恭仁京造営に先立つ天平7(735)年に創建されたこの寺は、大仏建立を発願された聖武天皇がその事業の平安を祈るため、良弁を遣わして開創しました。
良弁は、この木津川流域から湖東にかけての山の民・川の民と深くつながる人物で、聖武天皇に影のように寄り添い、帝の夢の実現を後押しします。
重要文化財の十一面観音像は、地蔵信仰が普及する以前の奈良時代から平安半ばまで、身分の上下を問わず崇敬をあつめました。この像は平安時代の作とされています。そして面白いことに、この十一面観音の順礼の道は、良弁の勢力範囲と重なっています。
法隆寺とここにだけに伝わる裳階(もこし)のある五重塔は鎌倉時代のもので、国宝に指定されています。
また、本堂脇のヤマモモの巨樹は京都府下最大級のもの。
海住山寺
拝観時間: 9時〜17時(冬季16時まで)
境内志納料:100円 本堂拝観料: 300円(特別展600円)
寺門へいたる参道は車1台がぎりぎり通れるほど狭く、駐車台数にもかぎりがありますので、なるべく徒歩で訪ねましょう。
電話:0774-76-2256
恭仁京の造営されたみかのはらは聖武天皇のブレーン・橘諸兄の別業(べつごう=べっそう)のあったところ。聖武帝の夢のプランに賛同し、東大寺の良弁、行基とともにその夢を実現させるべく、それぞれその生涯を賭けて尽力しました。
海住山寺からはそのみかのはらの全貌が眺められます。
厄除なんてん寺の異名をもつこの寺には、南天の見事な冬の時期はもちろん、恭仁京跡から海住山寺までの沿道には茶畑と梅林が続き、とりわけ初夏のあやめは見事です。
藤原広嗣の乱をきっかけに始まった三都構想の初めに構想された恭仁遷都は、天平12(740)年に実現します。その中心部に平城宮から移築された大極殿が置かれました。
しかし、そののち、紫香楽、近江、難波へと遷都を繰り返し、紫香楽での毘盧遮那仏建立の挫折にともない、すべて廃都となってしまいます。こうして幾たびも政治的な危機にさらされながらも、大仏開眼の日を迎えるのです。
古代世界最大の犠牲を払い、古代最大の金銅仏造立への意志を貫き、古代史の中でもっとも輝かしい業績を残した聖武天皇の生涯も、まさに波乱万丈そのもの。その、まさに潰えようとするスリルに満ちた頃の雰囲気は、この廃都跡に立てばひしひしと伝わってきます。
廃都ののち宮城は、山城国分寺として利用され、その跡も残されています。
京都府最南端の南山城は、古来より奈良京の影響を色濃く受けた地で、歴史的には奈良に属しています。
この加茂盆地を東西に流れる木津川流域の寺を巡る十一面観音巡礼は近年ひそかなブームになってきていますが、その代表的な寺院が海住山寺です。JR加茂駅からゆっくり廻っても往復半日のコースですが、ここに立てば古代史最大の謎とされる聖武天皇の不可思議な行動がなるほどと理解されることでしょう。
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