写真:乾口 達司
地図を見る「安養寺(あんようじ)」は、岡山県倉敷市にある寺院。寺伝によると、789年(延暦17)に開山。990年(正暦1)、恵心僧都源信により浅原谷に寺院が創建されたとされます。以来「朝原千坊」と呼ばれ、数多くの伽藍が建立され隆盛を誇りましたが、1336年(建武3)、同地を舞台にした足利尊氏・直義勢と新田義貞勢との戦闘(福山合戦)により多くの伽藍が焼失しました。その後、再興され現在にいたっています。
そんな由緒ある安養寺では、お正月期間中は「初詣祭」と名のもとに法要が営まれ、大勢の初詣客でにぎわいます。
写真:乾口 達司
地図を見る境内に足を踏み入れたら、まずは本堂へお参り。向拝には注連縄もとりつけられた上、「初詣」と記された大きな横断幕も飾られています。
お正月ならではの光景ですね。
写真:乾口 達司
地図を見る初詣の際、今年一年の無事を祈って、授与品を求める方も多いのではないでしょうか。そんな授与品の代表格といえば、こちらの破魔矢を忘れてはなりません。
写真:乾口 達司
地図を見る授与品には、ほかにも護符の類も見られます。火災をはじめとするさまざまな災厄からお家を守るため、一枚、求めてみてはいかがでしょうか。
写真:乾口 達司
地図を見る安養寺は福山と呼ばれる低山の山麓付近に広く展開しています。したがって、本堂にお参りする際は石段をのぼる必要がありますが、それほど長いものではないため、頑張って上りましょう。
しかし、その石段の上をよく見ると……え?何か座っているではないですか!あれはいったい何?
写真:乾口 達司
地図を見る石段の上に鎮座しているのは、こちらの巨大な毘沙門天!
しかし、なぜ、毘沙門天なのでしょうか。寺伝によると、1135年(保延1)、当時の鳥羽上皇が院政の成満と一族の繁栄を願い、108体の毘沙門天像を奉納したことにより、以来、安養寺は開運必勝のご利益を授けてくださる毘沙門天をまつるお寺として知られるようになったとされます。
その見上げるほど巨大な毘沙門天の股下をくぐり、本堂へと進みましょう。
写真:乾口 達司
地図を見る毘沙門天像の真下には、ご覧のような、船の碇が石段に埋め込まれています。こちらは「碇」を「怒り」と掛け合わせて、毘沙門天により、「怒りを鎮める」という意味合いを持っています。
写真:乾口 達司
地図を見る境内には、ご覧のような不思議な形の建物もあります。こちらは多宝塔。毘沙門天が左手に持つ宝塔をかたどったもので、お正月期間やその他の大祭の際には、内部に立ち入ることができます。
写真:乾口 達司
地図を見る多宝塔と向かい合っているのは、成願堂。堂内には国の重要文化財となっている兜跋毘沙門天像をふくめた31体の毘沙門天像などが安置されています。
入館料は無料!有難いですね。
写真:乾口 達司
地図を見る多宝塔や成願堂の付近には、ご覧のような砂盛りが点在しています。砂盛りは7か所にわたって点在していますが、それぞれが毘沙門天をはじめとする七福神の依り代となっています。この依り代をそれぞれめぐると、御利益があるとされます。ぜひ、めぐってみましょう。
ちなみに、境内には実際に七福神をかたどった像も点在しています。こちらにもお参りして、今年一年の幸せを願いましょう。
写真:乾口 達司
地図を見る境内の裏山には「安養寺裏山経塚群」と呼ばれる遺跡があります。経塚とは、その名のとおり、紙や瓦、粘土板などに経文を記し、埋納した塚のこと。安養寺の裏山からはおさめる3基の経塚が発見されており、安養寺が古くより多くの人の信仰を集めていたことがうかがえます。
境内を参拝した後は、裏山にも足をのばしてみましょう。
写真:乾口 達司
地図を見る神仏習合の形態を色濃く残す安養寺には、お寺であるにもかかわらず、鳥居も建立されています。その鳥居に掲げられた額には「笑門/人皆七福神/来福」と記されています。
今年も幸せでよき一年を送れますように。そんな願いが込められた額ですね。
写真:乾口 達司
地図を見る石段の上に鎮座する巨大な毘沙門天さまも、私たちの幸せを見守るかのように、遠くに広がる岡山平野を見つめています。
安養寺のお正月がいかに華やいだものとなるか、おわかりいただけたでしょうか。安養寺の「初詣祭」に訪れ、新年を寿いでください。
住所:岡山県倉敷市浅原1573
アクセス:JR倉敷駅より車で約15分
初詣祭:2025年1月1日〜5日 日中
拝観料:なし(祈祷料は別途)
2024年12月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2025/1/13更新)
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