徳富兄弟の故郷・熊本。新島襄の「カタルパ」香る徳富記念園へ

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徳富兄弟の故郷・熊本。新島襄の「カタルパ」香る徳富記念園へ

徳富兄弟の故郷・熊本。新島襄の「カタルパ」香る徳富記念園へ

更新日:2018/10/26 15:31

村井 マヤのプロフィール写真 村井 マヤ 中国・九州文化的街並探検家

熊本の文学者ゆかりの地で、意外に知られていないのが熊本市中央区大江にある徳富旧邸宅です。
大河ドラマ「八重の桜」でも描かれた新島襄の弟子となる徳富兄弟が、両親と水俣から越してきたこの邸宅は、当時3000坪もあったといいます。兄弟の父親は、横井小楠の弟子で熊本藩庁の役人でもありました。この家は、蘇峰が新島襄の教えや横井小楠の思想を背景に塾を開いた場所。激動の時代を生きた二人の軌跡を見てみませんか?

徳富蘇峰・蘆花兄弟が水俣から移り住んだ家〜徳富旧邸〜

徳富蘇峰・蘆花兄弟が水俣から移り住んだ家〜徳富旧邸〜

写真:村井 マヤ

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徳富家は、熊本県水俣市(芦北郡水俣郷)の豪農で、のちの徳富蘇峰こと猪一郎は徳富一敬の長男として1863(文久3)年に母親久子の実家(上益城郡)で生まれました。大河ドラマ「八重の桜」では、蘇峰を中村蒼さんが演じていましたね。(1957年没)

蘇峰の母親久子(旧姓矢島)の姉妹には、竹崎順子(竹崎茶道の妻:横井小楠の高弟で教育者、順子自身も教育者)、横井津世子(横井小楠の後妻)、矢島楫子(明治、大正の女子教育者、社会事業家)がいます。4人姉妹は「四賢婦人」と呼ばれたそうですよ。

蘆花こと健次郎は、1868(明治元)年生まれ、18歳まで今回ご紹介する旧邸(大江町)で暮らします。(1927年没)

徳富家は、一敬が1870(明治3)年に熊本藩庁出仕のため水俣から熊本に出てきて、この大江4丁目の家に移り住みます。当時は敷地3000坪、西に熊本城、東遠方には阿蘇山の噴煙を望めたといいます。

水俣の徳富家も記念館になっています。(下記MEMO参照)

徳富蘆花の作品に登場する徳富旧邸

徳富蘆花の作品に登場する徳富旧邸

写真:村井 マヤ

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1876(明治9)年に神風連の変が起きて、大江の旧邸近くの種田少将宅が襲撃されました。その際、母・久子に手をひかれて二階へ上がり、そっと城下を眺めた様子は『恐ろしき一夜』に描かれました。また1877(明治10)年、西南戦争の際に一家は大江から田舎へ避難していたのですが、戻ってみると可愛がっていた愛犬が食べられていた話は『犬の話』に書かれています。

また、蘆花が旧邸を訪ねた時の様子を、「・・門を入ってすぐの六畳一室の中二階は、父の書斎であった・・」と『死の陰に』という紀行文で紹介しています。

蘇峰が開いた私塾「大江義塾」はジャーナリストとしての原点!

蘇峰が開いた私塾「大江義塾」はジャーナリストとしての原点!

写真:村井 マヤ

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蘇峰は、1882(明治15)年3月に、父一敬とともに旧居の一部を改装して「大江義塾」を開校しました。蘇峰はこの時、弱冠19歳でした。1886年(明治19)年の閉校まで、横井小楠の思想や、新島襄の教えを背景にイギリス経済学やアメリカのデモクラシー等に関する書物などを読み解きました。ここで学んだ若者は、総数255名にもおよび、かの宮崎滔天(1871-1922、孫文を支えた革命家、浪曲家としても有名)など有能な人材もいました。・・宮崎滔天は、前田案山子の娘婿でもあり、宮崎龍介(柳原白蓮の夫)の父親でもあります。

