中山道柏原宿から滋賀と岐阜の県境にある「寝物語の里」へ!

| 滋賀県

| 旅の専門家がお届けする観光情報

中山道柏原宿から滋賀と岐阜の県境にある「寝物語の里」へ!

中山道柏原宿から滋賀と岐阜の県境にある「寝物語の里」へ!

更新日:2014/08/11 16:04

成沢 崇のプロフィール写真 成沢 崇 名古屋仏像研究会 会長、旅ライター

県境は道を歩いていても見た目では分からないもの。標識などを見て「よし!ここから○○県だ!」と一瞬気分は上がるが、実際に線が引いてあるわけでもないので、なんとなく渡った気になる。
一般的に見た目では分かりにくい県境ですが、中山道柏原宿のはずれには県境がはっきりと目で見ることの出来る場所が存在します。司馬遼太郎も小説に取り上げた滋賀県と岐阜県の県境、「寝物語の里」をご紹介します。

江戸時代の面影を残す中山道柏原宿

江戸時代の面影を残す中山道柏原宿

写真:成沢 崇

地図を見る

滋賀県と岐阜県の境には「寝物語」と呼ばれる里があります。

場所は滋賀県米原市。中山道の宿場町のひとつ柏原宿の東端に寝物語の里はあります。

中山道は江戸時代の五街道のひとつ。主要道路である東海道の裏街道として中山道がありました。京都と江戸を結んだ中山道は、木曽を通り江戸に入ることから木曽路とも呼ばれた全行程約540kmの街道です。

柏原宿の長さは13町(約1.4km)とこの辺の宿場町では一番長く、北は伊吹山、南は鈴鹿山脈に挟まれた谷間の街。 街並みは江戸時代の面影を残すようにと、町の人達が協力して綺麗に整備されており街道巡りを楽しむことが出来ます。

柏原宿には歴史館もあり、この地域で有名な伊吹もぐさの展示などがされています。もぐさとはお灸のことで、薬草の多い伊吹山で採れた腰高ほどの高さに育ったよもぎの葉の裏側の白い毛がもぐさになります。

江戸時代には10軒ほどのもぐさ屋がこの街道沿いにあり、旅人たちはこの宿場でもぐさを買って次の宿場町へといったのだとか。

もぐさ屋の中でも一番有名なのは今も残る「亀屋佐京」で、安藤広重の描いた「木曾街道六十九次」というシリーズの柏原宿のくだりにも「亀屋佐京」が描かれています。

亀屋佐京の名を一躍有名にしたのが、亀屋の松浦七兵衛(1789年〜1850年)で、江戸へ商いに出た際にその土地土地であげた利益を吉原で散財。そして一切の利益を吉原につぎ込みすっかり有名になると、七兵衛は吉原の遊女に「ある唄」を吉原に来る全ての客に歌い聴かせてもらうよう願ったそう。

その唄がこちら。
「江州柏原 伊吹山のふもと 亀屋佐京の きりもぐさ」

七兵衛からの願いを承諾した遊女たちは三味線に合わせて歌うようになり、亀屋佐京の名が江戸中に広まったのだといいます。

これは今で言うCMソングで、その覚えやすい歌詞と伊吹山という効能のありそうな言葉選びが、その後の利益をもたらすきっかけになったそうです。

高い石柱が二本立つ場所が、滋賀と岐阜の県境

高い石柱が二本立つ場所が、滋賀と岐阜の県境

写真:成沢 崇

地図を見る

柏原宿での街道巡りをしながら東へ歩いて行くと、宿場町の雰囲気が薄れJR東海道本線が中山道を分断するように走る場所へ。線路を越え、さらに歩くと今回の目的地である「長久寺」集落に入ります。この集落の東端が寝物語のテーマとなった里です。

集落の外れにいくと道端に二本の石柱。「近江美濃両国境寝物語」と刻まれたその碑の間には、幅50cmほどの溝に水が流れています。この幅50cmの溝が近江と美濃、つまり岐阜県と滋賀県を分ける県境なのです。

「寝物語の里」という呼称は、この溝が大きく関係しています。
その昔、近江国と美濃国の境である小さな溝を隔てて、美濃側の旅籠「両国屋」と、近江側の旅籠「亀屋」がありました。

その旅籠の泊まり客が壁越しに聴こえる声から、同じ人物を慕う者同士と分かり、寝ながら語り合うことがでたことからついた呼称です。安藤広重の「木曾街道六十九次」には今須宿の絵に、この風景が描かれています。

同じ集落内には、岐阜県民と滋賀県民が暮らしている

同じ集落内には、岐阜県民と滋賀県民が暮らしている

写真:成沢 崇

地図を見る

現在、旅籠は残っていませんが、岐阜県側の県境に住む女性に家に残っているという古い一枚の額を持ってきてもらいました。

「寝物語」と書かれた額の中の絵を見せてもらうと、確かに溝のようなものを一本隔てて旅籠らしき二軒の建物が描かれていました。そして、左隅の印には「濃州不破郡今須村両国屋」と押されています。旅籠の客同士が小川を一本隔たこの地で語り合ったのでしょう。

芭蕉も寝物語の里を題材に

芭蕉も寝物語の里を題材に

写真:成沢 崇

地図を見る

美濃側に少し歩くと、芭蕉が野ざらし紀行で詠んだとされる句碑が残されています。
左手の大きな句碑には「正月も 美濃と近江や 閏月」。

右には「野ざらし芭蕉道」と芭蕉の句「年暮れぬ 笠着て草履 はきながら」があります。中山道のこの道は芭蕉も通った道なのかもしれません。

これより東は今須宿へ向かう道となります。裏街道としての中山道は、今もどこか江戸時代の面影を残しています。

寝物語の里には平安時代の逸話も

同じ人物を慕う者同士が寝ながら語り合った、という話しは上で紹介しましたが、実は平安時代まで遡った逸話も残されているのです。

平安時代、京都から奥州へ落ち延びた牛若丸こと源義経。義経を慕い後を追う静御前。静御前が旅の道中に宿をとったのが近江側の宿でした。

そして、隣の美濃側の宿には義経の家来の江田源造が泊まっており、それに気付いた静御前が源造に奥州まで連れて行ってくれるよう懇願したというやり取りも伝えられています。

寝物語の里は遥か昔から今日まで、美濃(岐阜)と近江(滋賀)の境であり東文化と京文化が接する大きな役割を持った、文化と交通の要所だったのです。

今でも中山道柏原宿周辺では、風情ある街並みが残されていることからウォーキングやハイキングで訪れる人も多くなっています。のんびりと散策して歴史街道ロマンに浸ってはいかがでしょう。

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/09/11 訪問

- PR -

条件を指定して検索

トラベルjp 旅行ガイド

トップページへ戻る

トラベルjpで一緒に働きませんか? 旅行ガイド編集部では運用サポートスタッフを募集中です!

- PR -

旅行ナビゲーター(在宅ライター)募集中!
この記事に関するお問い合わせ