QRコードを読み込んで再現!東大阪市「河内寺廃寺跡史跡公園」

QRコードを読み込んで再現!東大阪市「河内寺廃寺跡史跡公園」

更新日:2025/01/10 15:19

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員
7世紀以降、全国各地には数多くの古代寺院が建立されました。現在の大阪府東部に位置する河内国でも渡来系氏族・河内直によって「河内寺」が建立され、現在は「河内寺廃寺跡史跡公園」の名のもと、保存・整備がなされています。
園内各所にはQRコードを記した案内板が設けられており、QRコードを読み込むと、創建当時の河内寺の様子を動画として見ることもできます。今回は「河内寺廃寺跡史跡公園」をご紹介しましょう。

東大阪市にある「河内寺廃寺跡史跡公園」

東大阪市にある「河内寺廃寺跡史跡公園」

写真:乾口 達司

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「河内寺廃寺跡史跡公園(かわちでらはいじあとしせきこうえん)」は大阪府東大阪市にある史跡公園。その名のとおり、「河内寺廃寺」と呼ばれる古代の寺院跡を史跡公園として整備したところです。

当地には古くより「河内寺」と書いて「こんでら」と読む小字があり、付近からは多くの古瓦が発掘されていました。そういったこともあり、地元では古代寺院の存在が考えられていましたが、1967年(昭和42)の発掘調査により、その伝承が事実であることが証明されてました。そして、その史跡としての価値の高さから保存整備がなされ、2017年(平成29)、「河内寺廃寺跡史跡公園」の名のもと、史跡公園としてオープンしました。

東大阪市にある「河内寺廃寺跡史跡公園」

写真:乾口 達司

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河内寺廃寺跡史跡公園の全体像は、こちら。発掘調査の結果、河内寺の伽藍規模は東西回廊間で約47メートル、南北回廊間で約66メートルと推定されており、発掘調査のおこなわれた区画を中心に、保存整備がなされています。

東大阪市にある「河内寺廃寺跡史跡公園」

写真:乾口 達司

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河内寺は古代の渡来系氏族「河内直(かわちのあたい)」の氏寺として建立され、律令制度の確立後は河内国の郡衙に付随する郡寺として発展したと考えられています。

近くの電柱には地区の町名が表示されていますが、町名が「河内町」であることに注目しましょう。まさしく当地が河内国の名と深いかかわりを持つ地区であったことがわかります。そのような地に存在した河内寺がいかに重要な寺院であったか、ここからも読み取れるでしょう。

礎石が居並ぶ金堂跡

礎石が居並ぶ金堂跡

写真:乾口 達司

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史跡公園には「金堂」「講堂」「東西回廊」の遺構がふくまれています。

金堂は河内寺の中心施設。東西13.9メートル、南北12.3メートル、高さ約1.5メートルの乱石積基壇を有しており、基壇の南側には柱間1間分の幅をもつ階段が取り付けられていました。

礎石が居並ぶ金堂跡

写真:乾口 達司

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基壇上には、建造物を支えていた礎石が残されており、その配置から、創建当初の金堂が柱間1.95メートルの等間隔で三間四面の建造物であったことが判明しています。

現在、発掘された礎石も基壇の上に配置されています。

礎石が居並ぶ金堂跡

写真:乾口 達司

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興味深いのは、こちらの写真。目の前に並ぶ礎石のうち、右端の一つが列からずれているのが、おわかりいただけるでしょう。

これは、創建当初、直線に配置されていた礎石が、後世、こちらに移動されたことを示しています。移動の理由は定かではありませんが、金堂跡では2箇所で礎石の移動が確認されています。

講堂と回廊の遺構

講堂と回廊の遺構

写真:乾口 達司

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金堂の北側に位置するのは、講堂跡。東西 22.8メートル、南北13.8メートルの乱石積基壇を有しており、南面には幅11.4メートルの階段も取り付けられていました。

講堂と回廊の遺構

写真:乾口 達司

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金堂や講堂をぐるりととりかこんでいたのは、回廊。回廊の東側では19石、南側では3石の礎石がそれぞれ発見されています。

講堂と回廊の遺構

写真:乾口 達司

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以上の遺構が河内寺廃寺跡史跡公園を構成するものですが、あれ?お寺でよく見かける塔はないの?と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

実は河内寺にも塔が存在したと考えられています。しかし、発掘調査の際、すでに推定地付近が宅地化されていたこともあり、調査はなされていません。ただし、これまでの調査結果や史料の研究から、金堂の南方に塔の遺構があり、その配置は金堂と塔が南北に並ぶいわゆる「四天王寺式伽藍配置」であったと考えられています。

写真は塔のあったと思われる付近を撮影したもの。塔の推定値のさらに南方には、回廊に付随する中門もあったと推定されています。

当時の伽藍を再現してくれるボード

当時の伽藍を再現してくれるボード

写真:乾口 達司

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河内寺廃寺跡史跡公園をめぐると、遺構の各所に、写真のようなQRコードの表示されたボードが設置されていることがおわかりいただけるでしょう。

こちらに示されたQRコードをスマートフォンで読み込むと、古代寺院の創建当時の様子をさまざまな角度で動画を視聴することができます。

当時の伽藍を再現してくれるボード

写真:乾口 達司

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その手順はいたって簡単。地面に表示された地点に立ち、そこからスマートフォンなどで読み取っていただくだけで、動画が立ち上がります。

ぜひ、お試しください。

当時の伽藍を再現してくれるボード

写真:乾口 達司

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園内にはベンチも設置されているため、ベンチに腰をおろし、かつての伽藍をご自身の頭に思い浮かべながら眺めるのも楽しいでしょう。

河内寺を壊滅させた生駒山地

河内寺を壊滅させた生駒山地

写真:乾口 達司

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では、古代に隆盛を誇った河内寺は、いつ、どのような原因で廃絶したのでしょうか。

河内寺廃寺跡史跡公園から東方を眺めると、河内寺廃寺跡史跡公園が大阪府と奈良県とを分かつ生駒山地が間近に迫っていることがわかります。実はそのことが河内寺の廃絶に大きな影響を与えているのです。発掘調査の結果、中世に発生した生駒山地からの土石流状の堆積土が伽藍に流入し、境内は埋没したと考えられているのです。

河内寺は、いわば、自然の力によってその歴史的な役割を終えたのですね。

河内寺を壊滅させた生駒山地

写真:乾口 達司

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現在、生駒山地と河内寺廃寺跡史跡公園とのあいだを近鉄奈良線が走っています。
近鉄奈良線を走る列車を眺めながら河内寺廃寺跡史跡公園を見ると、古代と現代とのあいだの流れを実感することができるのではないでしょうか。

河内寺廃寺跡史跡公園がいかに貴重な史跡公園であるか、おわかりいただけたでしょうか。河内国を象徴する古代寺院でありながら、土石流によって歴史の彼方へと埋もれてしまった河内寺に思いを馳せるためにも、河内寺廃寺跡史跡公園を訪れてみてください。

河内寺廃寺跡史跡公園の基本情報

住所:大阪府東大阪市河内町
拝観時間:なし
拝観料:無料
アクセス:近鉄瓢箪山駅より徒歩約10分

2025年1月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2024/11/30 訪問

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