蘇峰が大江義塾の集大成として『将来之日本』(1886年出版)を書き上げます。この本は、東京の知識人の間で大評判になり、自信を得た蘇峰は、12月に一家で上京しジャーナリストを目指すのです。

新島襄から贈られたカタルパの白い花が香る庭・・

新島襄から贈られたカタルパの白い花が香る庭・・

写真:村井 マヤ

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NHK大河ドラマ「八重の桜」で、熊本バンドという結束力の固い優秀な若者の集団が出てきましたよね?その中に蘇峰もいました。
蘇峰は、熊本洋学校で学んだ後1876(明治9)年、最初に東京英語学校に入学しましたが退学し、同志社英学校に編入しました。そこで新島襄と出会います。同志社英学校を、学生騒動に巻き込まれて退学しましたが、新島襄との関係はその後も続き、師弟を超えた関係だったようです。大江義塾も、新島襄の薦めで開校されたようです。

この徳富記念園(旧邸と記念館のこと)には、樹木が多くあります。その中でも「カタルパ」という、5月に白い花を咲かせる樹は特別なものです。
明治16年頃、大江義塾は徴兵制改正で塾生が激減し、塾の存続が危ぶまれました。その時に新島襄は、「大江義塾」を励ますためにアメリカから取り寄せたカタルパの種を送ります。まもなく、二人の兄弟は東京で活躍しますが、父一敬が植えたカタルパは成長して見事な大木となりました(この最初の木は、残念ながら昭和33年の台風で倒れてしまいましたが、2世、3世、4世が庭に残っています)。

蘇峰は同志社大学創設に助力しました。新島襄も蘇峰を最も信頼して、関東での大学設立のための活動にも蘇峰は、同行したりしました。
蘇峰・蘆花にとって、カタルパの白い花は、新島襄を偲ぶものだったのかも知れませんね・・。

若者が夢を育み、巣立った徳富旧居〜貴重な書類も見られる記念館へ

若者が夢を育み、巣立った徳富旧居〜貴重な書類も見られる記念館へ

写真:村井 マヤ

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徳富旧居の奥にある白い3階建ての建物は、徳富記念館です。貴重な資料や原稿、手紙、愛用品などが展示されています。記念館は有料ですが、熊本市内にお住まいで65歳以上の方・小中学校の方は無料ですよ!是非出かけてみて下さい。直筆の書などが見られますから♪・・必ず行こう!

なお、明治19年の蘇峰の上京のおり、両親ともども一緒に東京へ移住したのでこの旧居は、河田家(姉光子の嫁ぎ先)によって管理され1962(昭和37)年に熊本市に寄贈されたものです。また記念館は1970(昭和45)年に建てられました。

徳富兄弟は、何度か絶縁・絶交の状態にありましたが、蘆花が亡くなる日に伊香保温泉で和解し、「後のことは頼む」と蘆花は蘇峰に遺言したといいます。1927(昭和2)年9月18日のことでした。

徳富記念園で、明治から昭和に生きた二人の苦悩や葛藤にふれる

徳富記念園(詳しくは下記MEMO(徳富記念園)参照)は、町中にありますが、静かで、多くの樹木に囲まれているのでどこか涼しげな風情です。資料館や旧居を見て歩いていると、明治から昭和にかけて、大きなうねりの中で、志を持って自分自身や世の中について模索した二人の葛藤や苦悩が伝わってきそうです・・!

熊本城やその他の観光と併せてご覧いただければ、なお一層、熊本通になれることでしょう♪

熊本城については、下記MEMO「加藤清正の難攻不落の城、熊本城を攻める!」をご覧ください。また、熊本文学の旅に欠かせない夏目漱石については、同じくMEMO「文豪漱石の住まい!熊本時代に暮らした坪井旧居で文学散策」で詳しくご紹介しております。


掲載内容は執筆時点のものです。 2014/05/23 訪問

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