能登半島の七尾湾に浮かぶ能登島。ツインブリッジのと(中能登農道橋)と能登島大橋の2本の橋が七尾市と能登島を繋いでいます。二つの橋が開通する前までの長い期間、能登島は離島であったことから、この土地は漁業や農作が深く根付き、神様に自然の恵みを感謝を表す独自のお祭りを発展させてきました。
能登島で行われる祭りは多くは秋に行われるのですが、『向田火祭』は「オスズミ祭り」とも呼ばれ、能登島の夏を盛り上げています。能登のオスズミ祭りとは、「夏越神事」の意味を持ち、神火により夏熱暑毒の邪気を祓うとされています。向田火祭の起源は、越後の伊夜比古神(男神)がこの地を訪れ、向田町に鎮座する伊夜比盗_(女神)と年に一度会うことを楽しむお祭りです。
向田火祭は能登島向田町の人々にとって、村の大行事。巨大な松明を使うことから「日本三大火祭り」の1つとして知られており、1987年には「石川県指定無形民族文化財」にも指定されました。毎年7月の最終土曜日に開催され、祭りの当日は20時頃から伊夜比盗_社で祭典が始まります。その後、男衆の手で神輿と大小7基のキリコを伊夜比盗_社から担ぎ出します。
一行の目的は約400m先の「崎山お旅所」と呼ばれる大広場。太鼓や鐘を鳴らし、激しく声を掛け合い、キリコを乱舞します。担ぎ手が男衆しかいないのもこの祭りの特徴。男衆のキリコを担ぐ勇ましい姿に注目です。
昔は海岸だった「崎山お旅所」の真ん中には、1本の巨大な柱松明がそびえ立ちます。高さ約30mの大松明を中心とし、周囲が柴のようなもので包まれ、先端には竹や御幣がつけられています。
松明が大規模なので、大松明は約10本の柱で支えられ、太い縄で四方へ引き張って安定させています。この大松明を壮年団の方々が長時間を要し、人力によって起こしていることにも驚き。機械の力も頼れるようになった昨今、長い伝統に基づく技法を受け継いで祭りの準備を進める点は、この祭りの特徴でもあります。
神輿とキリコが「崎山お旅所」の広場に到着すると、いよいよ火祭りが本格的にスタート。男衆はまず、大松明の周りを神輿とキリコを担いで7周練り歩きます。観衆の前でキリコを乱舞するパフォーマンスは非常に迫力があります!観衆を賑わせた神輿とキリコが退場すると、2箇所の置き松明が点火されます。
男衆は一斉に手松明を持ち始め、置き松明から火をもらい、手松明を回しながら、大松明の周辺を回り始めます。すると地元の人々も次々と手松明を持ち始め、輪の中へ。その光景は異様ともいえるほど壮観!何かの儀式かと思うくらい、大勢の方が火のついた手松明をグルグルと振り回して走っています。狭い空間にたくさんの人が集まるので、いつ服に火が移ってもおかしくないくらいの距離。それでも、恐れず手松明を大きく振りかざします。
手松明を振り回すことによって災厄を払い、火の神の猛威をなだめるためにこのような行動に至ったとされています。観光客の方も飛び入りで参加することができ、地元の方々と一緒になって神事に取り組むことができますよ♪
手松明を振り回し、笛がふかれると人々は一斉に持っていた手松明を大松明の方に投げつけます。大松明は一気に燃え上がり、巨大な火柱が登場します!
時間は大体22時頃なので、この時間帯から見ても見所たっぷり♪まるで炎が生きているかのようにメラメラと燃え、能登島の夜空に向かっていきます。
大松明が燃え盛る光景は「向田火祭」最大の見所!みるみるうちに大松明が燃え尽き、やがて支えていた縄が切れ、あっという間に崩れ落ちてしまいます。松明が倒れた方向が山側であれば豊作、海側であれば大漁とされ、一年の豊作・豊漁を占うこの瞬間を地元の住民は固唾をのんで見守ります。
また、同時に大松明の先端に付けられた御幣を取った者は、延命息災が叶うとも言われており、その御幣を取ろうと男衆が殺到!倒れた大松明を引きずり出し、息の合ったかけ声が夜空に響き渡ります。火を扱っていることもあり、充分に安全には配慮していますが、見ているこちらがハラハラします。
御幣を無事取り終えると、御輿とキリコはまた神社へと還御、帰還しクライマックスを迎えます。
能登島には宿泊施設が充実し、また日本有数の温泉街「和倉温泉」も近くにあるので、観光の際にはオススメです。また和倉温泉旅館協同組合加入旅館でお泊まりになると、キリコ見学バスが運行されますので、是非ご利用ください♪
自然あふれる能登島向田町で行われる大規模な火祭り。きっと圧倒的なスケール感に魅了されることでしょう!
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(2024/10/15更新)
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