ゴジラも上陸!?温故知新の横須賀ストーリー「観音崎」

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ゴジラも上陸!?温故知新の横須賀ストーリー「観音崎」

ゴジラも上陸!?温故知新の横須賀ストーリー「観音崎」

更新日:2014/08/25 18:33

Naoyuki 金井のプロフィール写真 Naoyuki 金井 武蔵国ナビゲーター、歴史探索ブロガー

神奈川県三浦半島の東端に位置する岬、横須賀市「観音崎」は、今や全国的に有名な観光地です。
しかしながら現在の著名な観光地になるまでには、過酷な状況を背負ってきた歴史があり、その観音崎の辿ってきた歴史が、そのまま現在の魅力となっています。
今回は、知られざる歴史を紐解き、その魅力を改めて感じていただく別視点、「温故知新の旅」をご紹介します。

疾風怒濤 〜風雲急の江戸湾〜

疾風怒濤 〜風雲急の江戸湾〜

写真:Naoyuki 金井

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「観音崎」という地名は、741年、行基がこの地に十一面観音を祀ったという伝承に由来しています。
観音崎の周辺の海域は現在「浦賀水道」と呼ばれ、対岸の房総半島富津岬までは僅か約7kmの近さです。それ故に鎌倉時代から鎌倉街道の交通路として利用され、数々の水軍の争いの舞台となってきました。
そして江戸時代に行基の伝承をもとに観音堂などが建立され、観音寺と称して幕府から朱印地のお墨付きを授与されたのが、観音崎の始まりとなります。

時代は下って江戸時代後期の1791年、江戸幕府にとって初めてのアメリカ人が現れて以来、1809年までに13回のアメリカ船が長崎の出島にやって来ます。
これによりオランダしか来航できなかった鎖国が打ち破られたことに危機感を感じた幕府は、江戸湾で一番狭い浦賀水道にある観音崎に着目し、江戸湾警備の要所として、この地に船見番所や台場を設置したのです。
まさしくこの時が、観音崎が一朱印地から、日本国防上の重要拠点なるターニングポイントなのです。

城下之盟 〜日本の夜明け〜

城下之盟 〜日本の夜明け〜

写真:Naoyuki 金井

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ペリーの黒船来航後、日本は一気に開国の道を進みます。
1866年、幕府は米・英・仏・蘭・露の間に改税約定を結び、その第11条には8ヶ所の燈明台を備えなければならないと規約されています。その一つが三浦郡三崎及び観音崎で、これに基き、明治新政府はフランス人技師ヴェルニーのもと、1869年1月1日に日本初の洋式灯台「観音埼灯台」を建てたのです。
(※灯台名称は「崎」が「埼」になります)
高さは12.12mの煉瓦造りの四角い洋館建ての屋上に、フランス風白色八角形の灯台が付くもので、模型が浦賀の郷土資料館に展示されていますので、ご興味のある方は足を伸ばすのもよいでしょう。

こうして建てられた日本初の洋式灯台でしたが、1922年の地震により崩壊し、コンクリート造りで再建された2代目も、その後わずか半年ばかりで起こった関東大震災で再び崩壊したのです。
現在ある白亜の灯台は3代目で、日本の灯台50選に指定された小振りながら美しい灯台です。
現在、観光として昇れる観音埼灯台は、日本の開国のシンボルとして、その歴史を誇っています。

画竜点睛 〜東京湾防備の砲台〜

画竜点睛 〜東京湾防備の砲台〜

写真:Naoyuki 金井

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幕末の灯台建設の約束を果たした明治新政府は、首都東京への海からの攻撃に備えるための東京湾要塞を建設します。
これは清国やロシアからの攻撃を想定した施設で、千葉県館山から富津岬にかけての沿岸砲台と、富津岬から観音崎にかけての浦賀水道での海堡(海の砲台)、そして観音崎から三浦市城ヶ島までの沿岸砲台という壮大な防衛線でした。
特に観音崎は、東京湾の一番狭い部分であることから、重要拠点として砲台が幾つも設置されることとなりました。

その一つが1884年に完成した北門第一砲台です。
この砲台は、観音崎灯台に向う途中に「北門第一砲台跡」として残されています。2基の砲台が扇形に配置され、ここに口径24cmの巨砲2門が海に向って並び、両砲台はトンネルで通じています。そして地下には弾薬庫や兵員室などがあり、当時としてはかなり強大な砲台でした。
このほか北門第二、第三、南門など8ヶ所の砲台が造られ、概ね昭和初期までにその役割を終えていますが、現在でも6門の跡が残っており、当時の緊張感を漂わせています。

堅甲利兵 〜ゴジラ上陸地!?〜

堅甲利兵 〜ゴジラ上陸地!?〜

写真:Naoyuki 金井

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観音崎は、重要な防衛拠点であったため太平洋戦争まで立入禁止でした。しかし終戦後、一般人に解放され、平和な時代を迎えて観音崎も少しずつ観光地としての姿を見せ始めますが、突如思わぬ外敵が襲ってきました。
ある晴れた日の午後、突然海が盛り上がり大きな生物が浦賀水道から現れたのです。その現れた巨大生物が、海外でも活躍する大スターの『ゴジラ』です。

1954年、ゴジラ映画の第一作でゴジラが最初に日本に上陸したのが、観音崎にある「たたら浜」と言われていました。「たたら」とは製鉄のことで、かつてここで砂鉄が取れたことから名付けられ、ゴジラの上陸の地記念として「ゴジラの足跡」と「ゴジラのすべり台」が造られたのです。
しかし、実際の映画でのゴジラ初上陸地点は、東京・北品川で何故、上陸地点記念の地となったかは、いまだに謎のままですが、とにかくコジラによる町興しが行われたのです。
それ故に現在、すべり台は老朽化したため取り壊され、足跡もいつしか忘れられた存在となり、美しいビーチだけが、その謎を秘めているのです。

四海波静 〜都市型公園観光地〜

四海波静 〜都市型公園観光地〜

写真:Naoyuki 金井

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こうして時代を通して重要拠点であった観音崎も1975年、県立都市公園「観音崎公園」として開設されました。岬を囲む青い海原とビーチ、照葉樹林での散策などの自然環境、観音埼灯台や砲台跡の歴史的遺産、そして「観音崎自然博物館」や「横須賀美術館」が新設され、観音崎公園は、歴史・文化・自然に触れることができる総合公園となったのです。

こうした環境の整った公園で特に注目していただきたいのが、写真の丘の上に立つ白い搭です。意外と観音埼灯台と間違える方もいるようですが、浦賀水道を航行する船舶への情報提供と航行管制を行う東京湾海上交通センター(通称・東京マーチス)です。

一般に方にはあまり馴染みはないのですが、ここでの情報はインターネットで公開されており、特に大型船舶の入港情報が入手できますので豪華客船などを見るための情報ともなります。また通常は玄関ホールしか入れませんが、イベント等で一般公開もされますので、機会があれば一度、海上交通の要所を見学されてはいかがでしょうか。
東京マーチスは、過酷な歴史を負った観音崎での平和のシンボルなのです。

最後に。。。

観音崎の知られざる歴史、いかがでしたでしょうか。
夏の輝く太陽のもと、海水浴やバーベキューなどで楽しむのも結構ですが、たまには、ちょっと違った目線から観音崎を楽しんでみましょう。特に春・秋のシーズンは、散策にはぴったりの季節です。

歴史を辿りながら、爽やかな空気と素敵な光景を思う存分味わって、疲れも癒される観音崎にあなたも出かけてみませんか!

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/10/05 訪問

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