写真:乾口 達司
地図を見る今回、ご紹介したい「宇佐八幡宮」は、岡山県備前市西片上の地に鎮座する神社。鎮座している地区の名称が「西片上」であるにもかかわらず、「宇佐八幡宮」と称されている理由は、大分県の宇佐八幡宮を当地に勧請したことにちなみます。
勧請したのは、後に室町幕府初代将軍となる武将・足利尊氏。当時、尊氏は畿内での戦に敗北し、西国に落ちのびていました。九州・多々良浜合戦で勝利した尊氏は大軍を率いてふたたび都を目指します。途中、福山合戦でも勝利をおさめた尊氏は、この地に立ち寄った折、九州・西国の制覇が宇佐八幡宮のご加護によるものだと考え、宇佐八幡宮を当地に勧請し、神田を寄進しました。
写真:乾口 達司
地図を見るしたがって、鳥居にかかげられた扁額にも「八幡宮」と記されています。「八」の字が二羽のハト(鳩)を形象化したものとなっている点に注目。これは、古来、ハトが八幡神の使いと見なされていることに由来します。
写真:乾口 達司
地図を見る当初は潟神村(現在の備前市片上)の富田松山にまつられていましたが、1394年(応永1)、和鹿林の山頂に遷座。1646年(正保3)に現在の地に鎮座することとなりました。
本殿は小高い山の中腹に鎮座しており、内部には仲哀天皇・応神天皇・神功皇后の三神が御祭神としてまつられています。
写真:乾口 達司
地図を見る宇佐八幡宮でぜひご覧いただきたいのは、鳥居の前に鎮座する一対の狛犬。胴回り約2.5メートル、高さ約1.4メートルの堂々たる規模の狛犬で、現在、備前市指定文化財となっています。
狛犬といえば、全国的には石造りのものが多く見られますが、日本六古窯の一つ・備前焼のお膝元だけあり、岡山県では備前焼でつくられた狛犬が各地で見られます。宇佐八幡宮の狛犬もやはり同様に備前焼でつくられていますが、こちらの狛犬は岡山県でも有数の大きさを誇ります。
写真:乾口 達司
地図を見るしかし、これほどの大きな狛犬を焼くのは大変なことです。したがって、パーツごとに分けて焼きあげ、最後に一つに組み合わせる形でつくられています。立派な尻尾が胴体から分離した状態で置かれているのも、その証です。
写真:乾口 達司
地図を見る注目したいのは、狛犬の胸部。胸部には、ご覧のような銘文が残されています。銘によると、狛犬は「文政九年」に建立されたことがわかります。「文政九年」とは西暦の1826年。したがって、こちらの狛犬は江戸時代後期の作ということになりますが、制作年代をはっきり確認できるのも珍しい点です。
間近でじっくりご覧ください。
写真:乾口 達司
地図を見る本殿へと向かう石段の途中にあるのは、随神門です。
写真:乾口 達司
地図を見る随神門の内部には、参道をはさみ込む形で一対の随神像が安置されています。
写真:乾口 達司
地図を見る反対側にもやはり随神像がまつられていますが、経年劣化が認められることから、その制作年代も相当古いことがわかります。
写真:乾口 達司
地図を見る本殿にお参りするには、ご覧の急な石段を登る必要があります。石段の数も多いため、足元をお確かめの上、ゆっくり上りましょう。
ちなみに、毎年3月の桃の節句の前後には、石段にたくさんの雛人形を飾るつける「石段ひなかざり」というイベントももよおされます。
写真:乾口 達司
地図を見る石段の脇にあるこちらの石造物は「開運鞍」。鞍とは、乗馬の際に馬の背中に装着する道具のことですが、こちらの鞍にまたがると、運が開けるといわれています。
西片上の宇佐八幡宮がどのような由緒来歴の神社であるか、おわかりいただけたでしょうか。宇佐の地に鎮座していない宇佐八幡宮ですが、足利尊氏ゆかりの古社として、南北朝の動乱に思いを馳せながら、参拝してみてください。
住所:岡山県備前市西片上1
アクセス:JR西片上駅より徒歩約5分
2025年3月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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この記事を書いたナビゲーター
乾口 達司
これまでは日本文学や歴史学の世界で培った見識にもとづいて数多くの評論や書評を執筆してまいりました。奈良生まれ、奈良育ちの生粋の奈良っ子。奈良といえば日本を代表する観光地の一つですが、地元民の立場からい…
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