大雄山最乗寺の開山は、了庵慧明禅師によって應永元年(1394年)3月10日になされました。了庵慧明禅師は現在の伊勢原市に生まれ、各地の寺院を治めましたが、50代半ばで生まれ故郷である相模国の国に戻り、一羽の大鷲による啓示から最乗寺を開山しました。
最乗寺を創建した守護道了大薩埵は、修験道の満位の行者相模房道了尊者として世に知られ、了庵慧明禅師の弟子にあたります。道了大薩埵によって土木工事が進められ、寺院の創建に至ったので、道了大薩埵は最乗寺に道了尊として祀られています。この「道了尊」から、最乗寺は地元で「どうりょうさん」と呼ばれ、親しまれています。
最乗寺を訪れると修験道の行者である道了大薩埵によって、この地が形作られたということに思わず納得してしまうのではないでしょうか。そして、夏でも空気がひんやりと冷たいので、町中が暑い日でも参拝中は少し暑さを忘れられます。
最乗寺の本堂と御真殿は、日本の近代の建築家、建築史家として有名な伊東忠太の設計によるものです。伊東忠太は、日本建築史の研究の世界を切り開いた人物の一人でそれと同時に多くの社寺建築の設計も行っていました。築地本願寺や湯島聖堂も彼の作品です。
最乗寺本堂は昭和9年に再建されたもので、桁行15間、梁間12間ととても大規模なものとなっています。こちらの本堂は、組み物は詰組、垂木は扇垂木とするなど、禅宗寺院建築の特徴を持つものとなっています。ちなみに詰組とは、屋根を支える組み物を柱上だけでなく、柱と柱の間にも置いたものです。扇垂木は、軒先の垂木が放射状に広がったもので、扇を広げたように見えることからこういった名称となっています。
近代の建築家の作品という言葉からモダンなものであるかのような印象を受けるかもしれませんが、こちらの本堂や御真殿は日本の伝統的な寺院建築を踏襲したものになっています。
多宝塔の建立は、文久3年(1863)と最乗寺で最も古い建築物です。こちらは南足柄市の指定文化財となっています。本堂や御真殿のように、昭和以降に再建された建築物が多い境内のなかで、長い歴史を持つ多宝塔はとくに貴重な存在です。
多宝塔は二層の塔で、下部が方形、上部が円形の平面を持つものを指します。この塔をじっくりと見ていると、組み物の細部の曲線などが近代に建てられた建築群のそれと似ていることがわかります。
境内全体の雰囲気が最も古いこの建物とよく調和しているのは、伊東忠太をはじめとする近代の再建建築物の設計に当たった建築家たちの配慮によるものなのではないでしょうか。
大雄山最乗寺の建築に注目してみると、京都や奈良で見られるような長い歴史を生き抜いてきたわけではなくとも、お寺の境内という場を関わった多くの人たちによって、大切に守られてきたことがわかります。
現在も修行の場として、多くの僧侶が生活もしている最乗寺を新しい視点で楽しんでみてください。
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(2024/10/12更新)
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