今の白さが本物!純白の姫路城と千姫ゆかりの西の丸

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今の白さが本物!純白の姫路城と千姫ゆかりの西の丸

今の白さが本物!純白の姫路城と千姫ゆかりの西の丸

更新日:2017/02/13 19:20

塚本 隆司のプロフィール写真 塚本 隆司 ぼっち旅ライター

平成の大修理も終盤をむかえた姫路城が純白の姿を見せている。
外からの眺めは、クレーンさえなければ保存修理中とは感じられない状態だ。天守閣への登城ができるのは2015年3月27日を待たなければならない。しかし、姫路城の魅力は天守閣だけではない。保存修理中でも入れる西の丸と呼ばれる城郭をご紹介しよう。

西の丸から本丸・天守閣を望む

西の丸から本丸・天守閣を望む

写真:塚本 隆司

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入城口からすぐの菱の門をくぐると三国堀がある。道は三方に分かれ、本丸へと向かう侵入者を惑わす仕掛けだという。左手に向かうと西の丸であり、大天守保存修理期間中の見学コースである。

写真は、姫路城のパンフレットなどでよく見かける景色だ。西の丸の庭園から撮影されたもので、一番よく使われている。
映画やドラマのロケでも多く撮影されるスポットだけに、一度は目にしたことがある風景ではないだろうか。

姫路城が白すぎるとの話もあるが、築城当時の製法で修復された姫路城。築城時もこの白さだったということだ。白い色は漆喰の白。時が経てばカビなどにより黒ずんでいくのである。今の白さも1年半から3年との話だという。今しか見られないこの白さ、大天守への入城を待ってなどいられない。

姫路城・西の丸とは

姫路城・西の丸とは

写真:塚本 隆司

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現在の姫路城大天守が完成したのは1609年。関ヶ原の戦いの後、豊臣恩顧の大名の多い西国に睨みをきかせるため、姫路を任されたのが池田輝政。1601年(慶長6年)から8年掛け完成させたものだ。ただし、この時にはまだ、西の丸はない。西の丸は、池田家の後に入城した本多家が1614年(元和4年)に造営したものだ。
この時にいくつかの屋敷の造営・運河の整備などを行い、現在の姫路城や街の形がつくられたのだという。

姫路城は姫山と鷺山と呼ばれる2つの山の上に造られた。本丸は姫山の上に造られており、鷺山の上に造られたのが西の丸となる。その造りは異なっており、本丸側では小さな曲輪をひな壇のように造営しているのに対して、西の丸では平坦地を作り上げ鷺山の外周に沿って櫓や渡櫓で構成した一つの大きな曲輪となっている。これは時代の違いであり、新旧の曲輪をみることができる貴重な城郭だといえよう。

写真は、大天守保存修理期間中に人気を博した見学施設「天空の白鷺(※)」から西の丸を撮影したもの。百間廊下と呼ばれる長局と化粧櫓があるのがわかるだろうか。

※天空の白鷺は、2014年(平成26年)1月15日に閉館

戦国屈指のプリンセンス「千姫」

戦国屈指のプリンセンス「千姫」

写真:塚本 隆司

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西の丸ゆかりの人といえば千姫。
戦国ファンなら知らぬものがいない戦国時代屈指のプリンセスだ。徳川家康の孫で2代将軍秀忠の娘であり、母は織田家の血を引く浅井三姉妹の末娘江、そして豊臣秀頼の妻であったが豊臣滅亡の後に本多家の嫡男忠刻に嫁ぐ。当時としては異例の恋愛結婚。忠刻が病没するまでの10年間姫路城で暮らし、一女一男をもうける幸せな日々がここにあったという。
写真は、平成27年3月末までの限定公開中の化粧櫓の内部。
10万石もの莫大な化粧料(今でいえば持参金)を持って輿入れしてきた千姫のために造営されたのが西の丸ということになる。

百軒廊下は女の城

百軒廊下は女の城

写真:塚本 隆司

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西の丸の建物内部はいくつもの部屋で区切られている。おそらく、多くの奥女中と呼ばれる女性達が暮らした部屋だということだ。今は無いが、西の丸には忠刻の居館があったとされている。
もちろん、長局にも石落としや狭間など防御の為の機能もあるが、男子が自由に入れないよう中から閉める扉が今も残っている。

千姫は西の丸から男山にある天満宮を遥拝していた。化粧を直したことから化粧櫓という名がついたという櫓がある。(化粧料で建てたから化粧櫓という説もある)
実際に昭和の大修理の際には、彩色した松を描いた羽目板や草花模様の柱など、他では見られない櫓であったことには違いはない。

千姫はキリシタン!?

千姫はキリシタン!?

写真:塚本 隆司

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西の丸から本丸へと続く道から望む姫路城も格別だ。なかでも”はの門”へと続く長く不規則に並んだ階段は、敵が一気に駆け上がることができないように微妙に段差や幅を変えたもの。ドラマの撮影でよく使われた為に”将軍坂”の異名をもつ。もちろん実在の将軍が歩いた訳ではなく、暴れん坊の将軍様の話である。

”はの門”をくぐった先の”にの門”に十字紋の瓦がある。大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公黒田官兵衛がキリシタンであったことから、官兵衛ゆかりの瓦と紹介されることがあるが時代が異なる。
ここからは、筆者の考える説だが千姫ゆかりの瓦ではないかと思っている。

千姫とキリシタンの関係は、大阪城で洗礼を受けたなど諸説あり、関係性を示す品々も残っている。もし、この瓦が西の丸造営と時を同じくするものと考えるなら千姫との関連性を疑わずにはいられない。なぜなら、千姫の化粧櫓からこの瓦が見えるはずなのだ。”はず”というのは、現在は間に松の木があり視界がさえぎられているからだ。心なしか十字が傾いているのも化粧櫓の方向に向いているように思える。遥拝していたのは、男山にある天満宮だけではなかったのかも知れない。化粧直しと称して人目を避けて祈りを捧げていたとは考えられないだろうか。

千姫がキリシタンであったかは定かではないが、残された資料やその後の人生からも信仰に関して自由な考えを持っていたかのようにも思える節もある。

そんなことに、想像の翼を広げながら城内を散策するのも面白いのではないだろうか。

おわりに

姫路城大天守に入ることができるのは、2015年(平成27年)3月27日からだ。しかし、この美しい純白の大天守をより美しくみるのは今なのだ。この白さも1年半くらいだともいわれている。姫路城の見所は大天守だけではないのだ。是非、いまのうちに美しい姫路城と千姫の暮らした西の丸を見て欲しい。次に見られるのは、60年後かもしれないのだから。

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/07/12 訪問

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