JR三雲駅から野洲川を渡って北の丘陵にぶつかったところにある花園集落の中ほどから、車谷不動尊の立札を見て谷川にそって登ると、道端に「不動参道」の立札と出会います。そこから渓流を渡り、急坂を20mほど登ると突然巨大な不動明王の磨崖仏が見下ろしているのに出くわします。
高さ6mもある花崗岩に像高4m余りの不動立像を厚肉彫りしたものです。右足を大きく外に突き出し、左足の膝を曲げ、右手に利剣、左手は肘を張って羂索を握っています。この不動磨崖仏は、富川のそれに次ぐ近江最大級のもので、江戸時代の造立と伝えられています。
巨像のわりには、全体として威圧感がなく穏やかなオーラを放っています。まわりの木々の緑、谷川のせせらぎとマッチして、とてもさわやかな印象をみる人に与えます。
車谷不動尊のある花園集落から東へ進むと岩根集落があり、ここには善水寺への入口があります。約500mの旧参道の途中には像高90cmの阿弥陀磨崖仏があり、さらに不動明王、千体地蔵を祀るお堂があり、退屈することなく登れます。
やがて、堂々とした国宝の本堂が立ち上がってくると善水寺です。
堂内部には、本尊の薬師如来(藤原期・重文)をはじめ、多数の藤原時代の重文クラスの仏像を今に伝えています。
この寺は、和同年間(708〜714)の創建で、はじめ和同寺とされましたが、桓武天皇が病臥されたとき、伝教大師最澄がこの寺で薬師法を修し、香水を献じて平癒されたことから、延暦9(790)年に善水寺と改められました。この本堂を中心に数か所にお堂が建てられていて、無数の石仏や金銅仏をたどることができ、ゆっくり巡れば優に半日は遊べるほどのスケールを有しています。
本堂脇からさらに200mほど坂を登ると岩根山不動寺があり、ここにも高さ6mの巨岩に2.2mの舟型光背を彫りくぼめ、像高155cmの不動立像を高肉彫りしたものがあります。造立は建武元(1334)年。この不動像は造形的にも素晴らしくぜひお見逃しのないように。
野洲川に沿った丘陵地帯の西の端には奈良時代に良弁が建立し、毘盧遮那仏を本尊とした小菩提寺跡があります。鎌倉時代までは隆盛を極めたらしく、残された石造物が往時のことを雄弁に物語っています。戦国時代に入って戦火により焼滅し廃寺となりました。
寺跡に残る多宝塔は、高さ4.5mという巨塔で日置(へき)氏の娘が施主となり造立したもの。多宝塔の入り口付近には、めずらしい沓を履いた等身大の三体地蔵が並んでおり、作風から中央の地蔵が鎌倉後期、左右のそれは室町時代ということがわかります。
三体地蔵の前の道から奥は古代の火葬場へと続く小道で、そのまま山腹へと続き、近郊から集められてきた石仏の森となっており、さまさまな表情の仏たちを拝しながら小一時間で一周できます。
その石仏の森の入口には160cm四方の駒形の石に閻魔大王、その左右に合掌地蔵、阿弥陀仏を配し、下方に地蔵と僧形の人物を刻んでいます。
JR草津線の石部駅から甲西駅、三雲駅の間の野洲川に沿う北部丘陵地帯は、今回紹介したほかに聖武天皇勅願、良弁の開山した西応寺、正福寺があり、特別公開に合わせて訪ねると木造・十一面観音像や良弁の師である金粛菩薩一刀三礼の彫刻になる秘仏の大日如来像を鑑賞することができます。
もし、今回ご紹介した寺院、磨崖仏すべてを1日かけて回るには徒歩ではすこし距離がありますので、石部駅、甲西駅のレンタサイクルを利用すると便利です。
野洲川と平行して走る国道27号線にそれぞれの取りつきがあり、寺院参道、磨崖仏までの坂道はとりつきの空き地やパーキングに置いて歩いて登ってもよし、押して上ってもそんなに負担にはなりません。
石部駅 石部コミュニティハウス (石部駅西隣)TEL:0748-77-5667
甲西駅 沖縄館 (甲西駅北口三松プラザ2階) TEL:0748-72-5813
料金 1日500円/電動アシスト1日700円
営業時間 石部 9:00〜18:00(年末年始休み)
甲西 9:00〜17:30(土曜・年末年始休み)
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(2024/12/14更新)
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