写真:乾口 達司
地図を見る「神宮寺山古墳(じんぐうじやまこふん)」は、岡山県岡山市中井町にある大型の前方後円墳。その存在は古くより知られており、江戸時代の『寸簸の地理』や『東備郡村誌』などで言及されています。現在、神宮寺山古墳には周濠が存在していませんが、『東備郡村誌』では、墳丘のまわりをとりかこむようにして周濠も存在したことが示唆されています。
写真の石碑にも刻まれているように、現在は国の史跡となっています。しかし、国の史跡とはいえ、敷地内への立ち入りは自由。後円部には石段もとりつけられており、石段を使って墳丘を上り下りすることも可能です。
写真:乾口 達司
地図を見る墳丘のまわりには、簡易の遊歩道も設けられています。古墳のへりを歩き、前方後円墳としての形状とその規模を確かめてみましょう。
写真:乾口 達司
地図を見る神宮寺山古墳は、周囲の宅地化や小学校の設置などによって墳丘が大きく削られているものの、前方後円墳としての形状はしっかりと残されています。岡山市教育委員会によってまとめられた調査報告書「神宮寺山古墳・網浜茶臼山古墳」(2007年)によると「前方部をほぼ西に向けており、全長約150m、後円部径約70m、同高約13m、前方部長約75m、同高7mを測る」と記されています。
写真は前方部の墳丘上から後円部を撮影したものです。
写真:乾口 達司
地図を見る後円部は3段築成。後円部を見てまわると、その築成の痕跡がはっきり認められます。
写真:乾口 達司
地図を見る現在、後円部の墳頂部には、天計神社が鎮座しています。
写真:乾口 達司
地図を見る注目していただきたいのは、拝殿の横に見られるこちらの石材。これは神宮寺山古墳の竪穴式石榔の蓋石の一部。副葬品をおさめたと考えられる副室の小竪穴式石室からは、おびただしい数の鉄剣、鉄刀、鉄鎌、鉄斧などの鉄製品も出土しています。
写真:乾口 達司
地図を見る写真は、先ほどとは逆に、後円部から撮影した前方部の様子。前方部は2段築成となっており、その痕跡も確認できます。
写真:乾口 達司
地図を見る前方部の西側半分は、共同墓地となっています。
写真:乾口 達司
地図を見る注目したいのは、神宮寺山古墳の東側を旭川が流れていること。旭川は岡山市の中心部を南北に流れている大河ですが、旭川は、古来、上流の山間部から大量の土砂を運び込み、その周辺では「沖積地(ちゅうせきち)」が形成されています。
しかし、沖積地は地盤が不安定であり、古墳を築くのには決して適した土地とはいえません。事実、その周辺にはある古墳の多くは丘陵部に築かれており、そのなかで沖積地に築かれた神宮寺山古墳は、きわめて特異な存在。前掲の調査報告書「神宮寺山古墳・網浜茶臼山古墳」では「この地点は、東西両岸平野のほぼ中央であると同時に、旭川と現在の西川・観音寺用水などに名残のあるその分流との分岐点付近にも当たっており、こうした水利上重要な地点をおさえる意図があったとも思える」と解説されていますが、神宮寺山古墳が、なぜ、このような不安定な沖積地にあえて築かれたのか、真相はいまだ不明のままです。実際に現地を訪れ、その謎に挑んでみてはいかがでしょうか。
神宮寺山古墳がいかに特異な古墳であるか、おわかりいただけたでしょうか。神宮寺山古墳の築造を最後に、旭川の流域では大型古墳は築かれなくなります。代わって、西方の足守川流域で造山古墳などの大型古墳が次々に築造されますが、その築造地移動の謎もふくめ、沖積地に築かれた特異な神宮寺山古墳の謎に迫ってみてはいかがでしょうか。
住所:岡山県岡山市北区中井町1丁目
アクセス:JR岡山駅より徒歩約25分
2025年2月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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