金沢城のすぐ隣に11.7ヘクタールの広い敷地を持つ兼六園の土地の歴史は、前田利家の時代、天正11年(1583)にさかのぼります。この場所には、当初前田家の菩提寺の宝円寺と祈祷所の波着寺が建立されました。その後、老臣の屋敷や江戸町、役所などと役割を変えながらも前田家にとって重要な場所であり続けました。
延宝4年(1676)に前田家の5代藩主・綱紀がこの場所に自身の別荘を建て、その周囲を庭園化したことが兼六園の始まりとされています。その頃の庭園は蓮池庭と呼ばれ、宴を催すなど遊興の場として親しまれました。
庭園は変化を重ねながらも、守り続けられ、万延元年(1860)に一大庭園となり、成巽閣が建てられた文久3年(1863)にはほぼ現在の姿となりました。
兼六園の中心には霞ヶ池があり、池に浮かぶように内橋亭が建てられています。現在のものは、明治7年(1874)に蓮池馬場の馬見所から移築してきたものですが、内橋亭という建物は安永5年(1776)にすでに登場しています。
池の上に建てられた建物から庭を眺めるのも、当時からの楽しみのひとつであったことが想像されますが、兼六園の魅力はやはり回遊式であること。回遊式庭園というのは庭園内を自由に散策しながら楽しむものです。庭園内には四季折々、見ごろの季節の異なる花や木々が植えられ、歩きながらさまざまな角度から見学することが出来ます。兼六園を訪れたら、その時々のベストスポットを見つけてみてください!
兼六園内に成巽閣が建てられたのは、文久3年(1863)のこと。第13代藩主である前田斉泰が母のために巽新殿という名の居所を建てたことにはじまり、その後に成巽閣と改名されました。
「数奇屋風」という言葉は、理解しているようでしていないという方も多いのではないでしょうか?「数寄」というのは、茶道文化から生まれた言葉で特定の様式ではなく、その道に精通する人たちやその人たちの趣向を示したものです。というわけで、数奇屋風建築というのも数寄者によるそれぞれの趣向が凝らされた建物のことで、明らかな共通点があるわけではありません。
成巽閣のなかで最も特徴的な部分は、「群青の間」という青色に染められた部屋です。鮮やかな青の部屋は、他に例がないものです。その部屋は、撮影が禁じられているので、ここではご紹介しません。写真では表現できない力強さも持ち合わせているので、ぜひ実際に見に行っていただきたいです。母のための居所に、類のない空間を作り出したという事実もとても美しいものだと思います。
成巽閣のほとんどは予約なしで見学することが出来ますが、清香軒は事前予約が必要です。清香書院と茶室・清香軒は、端正なつくりで、成巽閣の二階に見られる数奇屋建築のような遊び心はみられません。けれども、シンプルだからこそ美しい、それこそが最も洗練された日本の美に出会える瞬間です。
書院からは静かな庭園を鑑賞することができます。回遊式庭園である兼六園とは違う、鑑賞式庭園は軒先によってトリミングされ、絵画のなかの世界のよう。
自分が見つける美しさと、美しいものを全力で見せようとしている美しさ。
その二つを同時に愛でることが出来る贅沢を感じてみてください。
兼六園は、成巽閣を同時に見学することにより、両者の対比や相互の関係性によって、よりそれぞれの空間を楽しむことが出来ます。金沢を訪れる際には、ゆったりとこの魅力に浸る時間を設けてみてください。きっと、金沢の印象がもっと深いものになるでしょう。
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(2025/1/14更新)
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