写真:大宮 つる
地図を見る埼玉県さいたま市岩槻区にある「慈恩寺観音」は、正式名称を「華林山 最上院 慈恩寺」といい、天台宗の古刹です。天長元年(824)に、最澄の弟子である慈覚大師(円仁)によって開かれました。
寺名は、慈覚大師が入唐求法の際に、遊学された中国長安(現在の西安)にある大慈恩寺にちなんでつけられているとのこと。
「慈恩寺観音」は、さいたまの子授けスポットとして有名です。また、意外と知られていませんが、境内には西遊記(孫悟空物語)で知られている「三蔵法師」の霊骨塔もあり、1300年以上の歴史が感じられる寺社です!
写真:大宮 つる
地図を見る慈恩寺のご本尊は「千手観世音菩薩」です。
観世音菩薩は、現在のあらゆる願いを叶える仏様として古くから多くの人に親しまれ、信仰されています。
こちらの観音様のご利益は、夫婦円満、家内平安、子宝に恵まれるなど。毎年11月16・17日に行われる「秋大祭」では、その年に結婚した婦人が姑とともに参詣する風習がいま現在に伝えられています。
また、毎年8月9日・10日には「四万六千日」という夏祭りがあり、この日に詣でると“四万六千日分”詣でたことと同じご利益があるとのことです!
なお、午年の2014年はご開帳年にあたり、回向柱があります。回向柱は仏様と「善の綱」が結ばれていて、仏様と繋がれるチャンスです。ぜひとも、回向柱にさわって、仏様の功徳にあずかりましょう。
写真:大宮 つる
地図を見るこちらの「南蛮鉄灯籠」はご本堂のむかって右側にあり、とても目を引きます。
天正17年(1589)、岩付(岩槻)城主北条氏房の家臣・伊達与兵衛房実により、“天下太平万民豊楽”の願いをこめて慈恩寺に寄進されたそうです(さいたま市指定文化財)。竿部にその銘文が刻まれているとのこと。
“南蛮鉄”は、南蛮渡来の鉄を素材としたという意味です。
南蛮貿易が16世紀半ば〜17世紀初期に行われているので、その当時は最先端の「鉄灯籠」ということですね!
写真:大宮 つる
地図を見る御本堂がある場所から5分程度歩いたところに、西遊記で有名な三蔵法師玄奘の霊骨塔「玄奘塔」があります。
玄奘とは、1300年以上前に中国からインドに仏典をたずねて17年、帰国後にその経典の訳出に力をつくし、仏教史上「玄奘以前に玄奘なく、玄奘以後に玄奘なし」といわれている大偉人です。
その大偉人の霊骨塔が「なぜ、さいたまにあるのか?」と疑問を思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
それは、第二次世界大戦のさなかまで歴史をさかのぼることになります。
昭和17年に日本軍により、当時所在不明であった玄奘の霊骨が南京郊外において発見され、盛大に奉安式が行われ、その際遺骨の一部が贈与されたそうです。
終戦後に、「戦時下のことでこのままで良いのか?」という疑問が呈されたそうですが、蒋介石主席による遺骨は返還に及ばないなどといった意向が伝えられ、正式に、慈恩寺の地に霊骨塔建設が決定したとのことです。
写真:大宮 つる
地図を見る昭和25年に完成した玄奘塔は、13重の花崗岩の石組みによって築かれています。その高さは約15メートル。「玄奘三蔵天竺求法像」と一緒に、歴史や“げんじょうさん”の偉業を感じながらぜひとも眺めてみてください!
毎年2月5日に「玄奘忌」、5月5日には「玄奘祭」の行事が行われています。
また、2014年は玄奘の生誕1350周年にあたり、超プレミアム年なんですよ!この機会にぜひとも足を運んでみてくださいね^^
さいたまの子授スポットである「慈恩寺」と「玄奘塔」をご紹介しましたが、いかがでしたか?
なお、ご朱印をいただくと、慈恩寺のご案内とあわせて「十句観音経」がいただけます。慈恩寺の先代のご住職がガンの手術の際に、「十句観音経」のおかげで九死に一生を得られたことから、その功徳をお参りの方々にも…ということでお配りされているそうです。
最寄駅は東武野田線「豊春駅」となり、徒歩25分です。
無料の駐車場があるので、車でのアクセスが便利かと思います。
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この記事を書いたナビゲーター
大宮 つる
青森生まれ・静岡育ち。神奈川・東京を経て、現在、さいたま住まい。神社仏閣やパワースポット、珍スポットなど地域の魅力を発掘し、お伝えしていきたいと思います。元気な男児の子育てに奮闘中。台湾が好きでよく行…
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