
住所:Pl. Stanislas
アクセス:ナンシー駅から徒歩10分

ナンシー大聖堂も広場からすぐ

ナンシー大聖堂も広場からすぐ

写真:万葉 りえ

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そしてスタニスラス広場からモーリス・バール通りに入れば見えてくるのが、ナンシー大聖堂です。

1703年に建設が始まったこの大聖堂は、先ほどご紹介したスタニスラスがロレーヌ公として統治していた1760年頃に完成しています。

ナンシー大聖堂も広場からすぐ

写真:万葉 りえ

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フランスでは荘厳で天に延びるようなゴシック教会も多く見ると思いますが、こちらはバロック様式。ゴシックの教会と比べると、外観も内観もシンプルに感じるかと思います。

見上げれば、ドームには絵画が描かれています。

ナンシー大聖堂も広場からすぐ

写真:万葉 りえ

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ゴシック教会とは違う造りも、ぜひじっくりご覧になってください。

<ナンシー大聖堂の基本情報>
住所:56 Bis Pl. Mgr Ruch, 54000 Nancy
アクセス:スタニスラス広場南側

アールヌーボーの空間で地元料理を楽しむ

アールヌーボーの空間で地元料理を楽しむ

写真:万葉 りえ

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さて、産業革命によって大量の製品が作られるようになり、残念ながら粗悪品も出回るようになった時代。その反動で職人の手仕事を見直そうという運動がイギリスからおこります。

それが19世紀末ごろからフランスで「アールヌーボー(新しい芸術)」という美術運動になって広がっていきました。その中心となったのがナンシー派と呼ばれる人々。ナンシー出身のガラス工芸家エミール・ガレなどの芸術家が生み出した作品が、人々の生活の中に溶け込んでいったのです。

アールヌーボーの空間で地元料理を楽しむ

写真:万葉 りえ

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優美な曲線を描く窓や、植物模様の鉄骨細工がある家。そんなおしゃれな装飾がナンシーの街のいたるところで見られますが、その中でぜひ訪れてほしいのが「ブラッスリー・エクセルシオール」です。

ここは地元の常連も楽しむレストランです。ご覧のように、シダの模様が入った柱をはじめとして、ランプやステンドグラスなど、アールヌーボーで飾られた素晴らしい店内。

アールヌーボーの空間で地元料理を楽しむ

写真:万葉 りえ

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素敵な空間を楽しみつつ、キッシュロレーヌなど地元の料理を味わってください。

<ブラッスリー・エクセルシオールの基本情報>
住所:50 Rue Henri-Poincare, 54000 Nancy,
アクセス:ナンシー駅から徒歩で数分
※予約をお勧めします。

ゆったりとナンシーを散策しよう

中世のナンシーはフランスの他の多くの街と同様に城壁に囲まれた都市でした。現在その面影が残されているのがクラフ門(Porte de la craffe)です。
この門はナンシーに現存する一番古い文化財で、14世紀から15世紀に建てられたもの。19世紀まで2つの塔はなんと牢獄でした。

地図で比べると、地図の右側が碁盤の目のように東西と南北を通る新市街で、そして旧市街に多いのが曲がりくねって入り組んだ道です。そんな違いも楽しみながら、ゆったりとナンシーを散策してみてください。

2025年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。

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