写真:鮎川 キオラ
地図を見るJR大糸線の信濃大町駅前の商店街には、風情のある面影を残す蔵造りや町屋造りの建物が所々に点在します。長野県大町市周辺は、その昔、日本海側の糸魚川から信州の松本までを結ぶ千国街道(ちくにかいどう)の宿場町として栄ました。
この大町には、昔から湧水にまつわる不思議な伝説が言い伝えられています。でわ、昔話風にちょっと紹介します。
「昔々、信州大町という村があったそうな。村人たちは、村の真ん中に道をつくり、その道の東側の村人は、里山の居谷里という池の湧水を、道の西側の村人は、アルプスの湧水を飲んで暮らしていたそうな。いく月もたち、たくさんのお子が産まれて村は大賑わい。すると不思議と東の集落には、女の子が多く、西の集落には男の子が多く授かったそうな。おやおや、こりゃ困ったと東と西の村人は話し合いをして、両方の湧水を合わせて飲むことにしました。すると、さらに美味しくなった湧水の村には多くの人が住み、男女仲良く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」
言い伝えより、東の湧水を「女清水」、西の湧水を「男清水」と呼ばれています。現在の大町市内の水道水は、JR信濃大町駅前の商店街の通りを境に東側が女清水、西側が男清水を使用しているそうです。商店街を歩いて不思議な湧水を飲み比べてみましょう!!
写真:鮎川 キオラ
地図を見るまずは、標高3,000mの北アルプス・上白沢の湧水の「男清水」です。築130年の町屋造りの古民家レストラン「創舎わちがい」前にある湧水です。蛇口をひねって自由に飲むことができます。口の中でワインをテイスティングするように味わいます。
ふむふむ。味を忘れないように道を渡ってすぐ対岸の商店街へ。
写真:鮎川 キオラ
地図を見る対岸の「塩入家具店」の前には、標高900mの里山・居谷里の湧水「女清水」があります。飲み比べてみましたが「ん?」。。。。
違いが分からない。そこで、女清水を口に含んで味わいながら、もう一度対岸の男清水へ。
なんとなく女清水のほうが甘い気がします。どちらも甲乙つけがたいおいしい湧水です。微妙に硬度が異なるそうです。蛇口をひねれば湧水が飲めるという大町市民は、贅沢だな〜なんて思いつつも市内の地区ごとの男女比が気になります。不思議な伝説が残る湧水なので、ぜひ化学的に伝説の根拠を分析してほしい気がします。
市内の湧水が飲める場所を紹介します。町並み散策をしながら飲み比べてみて下さい。そうそう、男の子がほしい方は「男清水」、女の子がほしい方は「女清水」を、夫婦円満、縁結びは合わせて飲むといいそうです。
【大町市内「男清水」が飲める場所】
三王稲荷、竃神社
【大町市内「女清水」が飲める場所】
大黒天、西宮神社、いーずら大町物産館、駅前交番前水場
※詳しい場所は、リンクの「信濃大町水物語」サイト内「水飲み場地図」をご覧ください
写真:鮎川 キオラ
地図を見るもうひとつ、有名な昔話があります。千国街道は別名「塩の道」と呼ばれています。内陸部の信州の人々は、古くから貴重な「塩」を求めて日本海や太平洋へ旅に出ました。「敵に塩を送る」とのことわざがありますが、このことわざは、実はこの塩の道が発祥となります。
減塩を気遣う現代の食生活では、敵に塩を送られたら「何?嫌がらせ?」と思ってしまいます。本来の意味は「苦境に直面している敵にも援助の手をさしのべること」です。
時は戦国時代、甲斐・信濃(現在の山梨・長野)を治める武田信玄は、東海方面への進出を企てます。それに怒った駿河国(現在の静岡)の今川氏は相模国(現在の神奈川)の北条氏と結託し、武田領内への経済封鎖として「塩留め」を行いました。武田の領地は、海に面していなかったため塩を取ることが出来ず領民は苦しみました。この事態をみて、武田領民の苦しみを見過ごすことが出来なかったのが、義を重んじる越後の上杉謙信でした。敵方であるにも関わらず、越後より信濃へ塩を送り、武田氏とその領民を助けたそうです。
大町市には、塩問屋を営んでいた平林家の母屋を利用した「塩の道博物館」があります。古道を歩く旅が注目されていますが、ぜひ一度足を運んで、塩の道の歴史やゆかりの遺物を見てから古道を歩くと感慨深いものになると思います。
【塩の道博物館】
TEL:0261-22-4018
開館時間:9:00-17:00/無休(5月-10月)、9:00-16:30/水曜定休(11月-4月)
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(2024/10/16更新)
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