写真:モノホシ ダン
地図を見る南北朝時代の南朝の英雄、楠木正成は少年時代に観心寺の塔頭の中院で学問を学び、その後、後醍醐天皇に呼応して挙兵、鎌倉幕府を滅亡させました。
1333年の「建武の新政」後、後醍醐天皇から命を受けて観心寺の境内に金堂を造営、さらに三重塔の建立を計画しましたが、1336年(建武2年)に湊川(現在の兵庫県)で戦死したため「建掛の塔(たてかけのとう)」として今に伝わっています。
正成の首級は、足利尊氏の命により観心寺に届けられ、楠公(なんこう)首塚として祀られています。写真は、観心寺駐車場に立つ大楠公像です。
写真:モノホシ ダン
地図を見る観心寺の山門は、1659年(万治2年)に再建されたもので、大阪府指定有形文化財です。門の前には「勅願道場 南朝史蹟」と刻まれた寺標があります。
なお観心寺は、2019年(令和元年)に日本遺産「中世に出逢えるまち 〜千年にわたり護られてきた中世文化遺産の宝庫〜」の構成文化財のひとつとして指定を受けました。
写真:モノホシ ダン
地図を見るまた山門には、「関西花の寺 第二十五番」と書かれた木札と「遺跡本山」と書かれた額が掛かっています。遺跡本山(ゆいせきほんざん)とは、高野山真言宗の寺の位のことで、総本山、大本山に次ぐ位です。
写真:モノホシ ダン
地図を見る観心寺の紅葉の見ごろは、例年11月中旬から12月初旬です。とくに首塚から階段を下りたあたりは、紅葉や桜シーズンの散策におすすめです。
写真:モノホシ ダン
地図を見る観心寺の境内はとても広大です。中院門の前から金堂までの参道の両側は晩秋になると紅葉で彩られます。
写真:モノホシ ダン
地図を見る山門をくぐり短い石段を上がると左手に中院門があり、門の奥には「中院」が建っています。中院は楠木氏の菩提寺で、楠木正成が8歳の時から15歳までの間の学問所であったとされ、入口には「楠公学問所中院」と彫られた石柱があります。
中院は、現在残っている子院では、槇本院とともに残る唯一の子院でもあります。
写真:モノホシ ダン
地図を見る中院からさらに石段を上がると、右手に「後村上天皇御旧跡」と書かれた石碑の建っている場所があります。後村上天皇は、後醍醐天皇の皇子で、南朝の第2代天皇です。
父の後醍醐天皇の遺志を継いで南朝の京都回復を図り、1359年(正平14年)から約10ヶ月間、観心寺を行在所(あんざいしょ)として政務を執り行いました。
死後は、遺言に従って観心寺の境内に葬られ「後村上天皇桧尾陵」として宮内庁が管理しています。
写真:モノホシ ダン
地図を見る金堂に上がる参道の右手には、鎮守堂(訶梨帝母天堂)があります。訶梨帝母天(かりていもてん)は、サンスクリット語のハーリティーを音写したもので、別名鬼子母神(きしもじん)ともいい、子どもを守る優しい女神です。
一間社春日造の建物は、正面に軒唐破風が付き、檜皮葺の屋根をしています。現在の社殿は、戦国時代の1549年(天文18年)に再建されたもので重要文化財です。
写真:モノホシ ダン
地図を見る本堂にあたる「金堂」は、南北朝時代に建てられたもので、国宝に指定されています。御本尊は、弘法大師作と伝わる如意輪観音菩薩像で、金堂とともに国宝です。
立て膝姿で、平安時代の密教美術の最高の仏像といわれ、独特の美しさで有名ですが、秘仏であり、毎年4月17日、18日のみ御開帳されます。
金堂は靴を脱いで内部にあがることができ、外陣の上部には仏像の写真が飾られているので拝んでおきましょう。
写真:モノホシ ダン
地図を見る金堂の東側には、一風変わった変わった建物「建掛塔(たてかけのとう)」が建っています。
この建物はもともと三重塔の予定でしたが、発願者の楠木正成が湊川で討ち死にしたことにより、初層ができた段階で未完成のまま現在に至ったものです。
雨よけのため被せられたかやぶき屋根は、約30年に一度、葺き替えされています。未完を意味する建掛塔は、重要文化財に指定されています。
写真:モノホシ ダン
地図を見る金堂の右側にある小さい社は「弁天堂」です。弁財天をお祀りし、財運招来の御利益がいただけます。紅葉の季節には、この堂の周りが見事に色づきます。
写真:モノホシ ダン
地図を見る弁天堂と並び立つ「阿弥陀堂」は、阿弥陀如来のほか普賢菩薩、地蔵菩薩が祀られています。それぞれ先祖供養、息災延命、道中安全などの御利益がいただけます。
写真:モノホシ ダン
地図を見るまた観心寺は、日本唯一の「星塚霊場」です。1200年前に弘法大師が、御本尊の如意輪観音の回りに北斗七星の塚を安置しました。柵の中に木が植えられている塚を一巡することで一年の厄除になります。
星塚は、大小いろいろありますが、建掛塔のすぐ東側にある星塚七番の破軍星は最も大きい星塚です。星塚は約10分で一巡できますのでぜひまわってみてください。
写真:モノホシ ダン
地図を見る境内東端に建つ開山堂(本願堂)の隣には、「楠木正成首塚」があります。1336年(建武2年)の湊川の戦いで足利尊氏に敗れて自害した正成の墓碑は湊川神社にありますが、首は故郷の河内へ送り返され、菩提寺である観心寺で供養されています。これは、正成の清廉な人柄に一目置いていた尊氏の命によるものといわれています。
石碑に刻まれた「非理法権天(ひりほうけんてん)」の文字は正成の自筆で、「非は理に勝たず、利は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たず」という意味の漢詩で、正成が旗印として用いていたものです。
写真:モノホシ ダン
地図を見る通常いただける観心寺の御朱印には、御本尊をお祀りしている金堂の別名「如意宝殿」の墨書きがあります。御守では、楠公さんの万難突破の御守(500円)が人気です。拝観の記念にぜひ授かってみてはいかがでしょうか。
住所:大阪府河内長野市寺元475
電話番号:0721-62-2134
入山時間:9:00〜17:00
入山料:大人300円 小・中学生100円
アクセス:河内長野駅(南海・近鉄)から南海バスで約12分、観心寺バス停下車、徒歩約5分 車利用の場合は、専用駐車場利用
2024年10月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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